徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

2017年05月11日 | 旅行

少し間が空いてしまいましたが、スペイン・アンダルシア旅行記の続編です。前回は日程、ホテル、食べ物について報告しました。今回は観光スポット等について。その前にアンダルシア地域の歴史概略をまとめておきたいと思います。歴史的蘊蓄を長々書くつもりはありませんが、概略くらいは知っておいた方が観光スポットとなっているものの位置づけや意味が理解しやすいかと思います。世の中には取りあえず有名な観光スポットに行って、セルフィーを撮って、はい次、で満足しちゃってる方も結構いらっしゃるようですが、私はいつも、なぜそこにそれがそういう状態で存在するのか、を問わずにはいられません。

歴史概略

スペイン南部の先史時代は何と100万年前から始まります。ネアンデルタール人の居住は紀元前5万年辺りから、そしてホモ・サピエンスの登場は紀元前25,000年辺り。人類発祥の地であるアフリカ大陸から近いことを考えれば当然の帰結なのかもしれませんが。

新石器時代は紀元前7000年辺りにアフリカから来た部族たちによってもたらされます。フェニキア人が通商のためにイベリア半島を訪れるころにはタルテソス王国という非常に発達した文化圏が完成していたようです。次にケルト民族が入植し、ギリシャ人もイベリア半島北部から南下し、文化的融合も混血も起こります。タルテソス王国は紀元前500年にカルタゴによって滅ぼされた、と伝説は語っています。

紀元前206年にはカルタゴと戦争するために、ローマ人も来ます。まだジュリアス・シーザー以前のローマ共和国の時代から入植・侵略が始まり、200年後にはローマ帝国がイベリア半島全土を支配下に置き、いくつかのProvinciaに分割します。現在のアンダルシア自治州にほぼ重なるローマ時代の州はベーティカ(Baetica)と呼ばれ、コルドゥバ(Corduba、現在のコルドバ)が州都でした。オリーブオイルと小麦をローマに輸出していたと記録されています。現在でもアンダルシアは高原や山岳地方までオリーブ畑が一面に広がり、ドイツの鬱蒼とした森に慣れた目にはやたらと明るく映ります。

 

ローマの支配は約700年続き、西ローマ帝国崩壊後、ゲルマン民族大移動の中で、様々なゲルマン民族がイベリア半島に入りますが、415年にイベリア半島に来た西ゴート族は王国を建立し、476年にはイベリア半島全土を支配下に置きます。西ゴート王国の痕跡はローマ帝国の痕跡よりもさらに少なく、711年に来たモーロ人によるイスラム文化に破壊されたか、上書きされています。

モーロ人の帝国は「アル・アンダルス」と言い、その支配領域は北部を除くイベリア半島で、その名称が現在の自治州に受け継がれています。アル・アンダルスの首都はコルドバ。11世紀にはこの帝国は崩壊してしまい、いくつかの小国に分裂します。1086年には北アフリカから来たイスラム教徒がアンダルシア地方にアルモラヴィド朝(別名ムラビード朝)を打ち立てます。しかし長続きはせず、12世紀には新たにモロッコから来たムワヒッド朝(別名アルモハード朝)に滅ぼされます。ムワヒッド朝はセビリアを首都としました。この時代に建立された建物(例えば黄金塔、Torre del Oro = 写真)が今日のセビリアの観光スポットのベースとなっています。

キリスト教徒によるイベリア半島の再征服(レコンキスタ)の開始は一般に722年のトバゴンダの戦いとされ、1492年のグラナダ陥落を以て終了します。レコンキスタ第3期(1213–1492)ではグラナダを首都とするナスリ朝のみが唯一のイスラム国として生き残り、カスティリア王国の朝貢国として比較的安定した地位を保ち、アルハンブラ宮殿などの豪奢な建造物を残します。セビリアやコルドバは13世紀初頭に既にキリスト教徒の支配下になりましたが、イスラム建築技術がモーロ人の工夫たちによって維持され、アルカサル(王城)を始めとするキリスト教的要素を取り入れたイスラム建築が残されました。カスティリア王ペドロ1世は34歳の短い生涯を閉じるまで、まさに「戦に明け暮れた」と言っていい人生を歩んだにもかかわらず、現在のアルカサル城(=写真)の大部分を建造しました。

彼の時代のイベリア半島にはカスティリアとナスリ朝の他にポルトガル、アラゴン、ナヴァール王国が存在していましたが、1469年にアラゴン王フェルディナンドとカスティリア女王イザベラ1世が婚姻し、1479年にアラゴン王国の後継不足により、両国は統一されます。この二人の下でレコンキスタが終了しますが、グラナダにおいて正当な支配者と認められていたのはイザベラ1世のみで夫フェルディナンドはよそ者扱いでした。だからグラナダの街中にイザベラ1世の銅像(=写真)はあってもフェルディナンドの銅像は存在しないのです。

