老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

教養と共に大切なもの

2007年09月17日 | Weblog

戦後少しずつ経済成長と共に子供の手を借りなくても生活は出来るようになり、当時の大人達は自分が苦労した分、子供達には幸せを、過去 例のない程、そんなことを考えた時代であっただろう?

親の援助で高校、大学、と教養を身につけ、そして安全安心がガードするようになった時代、その時代は過ぎようとしている。そして二世其処になにが起きているのだろうか。

全体から見れば一部といえるかも知れないが自分たちが見てきた大人達の行動を身を以て子供達に教えられなかった結果がでているのかも知れない、教育を受けているものは何処に出ても、なにをしてもこなしていける。

うらやましくも思う。しかし、其処に人として持ち忘れてきたものがありはしないか? こんな話を聞いて思った。

Bさん映画館に入り暫く映画を楽しんでいると突然、映像が消えると同時に館内は一斎に点灯し、それから5分ほどしてから「火事です、火事です」と館内放送があり、Bさんはとっさに左側の非常口を目指して歩き始めました。

その時Bさんは、あれ?なんで?と疑問が生じた。それはBさん以外誰もがこの救急避難放送に対応を示さないばかりか、食べかけた御菓子を平然と食べ続けたいる人や、[どこが火事やろ]等と話し合っている人など、まるでよそ事のように誰一人避難しようとしなかったそうで、...

結果は、落雷による停電で火事は誤りだったそうで、入場料を返還するので暫く座席で待つよう指示があり、まずは安心して座席に戻ると、他の人達は先刻と同じ様子で雑談を続けている。

百人余りの観客を見渡したところ、小、中、高校生やその親御さんらしい年代の人が多く、「空襲警報発令」の報に整然と素早く避難行動をとった体験者らしき年代の人はいなかったようですが。

空襲はなくても、必ずあると言われる大地震に備えなければならないのだが、其処に安全安心に浸かり、何か起きれば身の危険より管理者の責任が頭を走る。

これでは被害を大きくしかねない。判断力、決断力、実行力、は一朝一夕で身に付くものではないいつ起きるきるかも解らない地震に備え日常生活の中で今から訓練を心がけなければ?、、、、