徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:夢野久作著、『ドグラ・マグラ 上・下』(角川文庫)

2018年11月16日 | 書評ー小説:作者ヤ・ラ・ワ行

『ドグラ・マグラ』の商品紹介:昭和10年1月、書き下ろし作品として松柏館書店から自費出版された。「日本一幻魔怪奇の本格探偵小説」「日本探偵小説界の最高峰」「幻怪、妖麗、グロテスク、エロテイシズムの極」という宣伝文句は、読書界の大きな話題を呼んだ。常人では考えられぬ余りに奇抜な内容のため、毀誉褒貶が相半ばしている。「これを書くために生きてきた」と著者みずから語り、十余年の歳月をかけて完成された内容は、狂人の書いた推理小説という異常な状況設定の中に、著者の思想、知識を集大成する。―

ある日目が覚めると自分がどこのだれか分からず、どこにいるのか分からず戸惑っていると、隣の部屋から「お兄様、私よ、返事して」と語りかけてくる声がし、彼女は彼の許嫁で、結婚式前夜に絞殺されたが、生き返ったという。彼が自分のことを思い出し、彼女を許嫁と認めれば二人ともここを出られるという。こういう出だしなので、記憶喪失の主人公が記憶を取り戻していく過程で過去の事件が暴かれていくという筋書きなのだろうと思いきや、時は大正15年10月20日(または11月20日)、ところは九州帝国大学の精神病学教室「狂人開放治療場」、若林鏡太郎法医学博士と正木敬之精神病学博士によって記憶を取り戻すべく膨大な資料が提供されて、それが真実なのか否か分からないまま、「わたし」が探偵よろしく真相に迫ろうとする展開となります。その膨大な資料が何の省略もまとめもなくそのまま記載されているため、上巻では若林博士の説明の後はほぼ正木博士のけったいな木魚を叩きつつ全国行脚して配布したとかいう「キチガイ祭文」や「胎児の夢」などの論文が占め、読者にかなりの忍耐を要求します。特に「キチガイ祭文」は精神病患者や精神病院を取り巻くむごたらしい現状に対する強烈なパンチの効いた風刺歌であり、興味深いとはいえ、あまりにも延々と口上が続くため、思わず飛ばし読みをしたくなるほどです。「胎児の夢」の方は胎児の発展が生物進化の後追いをしているということから着想して、その進化の過程で経験したことの記憶を悪夢として見ているに違いないと推察し、その伝承される記憶こそが「心理遺伝」という現象であり、夢中遊行や発狂による犯罪を説明するものとする論文で、そのことが「わたし」の過去とどう関わってくるのかさっぱりわからないなりにそこそこ興味深く読みするめることができました。

「キチガイ祭文」にある「...パンツの泥を払え。...シャッポを冠り直せ。クラバアツを正して聞け。」の中の外来語表記は変わってますね。パンツはともかく、「シャッポ」はフランス語のchapeauから来ているので、現代風の表記は「シャポー」でしょうし、「クラバアツ」はcravateのことで、現代風に言えば「クラバット」(ネクタイのようなもの)でしょう。「クラバアツ」でググるとこの「ドグラ・マグラ」か「襟を正す」しかヒットしないあたりが面白いですね。

下巻で「狂人開放治療」だの心理遺伝の実験だのの中心にいる「呉一郎」なる人物の家系の男に出る気狂いが1000年以上の昔のご先祖が作った死美人画の巻物によって引き起こされていた、とか呉一郎の母(と彼女が所有するとされた巻物)を巡って若林博士と正木博士が争った過去などが正木博士の遺書および告白によって明らかにされて行きます。下巻では新しい展開がどんどん提示されるので、上巻のような苦痛もなくどこに物語が辿り着くのかハラハラしながら一気に読み進めることができました。2年前の呉一郎の母殺し、そして大正15年の呉一郎の従妹にして許嫁のモヨ子の絞殺とその母八代子に対する暴行が、呉一郎の先祖呉清秀の因縁に端を発したもので、呉一郎にその因果な巻物を与えて発狂を促した人物は誰であったかというのが後半の謎の焦点となるのですが、この謎は結局のところ白黒はっきりとは片が付いておらず、また「狂人開放治療場」が閉鎖されるに至った事件の本当の原因も未解明のまま、さらに「わたし」の記憶も完全に戻ることなく、自分の時間差認識であるところの「離魂病」なる病の症状を自覚するに留めて話が終わってしまい、これぞ「奇書」たる所以なのかと納得できるようなできないような何とも言えない読後感を残します。

当時話題となっていたフロイトの精神分析や夢分析、リビドーに関する理論などがふんだんに取り入れられ、犯人なき犯罪だの暗示による犯罪だのと血筋に現れる狂気をブレンドした非常に興味深い小説ですが、現代の精神医学に通用するものが恐らくただの一つもないところがこの力作をちょっと哀しいものにしてしまっているような気がします。

文春の『東西ミステリーベスト100』(2012)の第4位にランクインしている作品なので読んでみましたが、私の好みとは言い難いものでした。