大航海時代の16世紀、セビリアは新大陸との貿易を独占し、黄金時代を迎えます。王朝は1516年にハプスブルク家に移り、建設様式はルネサンスからバロックへ移行していきます。スペインのハプスブルク家は近親相姦が続いたためか、18世紀初頭にほぼ御家断絶に陥り、13年間にわたる後継争いが勃発。1713年にフランスのブルボン王家がスペインの王権を獲得。イギリスによって一時的にフランス人は追放されましたが、ブルボン王家がスペインに復活した後、植民地をすべて失い、アンダルシアはスペインの最貧州に転落してしまいます。20世紀初頭の内戦、フランコ独裁政権を経て、1960-70年代の経済成長の際に、アンダルシアは特に観光業の発展によって長い停滞から抜け出し、1982年には自治州に。現在スペインで最も人口の多い州ですが、高い失業率に悩まされています。

セビリアの見所

セビリアの観光スポットは大抵旧市街の中心であるSanta Cruz地区にあるので、歩いて見て回ることができます。というか、道路が狭くて入り組んでいるため、車や観光バスでは殆ど侵入不可能です。楽をしたい方はセビリア大聖堂のLa Giralda側の広場から出ている馬車を利用するとよいでしょう。1周40分位だそうです。値段は業者によって違うような気がしますが、きちんと聞いたわけではないので、分かりません。

観光バスは2系統あり、世界各国で展開している観光バスチェーン、Sightseeing(赤いバス)とローカルなTour por Sevillaという緑のバスがあります。私たちは緑のバスを利用しました。チケットは2日間有効で、一人18€(2017年5月1日現在)。スタートはTorre del Oroで、ルート1「La Sevilla monumental」という史跡巡りツアーは10-19時まで30分置き、ルート2「La Sevilla romantica/La Sevilla illuminada」は19:30-21:00までやはり30分置きにバスが出て、セビリアの夜景を楽しめます。旧万博会場のExpo del 92や旧市街の対岸にあるTriana地区やマリア・ルイザ公園など歩いて行くにはちょっと距離があり過ぎるところに行けます。バスにはオーディオガイドがついています。チケットにはさらに「Tour a pie(散歩ツアー)」も含まれています。このツアーのスタート地点はLa Giraldaの近くのPl. del Triunfoだそうです。

Real Alcázar(アルカサル王城)

青池保子の作品に「アルカサル―王城」というマンガがあります。カスティリア王ペドロ1世(作品中ではドン・ペドロ)を主人公にした歴史ロマンです。この影響で、セビリアのアルカサル王城を実際に訪れたいとずっと思っていたのですが、ようやく念願がかないました。

「アルカサル」という名称はアラビア語の「宮殿」または「王城」を意味する単語al-qaṣr /に由来します。レコンキスタでセビリアを征服した13世紀のキリスト教徒たちにとって何の戦略的意味のない、ほぼ平地に建つ要塞機能のない城は未知のものだったので、アラビア語の名称がそのまま引き継がれました。Alcázarは固有名詞ではなく、一般名詞です。トレドやセゴヴィアやアヴィラなどにあるお城も「アルカサル」です。

セビリアの元の宮殿はアルモハード朝によって建立されたもので、かなり破壊されましたが、1364年からペドロ1世によってイスラム建築の影響を色濃く受けたムデハル様式で再建・新築されました。アルハンブラ宮殿を意識して建てられたと言われています。15-16世紀にも増築されたため、ゴシックやルネサンス様式も混じってます。

入り口。開城は9時半。前売り券を買っておくと、あまり並ばずに入れます。私たちはガイド付きの見学ツアー(GetYourGuide)を利用しました。料金は日によって若干変わるようですが、私たちは一人28.60€でした。

パラシオのファサードに刻まれたペドロ1世の碑文:「最も高位の最も高貴な最も強力で最大の征服者、神の恩寵によりカスティリアとレオンの王ドン・ペドロが1402年(セビリア歴=西暦1364年)この王城と宮殿と玄関を建設させた」

 Pacio del Yeso

Salón de Embajadores (大使たちのサロン)

Salón de Embajadores (大使たちのサロン)の天井

アルカサル王城のどの部分だったかもう覚えていないのですが、ユダヤのシンボルである「ダビデの星」が入ってる装飾。ペドロ1世の異教徒に対する寛容性の表れ。ムスリムばかりでなくユダヤ教徒の工人も建設に携わっていたそうです。

これもどの部分か不明。

2階に上がるといきなりチャペル。この急激な変化に少々戸惑います。

Salón de los Tapices(タペストリーのサロン)

