観測史上とか、有史以来とか、とにかく記録があることが重要な手がかりとなるらしい。
台風18号が横浜に残した被害は、緑区の土砂崩れと、中区のがけ崩れが死亡者を出すものとなった。
緑区の映像(見出し写真)が流れたとき、見覚えがあると直感した。
緑区の中山町、上山町の寺社を訪ねた折、谷戸地系特有の入り組んだ地形と街並みを尾根の上から眺めたことがあった。
どこなんだろうと調べ始めたが、白山三丁目といっても狭くはない。
物件情報をあたるには、まず「大島てる」のホームページにあるかどうかがポイントだ。
検索してみると、もうすでに掲載されていた。
マップ検索をすると、このあたりらしい。
古い地形図を見てみれば、過去にどんな形状だったか手がかりになる。
昭和30年ころは、こんな感じで、等高線の狭い丘の間に挟まれた、細長い水田だったようで、山は雑木林や竹藪のマークがある。
もうちょっと遡って、昭和初期の地形図では、人家はほとんどなく田んぼというよりも、丘から下った谷戸の湿地が始まるあたりといった環境だったと考えられ、隣の上山よりも土地は狭い。
確か、上山、白山は、猿山という地名で上と下に分かれていた。
地形図には「石神谷」とあり、字名は「石神」ということがわかる。
たぶん、谷戸の源流を登りつめたあたりに「石神」の祠が祀られているに違いない。
このあたりでは、災害があれば石神のなせるワザと考え、山の管理を怠らなかったと思われる。
上の地形図の真ん中にある家形が石神の耕作を担った家で、上にある家形はその本家筋と見立てたがどうだろう?
だからといって、単純に自然災害かといえば、もっとほかに地形的にいつ崩れてもおかしくないところが多い。
航空写真(下)で確かめてみると、竹藪の右上方は草の茂った斜面になっている。
ここが、開発残土を盛って斜面状にしたところとだとすると、人為的に崩れやすくなっていたといえる。
心からご冥福を祈るとともに、週末明けにも襲来する恐れのある台風19号に備えて、身の回りを見直しておきましょう。
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