前回マルクス・ガブリエルの著書(大野和基 訳)『世界史の針が巻き戻るとき 』をご紹介してから4カ月余りも経ってしまいました。それというのも次に手に取ったのが『Moralischer Fortschritt in dunklen Zeiten 暗い時代での道徳的進歩』(2020年8月)で、ドイツ語だったからです。途中で内容的な飽きもあってしばらく放置し、全然違う本を何冊も読んでいたのですが、新年になって心機一転とばかり再度取り組んでついに完読しました。
まずは目次を大きな章立て(4章)だけではなくその下の小題も含めてざっとご覧になってみてください。
目次
- Einleitung はじめに
- Erstes Kapitel Was Werte sind und warum sie universal sind 第一章 価値とは何か、またなぜそれらは普遍的なのか
- The Good, the Bad and the Neutral - Moralische Grundregeln 善・悪・中立―道徳的原則
- Moralische Tatsachen 道徳的事実
- Grenzen der Meinungsfreiheit - Wie tolerant ist die Demokratie? 言論の自由の限界―民主主義はどの程度寛容なのか?
- Moral geht vor Mehrheit 道徳は多数(意見)に優る
- Kulturrelativismus - Das Recht des Stärkeren 文化相対主義―強者の権利
- Boghossian und die Taliban ボゴジアンとタリバン
- Es gibt keine jüdisch-christlichen Werte - Und warum der Islam offensichtlich zu Deutschland gehört ユダヤ・キリスト教的価値などない―そしてなぜイスラムが明白にドイツの一部なのか
- Nordkorea und die Nazi-Maschine 北朝鮮とナチスマシン
- Wertepluralismus und Wertenihilismus 価値多元主義と価値虚無主義
- Nietzsches scheußliche Verwirrung(en) ニーチェの醜悪な混濁
- Zweites Kapitel Warum es moralische Tatsachen, aber keine ethischen Dilemmata gibt 第二章 なぜ道徳的事実があっても倫理的なジレンマがないのか
- Universalismus ist kein Eurozentrismus 普遍主義とは欧州中心主義ではない
- Altersdiskriminierung gegen Kinder und andere moralische Defizite des Alltagslebens 子どもたちに対する年齢差別とその他の日常生活における道徳的欠陥
- Moralische Spannung 道徳的緊張
- Fehleranfälligkeit, ein fiktiver Messias und der Unsinn postmoderner Beliebigkeit 間違いやすい性質、架空のメシア(救世主)、ポストモダンの恣意性の無意味さ
- Moralische Gefühle 道徳的感情
- Ärzte, Patienten, indische Polizisten 医師、患者、インドの警察官
- Der Kategorische Imperativ als sozialer Klebstoff 社会のかすがいとしての定言的命令(定言命法)
- >>H?<< Widersprich dir nicht! 「は?」自己矛盾するな!
- Moralische Selbstverständlichkeiten und das Beschreibungsproblem der Ethik 道徳的自明と倫理の説明問題
- Warum die Bundeskanzlerin nicht der Führer ist ドイツ連邦首相はなぜ指導者(フューラー)ではないのか
- Das Jüngste Gericht - Oder: Wie wir moralische Tatsachen erkennen können 最後の審判―あるいは、いかに私たちが道徳的事実を認識できるのか
- Mit und ohne Gott im Reich der Zwecke 神を信じても信じなくても目的の世界中で
- Kinder schlagen war noch nie gut, auch nicht 1880 子どもへの体罰が善だったことはない、1880年の時もそれは善ではなかった
- Drittes Kapitel Soziale Identität - Warum Rassismus, Xenophobie und Misogynie böse sind 第三章 社会的アイデンティティ―なぜレイシズム・外国(人)嫌い・女性蔑視が悪なのか
- Habitus und Stereotype - Alle Ressourcen sind knapp 外見とステレオタイプ―全ての資源は限られている
- Den Schleier der Dehumanisierung lüften - Von der Identität zur Differenzpolitik 脱人間化のベールを剥がす―アイデンティティから差異の政策へ
- Corona - Die Wirklichkeit schlägt zurück 新型コロナ―現実がしっぺ返しする
- Thüringen einmal anders - In Jena wird der Rassismus widerlegt チューリンゲンの別の顔―イェーナでレイシズムを論破
- Der Wert der Wahrheit (ohne Spiegelkabinett) 真実の価値(鏡の間なし)
- Stereotype, der Brexit und der deutsche Nationalismus ステレオタイプ、ブレグジット、ドイツのナショナリズム
- Die Wirksamkeit geglaubter Gemeinschaften 共同体信仰の効用
- Die Gesellschaft des Populismus ポピュリズムの社会
- Die Widersprüche linker Identitätspolitik 左派のアイデンティティ政策の矛盾
- Jeder ist der andere - Von der Identitäts- zur Differenzpolitik (und darüber hinaus) 誰もが他者―アイデンティティ(同一化)政策から差異政策へ(そしてさらにそれを超えて)
- Indifferenzpolitik - Unterwegs zur Farbenblindheit 無差別の政策―無色の世界に至る道
- Viertes Kapitel Moralischer Fortschritt im 21. Jahrhundert
- Sklaverei und Sarazin 奴隷制とザラチン