タペストリーは世界地図。地図の終わりに二本の柱と「Non plus ultra(これより先はなし=世界の終わり)」をラテン語で記すのがアメリカ大陸発見以前の慣習でしたが。これは世界が平らな円盤状で、海の彼方は滝になって水か落ち、その先はないと考えられていたことによります。しかしこのタペストリーはアメリカ大陸発見以後のものであるため、Nonが取り除かれ、「Plus ultra(その先もある)」(ここではUがVで代用されている)だけになっています。この二本の柱と両者を結びつけているリボンのようなものと「Plus ultra」の銘はスペイン帝国の象徴で、世界征服の野望を表現しているとか。

El estanque de Mercurio(メルキュールの池から撮影したPalacio gotico)。ガイド付きの見学ツアーはここで終わり。

Jardín de la Danza(ダンスの庭)

その他の庭

 

出口


セビリア大聖堂とGiralda

アルカサル王城から出てくるとすぐにセビリア大聖堂の塔(元はミナレット)が見えます。写真は5月1日に撮影。

全体像(4月26日撮影)

ミナレットは1198年に完成。14世紀に先端部のイスラム教のブロンズ球が十字架に代えられ、 1568年にルネサンス様式の小塔が増築されました。頂上に据えられたブロンズ像は信仰を象徴しているそうですが、この像の持つ天候旗(Giraldillo)からGiraldaと呼ばれるようになりました。セビリア大聖堂の鐘のある塔です。大聖堂は12世紀に建立されたモスクの跡地に1401年から建設され、1世紀ちょっとを経て完成。ヨーロッパ最大という話です。

 

周りの石材よりも濃い色の石材でカーブのある外壁のところはSacristia Mayorと呼ばれ、多くの美術品が収蔵されています。

セビリア大聖堂の正面入り口。シーズン中はかなり並ばないと中に入れないことがあります。この入り口の近くに1890年代に作られたコロンブスのお墓があります。中に入らなかったので、どんな感じか分かりませんが。並ぶのが大嫌いな人と一緒だと色々諦めることが多くなります。

Puerta de la Asunción(マリア昇天祭の正面玄関)。ペディメントのレリーフはマリア昇天祭を表し、1833年に完成。正面玄関のはずですが、現在は出入りできません。

この使えない正面玄関の左側にIglesia del Sagrario(サグラリオ教会)の入り口があります。そこは今日教区教会として使われているため、入場料なしに入れます。

 

この教区教会部分を出て、建物に沿って右に曲がるとPatio de los Naranjos(オレンジのパティオ)というモスクとして使われていた時代の名残である祈りの前に体を清めるための噴水がオレンジの木に囲まれています。そのパティオに繋がる門はPuerta del Perdón(ぺルドン門)と呼ばれ、イスラム建築に特徴的な装飾的なアーチが見られます。パティオにはこの門からは入れません。覗くだけです。

 

Hospital de la Caridad(慈善病院)

この慈善施設は1674年に創設され、今日まで老人ホームとして使用されています。写真は施設に付属するチャペルのファサードで、白いカルキの壁のタイル装飾(azulejos)が美しいセビリア・バロック建築の代表例です。

 

Torre del Oro(黄金塔)

歴史概要のところでフルサイズの写真を既に掲載したので、ここではサムネイルだけ。

この黄金塔はアルカサル王城と共に防衛設備の一部を成しています。1220年に見張り塔として建てられました。かつてはもう一つの塔が川の向こう岸にあり、船が街中に侵入しないように両塔の間に太い鎖が張られていました。1760年に上部の小塔が増築されました。名前の由来はかつて金色に染色したタイルが壁に貼られていたからとか、新大陸からの宝物が収蔵されていたからとか諸説あります。ペドロ1世が一時ここに愛妾を囲ったこともあります。現在はMuseo Martimo(海洋博物館)で、海図や航海道具などが展示されています。

 

Plaza de Toros de la Maestraza(闘牛場)

セビリアの闘牛場はスペインで最も美しいと言われています。収容キャパシティは12500人。1761-1881年に建設されたアーケードに縁どられた建物は確かに素敵ですが、闘牛はたとえ伝統でも動物愛護の観点からいただけませんね。

 

Palacio de San Telmo(聖テルモ宮殿)

聖テルモ宮殿はメトロまたはバス停Puerta Jerezのすぐ近くにあります。アルカサル王城から歩いてもせいぜい10分くらいのところです。この宮殿は1682年に海兵養成のための海軍研究所として建立されました。船乗りの守護聖人である聖テルモの像が入り口の上に鎮座しています。現在は地方議会議長の官邸。この建物の見所はスペインバロック、チュリゲレスク(Churrigueresque)様式の正面玄関で、1734年にAntonio Matias de Figueroaによって建立されました。

