宮脇 俊三 編著/JTB・失われた鉄道実地踏査・64ページ目
中央本線 通称「武蔵野競技場線」【三鷹~武蔵野競技場前】
短命に終わった幻の国電区間
かつて東京駅の中央線ホームから武蔵野競技場行という電車が出たことがある。野球のボールをデザインした行先表示板(サボ)が当時としては異色だった。この「武蔵野競技場」とは現在の東京都武蔵野市緑町にあった球場で、昭和26年(1951)に開設され、国鉄スワローズ(現ヤクルトの前身)などプロ野球の試合も行なわれた。通称「競技場線」は、この球場への観客輸送ルートとして、昭和26年4月14日に開業、当初から野球など競技開催日のみの運転となっていた。しかし折角の新球場も都心から遠く、実質1シーズンで終わり、それに伴って球技場線も休止状態が続いた後、わずか8年後の昭和34年(1959)11月1日に正式に廃止となった。
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本の序論「廃線跡歩きのすすめ」には、
クルマ時代の到来、地方の過疎化、外国からの安い鉱石や材木の輸入、石炭から石油へのエネルギー革命などによって、ローカル私鉄は、つぎつぎと廃止に追込まれていった。国の庇護下で生きのびてきた国鉄の赤字ローカル線も昭和55年の国鉄再建法によって多くの路線が廃止された。
滅びた者は帰らない。レールが撤去されれば列車は走らない。
と記述されています。
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鉄道廃線というと、メタ坊の生まれ育った横須賀では、国鉄(当時)横須賀駅から米軍横須賀基地に向かって伸びる貨物の引き込み線が記憶に残っています。
もっぱら、高校通学の路線が京浜急行でしたので、鎌倉に遊びに行く場合、友人と京急汐入駅に集合し、この貨物線の上を通って横須賀駅へと向かいました。
50年前の初詣に向かうときの写真を見つけました。懐かしいなぁ・・・
ちなみに今は、海と海軍基地が望める「ヴェルニー公園(ここをクリック!)」として、きれいに整備されています。
>>>「100ページ目のことばたち」由来
ベ平連の集会場所でした。
地元なのでデモによく参加してました。