老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

難聴も楽しく暮らす

2017年02月03日 | Weblog

           S49年徳島に戻りましたが生まれた所はまだ30キロも離れた田舎なのでここでは頼りになる人はいません。まずは何をするか、資金作り 生活は

バイトなどし、何とかやりくりをしながら3年ほど過ぎてしまいました、当時仕事が一番多かったのが鉄工所なのでこれをするようになったのです。

 勿論鉄工所は手先が器用なだけでは出来ません、初めは小さな物ばかりでしたが小さくても家を作るとなればいろんな材料計算方法が必要になります。

それでもいろんな人に教えて貰いながら、仕事は一生懸命しました。下請けも多く現場に行くと昼休み、3時休みと皆が腰を下ろして休むのですが

私は耳が悪いので雑談も出来ず、地域の事も解りません、自分の仕事を続けていました。これも自営ならこそ出来た事で、仕事もそれだけ多く出来ました。

当時は補聴器などは使っていませんでしたが。あるとき突然鼓膜が破れ救急病院へ、治療後補聴器を付けること事になったのですが私の場合、とっても弱い

 周波数をひらう物でなければならないと言う事で、数十万と高い物になりました。それでも耳は年と共に悪化していきます、補聴器にも自命があります、

今回新しくしたのは4回目なのですが、器能はその度、良くなります。素晴らしい進歩ですね。しかし今回は電話も変えなければならない事になりました。

それは電話に電波が入ると電波をそのまま発信する物です。それを首に掛けている物で着信、そのまま補聴器に電波で音を伝えてくれます。

電話が鳴っても今までのように電話を取りだして開けなくても胸の物に付いている服の上からでも押せるボタンを押すことでそのまま話が出来ます。

ボリュームの上げ下げも非常に便利です。ここまでは申し分ありません、有り難いと思いました。しかし全てが万能と言う物ではなくて、充電が早く切れます、

特に胸につるしている物はとっても早く電池がなくなるので、よく失敗します。補聴器は電池も長持ちして声などは聞こえますし電池がなくなれば知らせてくれます。

しかし胸の物が電池を切らしても電話が鳴らないだけなので、あまり電話を使わない者には解りません。私は占い店を出していた事もあって時々

電話をくれるのですが、写真のようにタイミングで電池が切れていて、鳴らない事も今までは何度かありました。こう言う事にもなれるまで時間がかかります。