自分が死んだ後の骨の行き先に執着する人がいた。
冷静に考えればなんだか滑稽な事に思った。それこそ執着だ。生家は熱心な仏教徒なのに、なおさら滑稽にうつった。
野生動物などは死ねば、その場に野晒しとなり、様々な菌の餌となり、やがて土の養分になる。
しかし、我々は油をかけられ、燃やされ、熱とCO2を出して、最後まで地球に負荷をかけ、骨は土にも還らず、石の下だ。
それも不自然だと思うに、さらにどこの墓に入りたいとか、それなら管理料払えとか、なんとも浅ましい。
他人の執着心を見て、我が執着心を見よ。
ということかも。