いきなり脳腫瘍~病名が聴神経腫瘍→右脳腫瘍→右小脳橋角部髄膜腫。手術後に東日本大震災、2度目は右顔面神経麻痺~

最初の病気の告知から入院・手術と順繰りに回想…はブログの頭(2012.4.7開始)の方、2018.3の再手術で障害を負う

1月30日(木)救急搬送(母の振り返り)

2020-02-22 12:50:21 | 母の病気
その日、たまたま有休を取っていたが、
早朝未明に母に大きい声で起こされ(狭いから…)、
めまいが酷くて変だ、救急車を呼んで、と訴えられた。
夜間時間帯だとどの病院に担ぎ込まれるかわからないし、
話はできていたから数時間様子を見(長かった…)、
診察が始まる時間を待って119番し、
診察券を持っていた近くの総合病院を希望して、
受け入れてもらった。
私は救急の処置室に入れず、中待合でしばらく待ち、
母のベッド脇に呼ばれると、点滴をされていた。
母はその間、血液検査とCT検査を受けていて、
救急医師の説明によると、
腹部に粉瘤があり、腹水が溜まり、脱水症状を起こし、
血管に残る血液が少なく、頭に行く血流が足りず、
ふらつきを起こしているとのこと。
点滴で水分補給を続けながら、
午後、病院内の産婦人科に回され、
内診エコー(後で母に聞いたら、3人掛かり)を受け、
医師から、
「卵巣がんの疑いが強い。
うちはお産と良性疾患だけで、がんはやらないから、
がんセンターで診て貰うように、紹介状を書く。
腹水も溜まっていて脱水しており、酷くなる一方だから、
精査し確定してもらい、どんな治療をどこまでするか、
すぐにがんセンターに電話をして、
今週中、明日しかないが、か、来週頭に診て貰うように」
と言われた。
その病院の婦人科はがんを扱っていない為、
疑いで診断は付いていないという体裁を取りながら、
進行した卵巣がんであることは、明らかだった。
母も私もショックで、目の前が真っ暗になった。
救急に戻され、点滴が終わると、
入院させてもらうことなく、自力で帰らされた。
近場のタクシー帰りだが、大変だった😭 
やっと帰宅すると夕方に近く、へとへとだった。
(つづく)

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