この港の近くには14歳で山間部の村から、丁稚奉公に来た思いで多い所です。
そして8年、旧正月明けの2月寒い朝の6時、皆んなと一緒起床、昼の11時30分出港の関西汽船で
大阪に出るため時間待ち、それが今、この大きな倉庫になっている待合室でした、今3か所に
扉が付いていますが当時はなく、何もない誰もいない椅子で1一人過ごしたことも思い出の一つ。
明るくなり日が上がる頃は人が来たりテレビが付きます。当時力道山のフロレスがあるとテレビは此処
だけしかないのでその時は付けてくれるのですが、当時のテレビはよく途切れて映らないことがありました。
それで皆んなワイワイ言いながらも帰らず見ていましたね、当時は貨物列車もここまで来ていて
荷物も人も多く、賑わった所ですが今は寂しいです。
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