ロサンゼルスのチャイニーズシアター前にあるハリウッドスターの手形・足形は有名だ。1927年のシアターこけら落としの興業に際して、レセプションに招かれた主演女優が誤って生乾きのセメントに足を踏み入れたことにアイデアを得て、以来、ハリウッドスターと認められた人の手形・足形にサインが残されるようになった。
江戸時代から戦後、芝居や映画が大衆文化の花形になっていた頃、浅草は多くの人たちの娯楽のメッカとして繁栄していた。それが、テレビの普及とともに足を運ぶ人が減り、往時の繁栄と比べようもなく、大衆芸能のふるさと・浅草の灯を消すまいと様々な振興策、整備が施された。その一つとして、昭和54年浅草公会堂前に「スターの広場」が設置され、大衆芸能の振興に貢献した芸能人の手形とサインが残されるようになった。平成20年度までに276人の名がある。時間がなかったせいで、じっくりと見ていることはできなかったが、やはり「吉永小百合」さんの手形だけはデジカメに納めたかった。昭和54年以前に没した方はサインのみ。それにしても「栗原小巻」さんがなかったり、浅草への貢献度なのか、メディアへの露出度なのか「岩下志麻」さんはあっても「高倉健」さんや「藤(富司)純子」さんがないのは何故なんだろうとか、あとで考えると謎が残る。今度行ったときにはじっくり見ることにしよう。
江戸時代から戦後、芝居や映画が大衆文化の花形になっていた頃、浅草は多くの人たちの娯楽のメッカとして繁栄していた。それが、テレビの普及とともに足を運ぶ人が減り、往時の繁栄と比べようもなく、大衆芸能のふるさと・浅草の灯を消すまいと様々な振興策、整備が施された。その一つとして、昭和54年浅草公会堂前に「スターの広場」が設置され、大衆芸能の振興に貢献した芸能人の手形とサインが残されるようになった。平成20年度までに276人の名がある。時間がなかったせいで、じっくりと見ていることはできなかったが、やはり「吉永小百合」さんの手形だけはデジカメに納めたかった。昭和54年以前に没した方はサインのみ。それにしても「栗原小巻」さんがなかったり、浅草への貢献度なのか、メディアへの露出度なのか「岩下志麻」さんはあっても「高倉健」さんや「藤(富司)純子」さんがないのは何故なんだろうとか、あとで考えると謎が残る。今度行ったときにはじっくり見ることにしよう。
仲見世のブロマイド屋さんで、
吉永小百合のブロマイドを買い漁ったことが、
昨日のように思い起こされます…