黒煙と炎、爆発音と辺りをつく異臭―。亜熱帯性常緑広葉樹のイタジイに囲まれ、そこだけがしっとりと浮かび上がる沖縄県東村高江の牧草地が、米海兵隊普天間基地(宜野湾市)所属の大型輸送ヘリ、CH53Eの炎上で衝撃の現場に一変しました。原形をとどめないほどに焼き尽くされた機体は文字通りの残骸。新基地建設が総選挙でも争点となっている沖縄の危険な現実がまた改めて浮き彫りになりました。(山本眞直)
11日午後5時すぎ。農作業中のハウス越しに立ち上る黒い煙。なんだろう、といぶかしげに見るうちに「自宅の方向だ」と気づき、車に飛び乗りましたが、家に着くまで心臓の動悸(どうき)が止まりませんでした。
炎上現場の牧草地から約2キロ北で、ハーブ園を営む渡久地政久さん(78)の体験です。
自宅は、米軍ヘリが炎上した義兄が所有する牧草地の敷地内。牧草は牛やヤギの飼料用で、刈り取った後、2、3日乾燥させて販売しています。
炎上した場所からわずか100メートルの豚舎では当時、義父の西銘清さん(85)が「子豚の世話をしていた」。豚舎に墜落していれば、「父の命も危なかった」と声を震わせました。
過去にも
牧草地への米軍ヘリの“不時着”は今回が初めてではありません。渡久地さんが怒りを押し殺しながら「牧草地と敷地内に米軍ヘリは1995年ごろから3回、不時着している。今度は“落ちた”」。
渡久地さんは「不時着の時は、すごい爆音で、びっくりしたが2、3時間で飛んで行った。当時は携帯電話もなく、役場に知らせることもできず、どこにも記録されていない」と言います。
95年と言えば、海兵隊員による少女暴行事件で広がった米軍基地撤去の県民世論に押され、日米両政府が普天間基地閉鎖と引き換えに新基地建設、北部訓練場の一部返還を持ち出した時期です。
それを口実に高江などへのヘリパッド新設という「県民の負担軽減」を名目にした新たな米軍基地強化策が始まったのです。
沖縄防衛局は、昨年12月に高江の集落を取り囲む形で6カ所のヘリパッドを「完成」。これを機に海兵隊の垂直離着陸機のオスプレイやCH53E大型ヘリなどによる飛行回数が激増。昼夜を問わない集落上空での低空飛行などが日常化し、住民からは「いつか落ちてくる」と不安の声があがっていました。
住民排除
高江区は、このヘリパッド建設に2度の反対決議をしています。政府は住民らの座り込み抗議に、機動隊員を全国から大量に動員、排除に出ました。
渡久地さんは伊江島(伊江村)の出身。中学生の頃、米軍の銃剣とブルドーザーによる土地の強制収容を目の当たりにしてきました。高江での機動隊による住民排除が、米軍による伊江島での基地拡張を拒否する島民排除と重なったといいます。
「米軍が基地拡張で住民を立ち退かせた。民家に火をつけ、抗議する住民を米兵が銃をつきつけて、ファスナー付きの袋に押し込み、ヘリコプターでつりあげて本島の基地に強制移動した。その時の子どもたちの泣き叫ぶ声が頭をよぎった」
炎上をニュースで知ったという高江公民館近くに住む、比嘉良寛さん(79)は、空を見上げながら、きっぱりと言いました。「高江のこと、辺野古新基地建設でも安倍政権はアメリカ言いなりだ。衆院選で沖縄の総意がもう受け入れないことをしっかりと示したい」