『眩暈』(1992、文庫は1995年)は御手洗潔シリーズ第8巻の長編で、本当に眩暈がするようなストーリーでした。特に最初のフォントの大きいひらがなのみの精神病者と思われる手記とその手記に関する東大教授の精神病学的な考察などは夢野久作の『ドグラ・マグラ』を彷彿とさせるもので、読むのにやや根気が要ります。しかし、『ドグラ・マグラ』よりもずっとテンポよくストーリー展開し、きちんと現実的な調査がなされた上で論理的な推理が展開され、すっきりと様々な謎が解かれるので、読後感は断然充実しています。
問題の手記は有名人の息子の成長・陶太の日記のようなもので、最初はたわいのない童話や文字を教わっていることなどが記されていますが、だんだんと内容が高度になり、環境問題や食品汚染などの問題が詳細に述べられたりします。そして最後の方にこれまでかいがいしく世話をしてくれた優しい「香織お母さん」の突然の変貌、父の秘書・加鳥の訪問、香織によるこの秘書への攻撃、いきなり押し入ってきた強盗、秘書は強盗の銃弾と香織の刺した包丁によって死亡し、香織は強盗の銃弾で瀕死の状態。強盗は逃亡し、陶太は香織のために救急車を呼ぼうと電話をかけようとしますが、通じなかったので外に出て見たら、20年も昔にタイムスリップしたような世界が広がり、見慣れたはずの鎌倉稲村ケ崎はすっかり様変わりしていたばかりか、江の島の鉄塔が消滅し、行き交う人々は異様で言葉が通じず、昼だというのに太陽が侵食されていきまるで核戦争の後の世界の終末のようで、終いには恐竜まで現れ左手を食いちぎられてしまったので仕方なくマンションに戻り、絶命した加鳥と香織の二人の死体を彼の愛読書『占星術殺人事件』の真似をして切断し、香織の上半身と加鳥の下半身を腹のところで繋げて呪文を唱えた云々という荒唐無稽としか言いようのない状況が描写されています。このため、東大教授の方はこれが分裂症患者による妄想と断じて精神分析を試みますが、御手洗潔はこれはすべて事実を書いたものだと断じ、その真相を追及するために調査に乗り出します。そして本当に荒唐無稽と思われた全ての状況に論理的な説明ができたわけなのですが、関係者全員がなにかしら狂気を内包している感じで、だからこそ「常識人」の想像力では理解不能なため、手記を書いた人間一人の妄想と断じてしまっても仕方ないですね。
調査で鎌倉からインドネシアと北海道へ飛ぶフットワークのよさは感心するばかり。