最近ある本を読み、とても納得させられることがありました。
論理の出発点を選ぶ、そのために情緒力というものが必要。
情緒力を育むということについて、どんなことが大切だろう??
「美しいものを美しいと感じる心」が必要なんだそうです。
例えば道端のちいさなスミレの花を、美しいと感じる心。
「悪いものは悪い。理由なんてなく、ただ悪い」
そう論理の出発点を選べるということ。
私の父が38年の教員生活を終えたとき、
姉が寄せ書きに書いた文章を思い出しました。
「美しいものを美しいと感じる人たちに囲まれて」
ここにひとつの真実があったこと、すっかり素通りしていた私は愚かでした・・・。
同年代のKちゃんとは、日本舞踊について語り合いますが、
人にものを伝えるときに苦労することについて考えてみると、
納得させられる点がいくつもありました。
今の時代、
「年上を敬う」ことや「襟を正す」こと、「悪いものは理由なく悪い」
そういう情緒力に裏打ちされた日本人としての基本的な姿勢が、
不足しているということらしいのです。
論理に偏らず、美しいものにふれて豊かな心を育む、
私の思う日本舞踊の理想が、今の時代に必要とされています。
論理の出発点を選ぶ、そのために情緒力というものが必要。
情緒力を育むということについて、どんなことが大切だろう??
「美しいものを美しいと感じる心」が必要なんだそうです。
例えば道端のちいさなスミレの花を、美しいと感じる心。
「悪いものは悪い。理由なんてなく、ただ悪い」
そう論理の出発点を選べるということ。
私の父が38年の教員生活を終えたとき、
姉が寄せ書きに書いた文章を思い出しました。
「美しいものを美しいと感じる人たちに囲まれて」
ここにひとつの真実があったこと、すっかり素通りしていた私は愚かでした・・・。
同年代のKちゃんとは、日本舞踊について語り合いますが、
人にものを伝えるときに苦労することについて考えてみると、
納得させられる点がいくつもありました。
今の時代、
「年上を敬う」ことや「襟を正す」こと、「悪いものは理由なく悪い」
そういう情緒力に裏打ちされた日本人としての基本的な姿勢が、
不足しているということらしいのです。
論理に偏らず、美しいものにふれて豊かな心を育む、
私の思う日本舞踊の理想が、今の時代に必要とされています。