北側のファサードの上は数多くのセビリアの有名人の彫像(1895年)が飾られているらしいですが、そちらまで見ている時間はありませんでした。

 

フラメンコ

スペイン、特にアンダルシアはフラメンコなしには語れません。ちょっと街を歩くとあちこちでフラメンコのパフォーマンスが見られます。質は様々です。私が見たパフォーマンスはYouTubeにアップしました。

1つ目のカスタネットのパフォーマンスの方が良かったと思ったのですが、気が付くのが遅くて、最後の方しかビデオに収められなかったのが残念です。

フラメンコショーをやっているところもたくさんあります。その多くがディナー付きなのですが、私たちは「ピュア・フラメンコ」「伝統的なフラメンコ」という触れ込みのCasa de la Memoriaという劇場でショーを見ました。ドリンクや食べ物など一切なしで、お一人様18€。ショーは毎晩2回。劇場はすごく小さく、舞台と客席の距離もあまりないですし、座席も2列のみ。2階席もあります。

 

上演中は撮影禁止ですが、アンコールの時は撮影が許可されます。私たちが見たチームは男性と女性のダンサー、男性の歌手、男性のギター二人でした。それぞれソロもありました。歌とギターまたはギター演奏のみでもそれなりに味わい深いのですが、やはりフラメンコは歌・ギター・ダンス揃っていた方が面白く、迫力もあります。男性ダンサーがとってもセクシーでした。

  

最後の部分はビデオにしました。Flamenco Show in Casa de la Memoria in Sevilla

全体的にアラビア音楽の影響が濃厚な印象を受けました。ストリートパフォーマンスとはかなり毛色が違うと申しましょうか。フラメンコにもいろいろあるようですね。

 

Feria de Abril(4月祭)

Feria de Abrilは復活祭の2週間後にセビリアで開催されるアンダルシア最大のお祭りです。1864年にカタロニア人とバスク人によって家畜市として始められましたが、家畜小屋が姿を消した現在でもフェリア会場で重要な契約が締結されるそうです。会場はセビリア市の南西部Los Remediosという区域で、2017年のフェリアは4月30日から5月7日まででした。真夜中に会場のイリュミネーションが一斉に点火されてフェリアが始まります。昼間は馬車や馬に乗った伝統的なツーピース(男性)またはフラメンコドレス(女性)を着て飾り立てた人たちで街中も会場も溢れかえり、遅い時間帯になると歌って踊ってが佳境に達します。

ビデオ:Feria de Abril 2017

会場はテントというか小屋で埋め尽くされており、それだけでも壮観ですが、その大部分が個人の所有というからびっくりです。中に入れるのは基本的に招待客だけです。数は少ないですが、一般人向けの小屋もあり、チケットを買えば入れるとのことでした。残念ながらどこでそのチケットを手に入れるのか案内所で聞いてもらちが明かず、私たちは取りあえず見るだけ見て、夜は上述のフラメンコショーに行ったのでした。

馬車もフラメンコドレスも豪華で、見てるだけでも楽しかったです。

フェリアの期間中は路面電車も帽子をかぶっているようです。

フェリア会場の隣にはジェットコースターや観覧車などのある遊園地が設置されており、飲食店もありました。この観覧車は、ゆっくり1回回って終わりなどという悠長な乗り物ではなく、回転が非常に速く、何回も回ります。一人4€はちょっと高いなと思いましたが、乗ってみて、目が回りました( ̄∇ ̄;)

 

ドレスは母と娘でおそろいというのもよく見かけました。

フェリア会場の様子

    

街中を行く着飾った人々

     

馬車を引く馬をよく見ると、場合によってはしっぽがきれいに三つ編みにされて、鈴の付いた飾り紐が編み込まれていたりします。大抵は邪魔にならないようにしっぽがまとめられて、付け根のところに飾りまたは鈴が付けられています。頭部にもジャラジャラ鈴の飾りを着けられることもあり、大抵の馬はそれでもおとなしく耐えているみたいですが、何頭か頭の飾りが邪魔で、何とか取れないかと隙あらば頭をぶるぶる振ったりしている馬も見かけました。確かに馬にとってはいい迷惑ですよね。

このフェリアの前の枝の主日(復活祭前の日曜日)から聖金曜日までの期間をSemana Santa(聖なる週)といい、セビリアでは100体以上のPasos(聖体人形)の行列が出て、かなり見ごたえがあるようです。いつかSemana Santaに合わせてセビリアを訪れてみたいですね。


スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

スペイン・アンダルシア旅行記(4):グラナダ

スペイン・アンダルシア旅行記(5):グアディックス(グラナダ県)