いきなり脳腫瘍~病名が聴神経腫瘍→右脳腫瘍→右小脳橋角部髄膜腫。手術後に東日本大震災、2度目は右顔面神経麻痺~

最初の病気の告知から入院・手術と順繰りに回想…はブログの頭(2012.4.7開始)の方、2018.3の再手術で障害を負う

母の最期の七日間

2023-06-11 17:26:53 | 母の病気
ようやく、「母の最期の七日間」の概略を書く。
入院していたので、詳しくはわからないし、
医師からの説明は入院時だけだったので、
私が見て感じた事だけになります。
 
落ち着いた感じで、家では入れなかったお風呂も
入っており、まさかこの一週間後に
亡くなるとは思わなかった。
 
面会は平日週三回までだったので、この後、
急速に悪化したのか…
3年以上掛かった訪問診療の先生は、
「最期は水も飲めなくなり、そうなると、
七日間で亡くなる」
と言っていたが、この面会後に、そうなったのか。
 
折悪しくゴールデンウィークの休日で面会できず、
6日土曜に病棟の看護師から電話があった。
「今朝からせん妄が出ている。残された時間は短い」
病院に駆け付け、土曜の休日だが面会させてもらった。
母は、「全然来てくれなくて、どうなっているの。
家に帰る。介護タクシーを使えるって」
と繰り返し必死に訴えてきた。
これが、せん妄か?
苦しくて状況が理解できなくなっているが…
看護師さんと話したが、(こういう言い方では
なかったが、意味は)死期が近く、
もう車に乗って移動できる状態ではないと…
そしてこの時から、面会制限はなくなり、
24時間いつでもOK、付き添い可となった。
 
だが、個室内のソファーベッドたって、
寝られるようなものではなく、
私ひとりで最期まで家族としての務めを
果たさねばならず、
亡くなった後の事もあるので、
泊りはせず、毎日、面会に行った。
母は、もう、訴える元気もなくなり、
私が行っても眠ってしまい、
8日月曜は一言も声を掛けられず、
苦しそうな寝顔だけ見て帰ってきた。
寝間着から見える肌に赤い湿疹が広がり、
舌にまで湿疹があった(後で調べると、
がん末期によく出る症状らしい)。
 
そして9日火曜の朝に面会。
母はやっぱり眠っていたが、
看護師さんから
「話し掛ければ、わかりますよ」
と言われ、前日とは違い、いろいろ話し掛けた。
最後に、「夕方も来るね」と声掛けたのを
母はわかって、苦しい表情が和らいだ…
と思ったし、後で看護師さんも、
「娘さんが来た後、表情が穏やかになった」
と言ってくれた。
面会から帰宅し、職場に連絡を入れて、
お昼を作って食べようとした時、携帯が鳴った。
「緩和ケア病棟」からの着信を見た時、
聞かずとも用件はわかった。
「呼吸が止まりました。落ち着いて、来てください」
(おしまい)
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4 コメント

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父の時の事を思い出す (しゃちくん)
2023-06-12 10:28:35
残された時間がわずかになって来ると兄は仕事を休んで病室で泊まり込むようになりました。それを母だけでなく妹や私にまで強要するので喧嘩になる。父と衝突ばかりだった兄は懺悔の気持ちでいっぱいだったのでしょう。
私は父と一緒に仕事をしてたので会社を回す事の方が病床の父を安心させると信じて歯を食いしばって仕事を続けた。三夜続けて危篤状態になり深夜まで病室に縛られるとさすがに仕事もきつくなり死に目に会えなくてもいいと思えるように。
配達に向かう途中で兄から電話があり「父さんが亡くなったよ」と知らされて仕事を片付けてから葬儀屋さんに寄り病院へ。
私にとっては会社から救急搬送した父が75歳まで現役で仕事を続けながら亡くなった事を喜んでいると信じてます。
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看護師さんからも (みなみ)
2023-06-12 21:01:36
「どう見送ってもいい、こうしなければというのはない」
と言われました。
泊まってもいいし、入院前に在宅でやり切ったと思えば
泊まらなくてもいいし、最期に立ち会えなくてもいいと。
それもそうですが、記事に書いたように、ひとりしかいないのに、
泊り込んで最期まで私がもつのか、亡くなってからも葬儀まで
倒れられないので、泊まりませんでした。
しゃちくんは家族が4人居たんですね、お兄さまはお兄さまで、
泊り込みたかったのだから、よかったと思います。
でも…私も他に家族が居たら、泊まることもあったな…
返信する
泣いて死ぬ。 (綱永井寵生。)
2023-06-14 16:37:22
人間、泣いて生まれてきます。そして死に瀕しても泣いて死んでいくのか。

私は父が入院し、次に会ったのが意識を無くした状態でです。コロナで誰にも会えず意識を無くした。意識を無くす前は夜泣きをしていたそうです。

父は多少の財産は残しましたが、家族からは慕われなかった方だと思います。そして私が止めるのも聞かずに家を出て鬱となり病状が悪化した。

戻りたいと言った頃には死が忍び寄っていました。間違いなく後悔して涙して死んでいきました。

みなみさんも母上を入院させるか自宅で介護するか迷われたと思いますが、自宅での介護を選択し母上の寿命も延び安心して亡くなられたと感じます。

みなみさんも強かった。母上も強かった。私や父とは雲泥の差です。良い別れが出来た。母上は安らかに旅だったと思います。
返信する
看取りは綺麗事ではありません (みなみ)
2023-06-15 21:08:17
書けないというか、文章では伝えることが無理な、様々な事がありました。
それをこのような記事にしているので、綱永井寵生さんのように、
良い方に取られるかもしれませんが、私の悩みも深かったです。
返信する

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