「禁止条約に言及、意味深い」
74年前の8月9日に原爆が投下された長崎市。24日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が同市にある爆心地公園を訪れて、核兵器のない世界へメッセージを発信しました。どしゃ降りのなか、被爆者や自治体関係者、子どもたち、カトリック信者ら1000人が参加し、じっと耳を傾けました。被爆者はメッセージをどう受け止めたのでしょうか。
亡くなった被爆者の谷口稜曄(すみてる)さん、山口仙二さん、渡辺千恵子さん、片岡ツヨさんの写真を手に参列したのは、長崎原爆被災者協議会の横山照子副会長(78)です。
「多くの亡くなった被爆者と教皇の言葉を聞こうと思ってきました。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャと国連で訴えた仙二さんたちの思いが伝わり、この爆心地公園で、教皇は核兵器廃絶を訴えてくださったのだと思います。対話で世の中をすすめていこうと普通の人が思うことを普通に言ってくれました」
長崎平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(79)は、教皇のメッセージについて、「政治家に対して、核兵器を含め戦争をやめるべきだという強いメッセージを発信したと受け止めた」と語りました。
「ヨハネ・パウロ2世のときと違い、核兵器禁止条約ができたなか、最後の被爆地・長崎で核兵器禁止条約にふれながら、核兵器廃絶を訴えたことは、意味深い」と話します。長崎・広島をもつ世界で唯一の戦争被爆国でありながら、「核の傘」から抜け出せない日本政府を批判。「この教皇の思いを受け止めてほしい。教皇は安倍首相と会う予定になっているので、働きかけてほしい」
日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳(てるみ)代表委員は、13歳のときに中川町で被爆しました。8月12日に爆心地公園付近に住む叔母を探しに来て、叔母の死を確認したことを語りました。
38年前にヨハネ・パウロ教皇が来られた時に比べ、地球市民は不安と不信が広がっている、と指摘。「一方で核兵器禁止条約も持っています。その流れは変えられません。教皇のメッセージは、核保有国に核兵器廃絶を求めるものとして発信された」と語りました。
この日、教皇は長崎市の西坂公園で、豊臣秀吉のキリシタン弾圧で殉教した「日本二十六聖人」に祈りをささげ、「すべての人に信教の自由が保障されるよう声を上げよう」と呼びかけました。長崎県営野球場では、約3万人の信徒らが参加する大規模なミサを執りおこないました。
教皇はその後、広島市に移動し、平和記念公園で開かれる「平和のための集い」に参加。平和へのメッセージを発表しました。
ローマ教皇「核兵器についてのメッセージ」(全文)
ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(82)が24日、長崎市の爆心地公園でおこなったスピーチ「核兵器についてのメッセージ」は次のとおりです。
愛する兄弟姉妹の皆さん。
この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。
人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。
国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。
ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。
核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])
今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。
カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則(のっと)り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。
核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。
こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞(ふさ)いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。
心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。
ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、わたしたち全員の祈りとなると確信しています。
主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみがあるところに愛を、
いさかいがあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望があるところに希望を、
闇に光を、
悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。
記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもっと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。
皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。