- (Angeblich) Verschiedene Menschenbilder rechtfertigen gar nichts, schon gar nicht die Sklaverei (表向き)異なる人間像は何も正当化しない、奴隷制など論外
- Moralischer Fortschritt und Rückschritt in Zeiten von Corona 新型コロナ時代における道徳的進歩と後退
- Grenzen des Ökonomismus 経済至上主義の限界
- Der biologische Universalismus und die virale Pandemie 生物学的普遍性とウイルス性パンデミック
- Für eine metaphysische Pandemie 形而上学的パンデミックのために
- Moral ≠ Altruismus 道徳 ≠ 利他主義
- Der Mensch - Wer wir sind und wer wir sein wollen 人類―私たちは何者であり、また何者でありたいのか
- Ethik für alle みんなのための倫理
- Epilog 結び
目次をざっと見ただけでもおおよその内容が想像できるかと思いますが、それゆえに「何を当たり前のことをご大層に訴えているのか」とか「道徳警察か?」などという表層的な感情的反応をする人も中にはいるかと思います。事実、ドイツ・アマゾンの口コミの中にそのような批判が散見されます。
しかし、本書の最もおいしいところはディテールの中にこそあります。
本書の主旨は、「善悪中立の区分をする道徳的事実は人類に普遍で時代や文化に左右されない行動規範であるが、先入観や間違った世界観、イデオロギー等で一部目隠しされてしまっている。この覆いを取り除いて新たな知見を得ることでこの暗い時代にも道徳の光で道徳的進歩を可能にし、人類が直面している全地球的課題を解決する努力をしていける」というふうにまとめることができると思いますが、それでは希望の光明は感じられても、実際に世にはびこる様々な考え方の何がどう間違っていて、それらをどのように論理的に間違っていることを証明できるのか分かりません。しかし、ここがしっかりと理解できていないと、たちまち世に溢れる一見正しそうな誤謬に惑わされ、「was wir tun bzw. unterlassen sollen 私たちが何を為し、また、何を為すべきではないのか」という道徳的事実を見失いかねません。
Moralischer Fortschritt besteht darin, dass wir besser erkennen, was wir tun bzw. was wir unterlassen sollen. Er setzt Erkenntnis voraus und besteht im Allgemeinen darin, dass wir moralische Tatsachen, die teilweise verdeckt waren, aufdecken. 道徳的進歩の本質とは、私たちが何を為すべきかまたは何を為すべきではないのかについての認識を改善することにある。それは知見を前提としており、一般的に言って、私たちが一部隠されている道徳的事実を明らかにすることにその本質がある。(19ページ)
Moralische Tatsachen sind keine natürlichen Tatsachen. Sie sind auch nicht wider- oder unnatürlich, sondern sie sind diejenigen Tatsachen, die Handlungsoptionen nach Maßstäben des Guten, Neutralen und Bösen klassifizieren. Diese Klassifikation liegt nicht im Auge des Betrachters, sie ist keine Geschmacksfrage, sondern in jeder relevanten Hinsicht objektiv. 道徳的事実とは自然に存在する事実ではない。また反自然的でも不自然なものでもない。それは善・中立・悪の基準に基づいて行動の選択肢を区分する事実である。この区分は観察者の目によるのではなく、好みの問題でもない。それはいかなる関連する観点においても客観的なのである。(117ページ)
こうした客観的な道徳事実を明らかにするためには先入観のない思考が必要であり、その思考法を提言するのが哲学であるということですね。
このため、マルクス・ガブリエルは哲学が現在ドイツの学校において必須ではなく、宗教か哲学かの選択になっているなっているのは容認できないスキャンダルだと怒り心頭のようです。
Die Philosophie und damit auch die Ethik sind in ihrem Wesen global, sprich kosmopolitisch. Es kann prinzipiell keine Ethik geben, die sich exklusiv damit befasst, was Einwohner eines einzigen Nationalstaats tun bzw. unterlassen sollen. 哲学、従ってその一部である倫理学もその本質においてグローバル、すなわち世界主義的である。個別の民族国家の住民が何を為し、また何を為すべきではないのかという問題についてのみ取り組むような倫理学は原則的に存在しえない。(248ページ)
Die neue Aufklärung fordert: Ethik für alle, unabhängig von der Schulform, unabhängig von Religion, Herkunft, Vermögen, Geschlecht und politischer Meinung. 新しい啓蒙主義の要求は、学校形態によらず、宗教、出身、財産、性別、政治的見解によらない全ての人のための倫理学である。(249ページ)
このような哲学・倫理学を子どもたちに学校で教えるようにすれば、道徳的な価値判断をするための論理的な思考力が身に付き、ナショナリズムや差別主義または逆差別の誤謬にも陥らずに人類にとって何が急務なのか認識でき、それに基づいて行動できるようになると説いています。
科学至上主義や経済至上主義は既存の宗教や伝統の権威を失墜させ、「なんでもあり」の postmoderne Beliebigkeit ポストモダンな恣意性は多くの人を迷子にさせました。結果として人類は Selbstausrottung 自滅または Selbstzerstörung 自己破壊に向かっています。
その認識から慌てて行動を起こしたり、誰かをスケープゴートにしたりするのではなく、全人類が同じ地球という乗物から逃れられない運命共同体なのだと認識し、冷静に何をするのが正しいのかみんなで考えましょう、というのがガブリエルのメッセージです。
私自身、文化相対主義に陥り「不寛容さに対しても寛容であるべきなのか?」などといったことで悩む迷子の1人でしたが、何冊もマルクス・ガブリエルの本を読むことでだいぶもやもやとした迷いが取れてきたように思います。
皆さんも哲学してみませんか。