散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

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JAICA横浜・海外移住資料館

2010年06月27日 | ☆横浜じゃん

6月18日は、「海外移住の日」。
初めての日本人移民を乗せた「笠戸丸」が、ブラジル・サントス港に、1908年6月18日に入港したのを記念して、ブラジル日系社会では、毎年6月18日を「移民の日」として記念行事などを行っていた。
そのことから、昭和41年、正式に政府が定めた。

さて、事業仕分けで、スポットライトを浴びた行政独立法人の一つが、JAICA(国際協力機構)だ。
その国内拠点として、横浜に日系研修員を受け入れる施設があり、横浜港が日本の玄関口として、多くの移民を送り出した100年余にわたる歴史とのつながりから、「海外移住資料館」が併設されている。


goo地図

以前、仕事で鶴見区に何度か通った折、ブラジル料理の店や、沖縄料理の店が多いことを不思議に思っていたら、移民の歴史と深い関係があることを知った。
その手がかりとして、資料館の展示は興味深い。


移住した日本人の出身地、1位は広島県、2位は沖縄県だという。
ただし、ハワイ移民については、広島県、山口県、熊本県、福岡県で、全体の96%を占めていたという。
これは、厳しい気候と労働環境に耐えられるという判断が働いたのだそうだ。


数多ある展示物の中で、鎖国していた日本が海外渡航禁止のきっかけともなった日米修好通商条約の調印したもの(写真下)や、様々な名簿、旅券などを眺めていると、生きて故国へ戻れるかどうかわからない海外移住に踏み切らせた時代背景はどのようなものだったのか気になった。

それから、海外移住や渡航するために、横浜や神戸に来て船待ちをする地方の人にとって、故郷の県名・旧国名を付けた旅館や店には、同郷の者同士が集い、安らぎを与えたそうで、故に海外の主要都市にも、越後屋や広島屋旅館などといったものもあって、移住者が増えるとともに、現地新聞に広告を載せるようにもなった。
そういう意味では、関内にあったという「加賀町」や「薩摩町」などは、外国人に知られている藩の名を付けたといわれているが、あながち、開発発展を藩に割り振ったとか、商人や出入りする者が同郷人で占められたのでは?と想像できる。


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