虐待を生きぬいて~連鎖を切りたいと願って生きてきた人生と快復~

虐待のサバイバーからガーディナーへ。


大きな樹の根を見つけた。
どんな暴力からも「逃げていい」って伝えたい。

みっちーの活動

1 手話通訳活動を含めたミュージックサインアーティスト   &ピアニスト 2 人権活動(子ども、女性、障がい者、高齢者、メンタル系) 3 里親制度を広めたい 4 復興支援(体と心によいこと始めました) 楽しくて、優しい人に出逢って、自分も嬉しいを手渡しできるそんな活動がしたい。 すべては自分のための四苦八苦。 自分に優しく、他人にも優しくを心がける2014年。 合言葉は nice love song

ミュージックサイン アーティスト みっち~

「ファン」Byミック・サトー

いじめ対策の講演会の振り返り

2012-10-01 19:12:43 | 怪しい研究家
金曜日と、土曜日の講演会を聞いて、人間って当事者の側に立っている人と、そうじゃない人に分かれるんだなって実感した。

いじめの三層構造とか、4層構造とかいろいろ難しい話もあったけれど、子どもは親に心配をかけまいと必死に親を守ってくれてるし、親は親で、「どうして言ってくれなかったの?」と過去を責める。

でも、当事者である子どもは、子どもなりのプライドも持っていて、「言いたくない」ことの一つでもあったりする。

だから、プチっと何かが切れた時に、自死を選ぶところにまで追い詰められる。

このままでは、生き地獄だと遺書に残してなくなった20年前のいじめ自殺の当事者。

葬式ごっごまでされて、担任もそれに参加してという悲惨な事件だった。

担任も加害者になっていく構図は、親の立場ですごく実感しているが、加害行為だとは思っていない善意の押し売りのような対応が一番きつかったなと、思うのと同時に、娘は本当に意志の強い子どもだったんだなと、感心したり、やっぱり死なないでいてくれてよかったなと心底思う。

だけど、ちょっと掛け間違うと「死」は近くにあったんだということは、否めない。

私自身が社会とつながっていたことや夫も、障がいを持つ子どもたちに、いろんな想いをかけて生きていたことが親の背中を見せるってことにつながったのだと思う。

いじめにせよ、不登校にせよ、当事者の立場に立てない人は支援者であってはならないと思う。



会場の下見

2012-10-01 17:53:13 | みちえの活動日記
10月14日に開かれる「ここを出るために、ここで暮らしています」という報告会がある。

最初のここは「施設」を意味していて、2回目のここは「自立」を意味する。



どんなに障がいが重くても、施設で暮らさない選択肢はあると思うというスタンスが、自立の風かんばすの由紀さんの言葉だ。

施設で暮らすということは、管理され続けるということで、私が施設職員だったころとは、きっと今は違っているだろうと思うけれど、管理されることには間違いない。


この報告会のオープニングに「音楽ユニットわ・た・げ」として「小石曲集」の一部を演奏する。

今日、由紀さんたちと、下見に行き、タッカは実際に歌った。

どの程度響いて、どの程度届くのか。

生声でもいけるんじゃないかな?

でも、マイクあるし・・。

でもスタンドない・・・。

なので、ダメでもともと聞いてみた。

そしたら、「いいよ~~」って返事をもらった。

優しい人ばっかりじゃ。(^O^)

新曲「小石曲集」を演奏します。

報告会も、「なるほど」ってなることが満載だと思いますので、来てください。