『A Pale View of Hills(遠い山なみの光)』はノーベル文学賞作家のカズオ・イシグロ氏のデビュー作で、長崎出身で、今は一人でイギリスに暮らす女性エツコが、ロンドンに住む次女ニキが里帰りしていた日々と、遠い長崎での思い出、長女ケイコを身ごもっていた夏のことを語ります。詳しい経緯が説明されているわけではなく、「現在」も「過去」もほぼ会話で成り立っているので、そこから話を総合すると、エツコは戦後オガタ ジローと結婚し、ケイコを身籠った。ジローとの離婚あるいは離別に関しての言及はないのですが、いつか新聞記者のイギリス人と再婚し、渡英して次女ニキを生んだということになるのでしょう。ケイコは引きこもりのようになり、成人して家を出て、マンチェスターのアパートで自殺をしたようです。
回想で語られるのは、ケイコを妊娠していた夏に、アメリカに行くとか行かないとか騒いでいた友人サチコとその娘マリコのこと、福岡に住む元教師の義父が数日滞在してたことなどです。長崎平和公園にあるギリシャ神話の神様のような彫像のことが言及されているので、1955年以降のことなのでしょう。彼女の回想の数々はセピア色の昭和の映画のシーンのようです。
登場人物たちは説得力のあるキャラクター設定で、見事に好きになれない感じの人たちばかり。ケイコ自身もお人好しで物腰の柔らかな女性ですが、基本的にとても保守的で、そのせいでいまだに結婚せずにロンドンでボーイフレンドと同棲している次女と若干衝突します。
元義父の「オガタさん」は戦時中に教師として子どもたちに国家主義を教え諭していた人で、戦後もそれが間違っていたとは考えず、自分たちは必死に働いて社会に貢献してきたと考えるおじいさん。彼と息子のやりとりは「ウザイおやじ」丸出し( ´∀` )
夫のジローは仕事一筋で、都合の悪いことはのらりくらりと逃げてしまうタイプ。
友人だというサチコは、それなりに地位のある父を持ち、英語を習ったこと、そして「いいお家」に嫁いだことにプライドを持っているらしく、現在母子家庭で、ゴミためのような所の小屋に住んでいることを不本意に思っていて、常にエツコにバカにされるまいと言い訳しているような扱いづらい女性で、よく友達やってられるなと感心するようなキャラ。娘のマリコのことを第一に考えていると言いつつ、彼女が嫌っているアメリカ人のボーイフレンド・フランクとアメリカに行くと言ったり、行かないと言ったり…
娘のマリコも頑固で、少々奇怪な行動をとる女の子(10歳くらいらしい)。この母娘が神戸に行くことになり、荷造りしているところで回想が終わっているので、本当に神戸に行って、その後アメリカに行ったのかどうかはまるきり不明です。
この母娘と一緒にケーブルカーに乗って遠出した先で出会った親子との会話も見事にえげつない感じに説得力がありました。三菱工業か何かの社長夫人とその息子らしいですが、英語で書かれているはずなのに「宅の息子は」「宅の息子は」という日本語の自慢話に聞こえてくるから不思議です。
良くも悪くも昭和半ばの日本が切り取られていると感じました。
唯一共感が持てたのは娘のニキだけだったような気がします。全体的にあまり思い出したくないものを思い出させられてしまった気がしました。