1966年から69年にかけて沖縄返還交渉の米側担当官を務めたモートン・ハルペリン氏が都内で赤旗紙の取材に応じ、「有事」の際に沖縄への核兵器の持ち込みを認めた日米密約について、「確かに存在しており、今も有効だ」と語りました。密約を否定する日本政府の説明が虚偽であることを裏付けると同時に、今なお米軍が沖縄で占領時代の特権を保持していることが浮き彫りになりました。
沖縄核密約(日米共同声明に関する合意議事録)は、69年11月21日に当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が交わしたもの。メースBなど、沖縄に配備されていた核兵器を本土返還までにすべて撤去する一方、「重大な緊急事態」の際には再び核を持ち込む権利を米側に認めました。
(写真)モートン・ハルペリン氏
日本政府は当時、沖縄返還は「核抜き・本土並み」だと説明していました。しかし、佐藤氏の密使だった若泉敬氏(故人)が94年に刊行した著書で「合意議事録」の存在を告白。同書によれば、若泉、ハルペリン両氏が密約作成を主導していました。2009年には佐藤氏の自宅からも合意議事録の原文が発見されています。
ところが外務省は民主党政権下で実施した一連の密約調査で、合意議事録は「発見されなかった」と存在を否定。同省が10年に公表した有識者委員会の報告書も、「必ずしも密約とは言えない」と結論づけ、その長期的効力について「否定的に考えざるをえない」としていました。
これに対し、ハルペリン氏は密約の存在と効力について「イエスだ。議事録は(両首脳によって)署名されたものでもある」と述べ、外務省の説明を明確に否定。「公益が優る場合は、国民に開示されるべきものだ」とも語りました。
政府は再調査し破棄を
民主党政権下で行われた日米密約に関する調査は、日本への核持ち込み密約(1960年1月の討論記録)への評価に見られるように、日米の合意文書そのものの存在は認めつつ「密約ではない」として本質をゆがめ、国民をだましてきた国家的犯罪を見逃しました。
沖縄核密約(合意議事録)に関して政府は、調査期間中に張本人である佐藤栄作元首相の自宅から原文が発見されたにもかかわらず、存在そのものを否定するという異様な姿勢です。しかし、沖縄返還交渉の米側担当官であるハルペリン氏がその存在と有効性を証言したことは重大です。政府は再調査を行い、密約を破棄すべきです。
ハルペリン氏は、72年の沖縄返還後、「すべての核兵器は撤去されたことを保証する」とも述べています。しかし、密約が「有効」である以上、米軍はいつでも核兵器を持ち込む権利を有しているのも事実です。沖縄返還後の74年7月、米空軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)所属のF4ファントム戦闘機が同県の伊江島射爆場で核模擬爆弾の投下訓練を行った事実も、日本共産党の調査で明らかになっています。
「非核三原則」を掲げる日本に核兵器が持ち込めるのであれば、それ以外の通常兵器は何でも自由に持ち込み、使用できるということにつながります。
深夜・早朝を問わぬ飛行訓練や、イラク・アフガニスタンなどへの自由出撃をふくめ、植民地的な米軍の特権が今なお沖縄で維持されているのです。