本書は著者の友人であるニューギニア人のヤリの「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものと言えるものがほとんどない。それはなぜだろうか」という疑問に答えるために行った20年以上の調査研究の集大成です。
この問いかけは更新世以降の人類史と現代の人類社会の核心をついており、それに応えようとする試みは、過去において(もちろん現在でも往々にして)人種差別的な結論になりがちでした。
著者、ジャレド・ダイアモンドは、全て環境要因として説明します。
まず第一に、栽培化や家畜化の候補となり得る動植物種の分布状況が大陸によって異なっていたことが挙げられます。比較的簡単に栽培化が可能だった野生祖先種のほとんどが肥沃三日月地帯と呼ばれるチグリス・ユーフラテス川流域に集中しており、まさにそこで人類最初の農耕が行われたという事実は後々の大陸の歴史に大きな違いを生んでいる、と言います。
同時にこの地域およびユーラシア大陸に家畜化可能な大型動物のほとんどが分布していたため、やはり非常に早い時期に牧畜も始まり、それが東西に長いユーラシア大陸では拡散伝播が容易であったことも後の発展に重要な差を生む要因となっています。
農耕牧畜を始めた共同体は定住生活を送り、人口が増えます。人口が増えることでさらに食料生産が効率化されたり、集約化されたりするので、自己触媒的に人口増大⇒食料生産増大⇒人口増大といったサイクルを繰り返し、次第に部族社会から首長社会、さらにはもっと大きな国家が組織されるようになっていきます。
このような社会的発展の決定的な要素は、余剰食糧の存在とその配分です。
狩猟採集民の社会では「平等」と言えば聞こえはいいですが、要するに余剰食糧がないので、皆が食料確保に携わる必要があり、そうした営みに携わらない工芸職人や商人や兵士あるいはまた文字を操る官僚や宗教職などの専門職を養うことができません。
定住して食料生産を行う社会では専門職に余剰食糧を与えて養うことができるので、各分野の専門化が進み、技術革新の土壌を作ることが可能です。
こうして農耕牧畜民は人口と技術と組織力において狩猟採集民とどんどん差をつけ、最終的には狩猟採集民を僻地へ追いやってしまったり、征服してしまったり、虐殺してしまったりといった結果になります。
こうしたことは南北アメリカ大陸でもアフリカ大陸でも起こってはいたのですが、両大陸は南北に長いため、緯度の違いから気候的・地形的な障壁が大きく、拡散・伝播のスピードが東西に長いユーラシア大陸よりもずっと遅かったと言えます。
また、オーストラリア大陸や太平洋の島々では人類移植後の孤立化が長く、他地域のイノベーションが伝播してこなかったのと、環境的要因から人口増加には大きな制約があったことから、石器時代のまま技術的には進歩しなかったり、農耕牧畜民が移植した島で気候の違いから農耕を継続できなくなって狩猟採集生活に戻ってしまったりしています。
食料生産と大陸の広がり、特に文字の使用による社会の組織力という点以外に重要な要因はタイトルにもあるように「病原菌」です。
ヨーロッパ人が15世紀にアメリカ大陸を「発見」して上陸してから、アメリカ大陸の原住民の人口が約95%激減してしまったと言われていますが、このうち、実際に虐殺の犠牲になったのはほんの一部で、大部分の原住民たちはヨーロッパ人に遭遇することなく天然痘などの病原菌に免疫がなかったために死んでしまったと言われています。
こうした病原菌は牧畜と密接なかかわりがあります。というのは、ほとんどの病原菌が本来は家畜を病気にさせるものだったのが、人間にも感染力を発揮するように進化したものだからです。数千年もの間家畜と密接に暮らしてきたユーラシア大陸の人間はこうした病原菌に対して免疫を獲得できたのに対して、家畜化可能だった大型動物がほとんどいなかったアメリカ大陸の人々は免疫を全く持っていなかったので、ヨーロッパ人の持ち込んだ病原菌に滅ぼされてしまったわけです。
500ページ以上に及ぶ本書は、1万3000年の人類史を語るにはかなり凝縮・簡易化されているのですが、それをさらに凝縮してエッセンスだけ取り出すとおおよそ上のようにまとめられると思います。
本書の魅力はしかし、「まとめ」にあるのではなく、こうしたまとめを可能にする歴史的・考古学的・生物・生態学的・疫学的、そして言語学的証拠が詳細に列挙されているところにあります。
この本の原書 "Guns, Germs, and Steel: The fates of Human Societies"が発行されてから早25年、日本語版が刊行されてから22年の時が経っていますが、データの定量化などで詳論部分で補完する知見は新たに得られたとしても、大筋でひっくり返されることはない普遍的な知性の光を放っていると思います。
そして、何よりもすばらしいのは、様々な文化や民族に対する敬意です。
ここで展開されている理論は、一言で言えば「環境制約論」でしょう。人類はどの「人種」または民族であれ、同じ知性を持ち合わせており、生まれ育ったその環境で生き抜くために必要な知識を獲得し、その中で可能な改善や改革を行う創造力も持っているという前提で話を進めていきます。
結果的に大陸間・地域間で場合によって圧倒的な差が出てしまったのは、環境による制約によるものだったという結論です。
よく、人間は遺伝によって決まるのか環境によって決まるのかという議論がありますが、結論から言えばどっちの要素も重要な決定因子であり、その相互作用のあり方によってもかなり違う結果が出て来るものです。
人類の発展史も似たようなもので、ジャレド・ダイアモンド氏は決して「環境決定論」を展開しているわけではなく、なぜあるところでは食糧生産が始まり、あるところでは始まらなかったのか、なぜあるところでは文字が作られ、あるところでは文字を借りて使われるようになり、あるところでは全く文字が使われなかったのか、なぜあるところでは金属器が使われるようになり、あるところでは使われなかったのか、といった疑問の特に「なぜxxでなかったのか」という否定形の疑問に対する回答を試みているのです。
そして、決して「xx人の創造力が劣っていたから」とか「知能が低かったから」などという民族差別的な結論になり得ないことを証明しようとしている、その姿勢がすばらしいと思いました。
目次
上巻
プロローグ ニューギニア人ヤリの問いかけるもの
第1部 勝者と敗者をめぐる謎
第1章 1万3000年前のスタートライン
第2章 平和の民と戦う民の分かれ道
第3章 スペイン人とインカ帝国の激突
第2部 食料生産にまつわる謎
第4章 食料生産と征服戦争
第5章 持てる者と持たざる者の歴史
第6章 農耕を始めた人と始めなかった人
第7章 毒のないアーモンドのつくり方
第8章 リンゴのせいか、インディアンのせいか
第9章 なぜシマウマは家畜にならなかったのか
第10章 大地の広がる方向と住民の運命
第3部 銃・病原菌・鉄の謎
第11章 家畜がくれた死の贈り物
下巻
第12章 文字をつくった人と借りた人
第13章 発明は必要の母である
第14章 平等な社会から集権的な社会へ
第4部 世界に横たわる謎
第15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー
第16章 中国はいかにして中国になったのか
第17章 太平洋に広がっていった人びと
第18章 旧世界と新世界の遭遇
第19章 アフリカはいかにして黒人の世界になったか
エピローグ 科学としての人類史