ネルトリンゲン(Nördlingen)はアウクスブルクからいわゆるロマンチック街道を北上して約80㎞くらいのところにあります。
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この街は中世の面影がそのまま残るロマンチック街道のハイライトの一つであるばかりではなく、地理的にも興味深いところです。と言うのは、この街は「ネルトリンガー・リース(Nördlinger Ries)」と呼ばれる窪地にあり、その窪地はなんと1500万年前に落ちてきた隕石によってできたのです!窪地は半径23-25㎞くらいあり、丘陵地に囲まれています。1960年まではそれが隕石だとは断定できず、元火山口だったのではないかとも言われていましたが、1960年にアメリカから地質学者が来て調査した結果、その地に多くある「スエバイト」は部分的に溶融した岩石で、隕石衝突によってしか生成されないということが分かったのです。以来ネルトリンゲンには世界中から隕石学者や地質学者などが集まってくるとのことです。
ほぼ完璧な円形に近い城塞都市を築くことができたのも、そこが隕石クレータだったからと言えるでしょう。
ネルトリンゲンには既に1万年以上前にケルト人が集落を構えていたようです。新石器時代からラ・テーヌ時代までのケルト文化の痕跡が残されているそうです。紀元後85年にはローマ帝国軍がここに小さめの駐屯地を置き、それに伴う集落もでき、大農場も見つかっています。詳しい記録は残っていませんが、ローマ帝国崩壊後、6世紀にはアレマン人がここに集落を築いたことが分かっています。898年神聖ローマ帝国皇帝アルヌルフが、王宮ネルトリンゲンがレーゲンスブルク司教に譲渡されるということを確認しました。1215年フリートリヒ2世皇帝は街を取り戻し、市場及び都市権をネルトリンゲンに与えました。以降自由帝国都市(Freie Reichsstadt)として繁栄しました。16世紀には宗教改革で、町はルーテル派になります。17世紀の30年戦争において、1634年のネルトリンゲンの戦いで大敗してしまい、人口が半減し、1939年になってようやく1618年の人口レベルに戻ったといいます。他の自由都市同様ネルトリンゲンも1803年の帝国代表者主要決議(Reichsdeputationshauptschluss)によって独立性を失い、バイエルン領となりました。第二次世界大戦では駅周辺は破壊されたそうですが、旧市街はほぼ被害がなかったので、私たちは今でも中世のままのネルトリンゲンを目にすることができるのです。
中世の城壁を今に残す町はネルトリンゲンの他にもいくつかありますが、現在でも城門を通らないと街中に入れず、また城壁の巡視路を完全に一周できるのはここだけです。1周すると2.7㎞だそうです。城壁には5つの門と12の見張り塔があります。
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私たちは日曜日の夕方についたので、14時からの市内観光ツアーには当然参加できませんでしたが、ネルトリンゲンには夜の観光ツアーもあり、20時からだったので、まずはホテルに落ち着き、晩ごはんを食べることにしました。泊ったホテルはNHホテル・クレーステレ(Klösterle)という元修道院の建物に隣接する4つ星ホテル。
晩ごはんを頂いたのはホテルから歩いて数分のマルクト広場にあるディアブロというメキシコレストランでした。
タコス・ミクスト。少々食べづらかったですが、ピリッとして美味しかったです。
市内観光ツアー。
ネルトリンゲンには製革工が多くいたらしく、彼らの作業場兼住居が多く残っています。上の方の窓ガラスが付いていない階は、以前は吹きっさらしで、皮を乾かすために使われていたそうです。
かなり改造された元製革工の家。皮を乾かすための階はベランダのようにして、奥まった所に部屋を作ったそうです。そばで見ると、なぜ建っているのか不思議なほどあちこち歪んでます。でも中の部屋は水平なんだそうです。
かつての救貧病院。今は市の郷土史博物館。後ろの教会は今も救貧的病院を経営しています。シュピタールキルヒェ(Spitalkirche)。
町の中心にそびえる「ダニエル」と呼ばれる聖ゲオルグ教会の塔(90m)。今でも毎晩22時に見張り番へ呼びかけ「ゾー、グゼル、ゾー(So, G'sell, so)」が叫ばれます。22時5分前にツアーが終わったので、この呼びかけを聞くために待ってました。呼びかけられるはずの見張り番はとっくにいなくなっているのですが、この呼びかけだけは残っているのだそうです。塔の右手にあるのは15世紀半ばに建てられたブロートウントタンツハウス(Brot- und Tanzhaus、パンとダンスハウス)。地上階がパン屋で、2階がダンスホールになっていたことからその名前がついてます。
市庁舎のマルクト広場側にあるネルトリンゲンの街の模型。
翌朝、風邪気味で、咳をしながら目覚めました(つд⊂) 旦那が窓を開けっぱなしにしていたので、夜に冷え込んだようでした。朝食ビュッフェは満足のいく豪華さで、ティーコーナーも心躍るような素敵さ。
朝食後、チェックアウトする前にすぐ近くの「ダニエル」に登ろうとしたのですが、補修工事中で、8月1日は立ち入り禁止になってました(´;ω;`)
仕方がないので、ちょっと土産物屋で絵ハガキなどを買い、ホテルに戻ってチェックアウトしました。博物館は… 月曜日休館です。はい。分かってました。
そういうわけで、城壁の巡視路でも歩くか、ということになりました。一先ず昨晩あまり見れなかった市庁舎から。17世紀初頭の建築で、スエバイトが使われています。
ベルガー門(Berger Tor)。ここから巡視路に登りました。一度巡視路に登ると、次の城門まで降りられないので要注意です。
狭くて低い天井。写真に写っているダンナは183㎝。降り口はバルディンガー門(Baldinger Tor)。
城壁には所々張り付くように建てられた長屋があります。かつて貧しい人たちがそこに安く住んだそうです。ただし、有事の際には家を兵士たちに明け渡すことが条件だったとか。現在では貸別荘などになっています。
ネルトリンゲンでは3年に一度シュタットマウアーフェスト(Stadtmauerfest、城壁祭り)があるそうで、 それが今年の9月9-11日だそうです。そのお祭りの時は町全体が中世に逆戻りしたかのように中世の衣装をまとい、中世の音楽を奏で、中世の大道芸が披露される、とのことです。それは見ものかもと思い、9月にもう一度ネルトリンゲンに行こうかと考え中です。