もうね、このブログのカテゴリーには、
「いせ」って追加しきゃいけなんじゃ?って気がしてきた(笑)
(↑ので、作っちゃいました(笑))
ま、それはさておき、
我らが梅崎艦長が、地元唐津にて、
艦長の母校(小学校、中学校)及び、
紀元節の記念公演を行ってくださいました


内容は、主に、
皆さまの記憶に新しい、昨年の、
フィリピン災害派遣における、海上自衛隊の任務や実績についてのお話でした。
実際に、災害派遣に艦長として行かれた御本人から、
直接お話しいただける
という、望外の幸運に本当に感謝です。
心から、唐津市民でよかった…と思わずにはいられません
お話は、日本が海洋国家で
貿易の99.7%が海上輸送に頼っていることから、
シーレーンの重要性などから始まりました。
知っている人は知っていることですが、
言われなければ、知らない人が多いことだと思いますので、
こういう前置きをきちんとお話してくださったおかげで、
なぜ、海上自衛隊の海外派遣が重要なのかということや、
海上自衛隊の存在意義が非常に明確に分かりやすかったです。
ここで、私がなぜ、
「海上自衛隊」と限定していったかといいますと、
単に好きだからなのではなく(笑)
彼らの過酷な働きが、最も見えにくく、かつ知られていないからです。
海自や空自のファンではない限り、
自衛隊=陸自をイメージする人が多いのは、その顕著な例だと思います。
東日本大震災でも、
陸自の活躍や、基地自体が被害を受けた空自の事はメディアで流れましたが、
海自のことってほとんど流れていないですよね?!
あの時、稼働全艦が被災地に向かったことを、
一体、どれほどの日本人が知っているでしょうか?
おおすみが事故にあったことはニュースで流れても、
おおすみがどれほど、大きな貢献をしたかは流れません。
海上自衛隊の活動は、とても伝わりにくいのです。
フィリピンでの救助活動の様子は、
多くの海自ファンなら、
FBやHPによる、海上自衛隊の公式情報を見ていたことと思いますが、
写真だけでは、その様子がわかっても、
なかなか実情が見えません。
そういったことを、
実際に行かれた、梅崎艦長からお話を伺うことができたということは、
本当にありがたく、極めて貴重な機会という以外にありません。
さまざまなお話の中で、
私の心に響いたのは、
「感謝の継承」
についてのお話です。
前回まで、7回に渡ってお送りした「洋上慰霊式」ですが、
この時、フィリピン・レイテ沖でも洋上慰霊式が行われていました。
以前も、このブログで触れましたが、
いせ(伊勢)とレイテの関係から考えると、
行われるだろうとは思っていましたが、
洋上慰霊式というものに対する、艦長の想いの一端を知ることで、
慰霊式というものが、一層深く厳粛に心に落ちてきました。
「今まで、いろいろな国を見てきたけども、日本では、いつでも屋根がある温かい家に住めて、
いつでもおなかいっぱい、おいしいものを食べることができる。
それが、あたりまえである国の方が珍しい。
日本が、そんなに平和で豊かな国になる前に、多くの命が失われたこと、厳しい中生き延びてこられた人がいること、
それを決して忘れてはいけない。その感謝の気持ちを繋いでいくことが大事なんだ」
今、自分たちにとって、
当たり前、だと思っていることは決して当たり前ではないのです。
それを、当たり前だと思うことから、
人は感謝を忘れていくのでしょう。
逆に、
そのどれもが当たり前でないと気付くことから、
多くのことに感謝をすることができるようになるのだと思います。
先月の洋上慰霊式の時に、
中学生たちが乗艦していたことはブログでも書きましたが、
彼らもまた、
いせの皆さんに、フィリピン災害支援に対する感謝の文集を送っていたのだそうで、
そのお礼に、艦長が御招待をされたのだそうです。
これもまた、感謝の継承です。
本当に、人の想いや感謝の気持ちをとても大切にされていて、
こういう風に、
感謝が継承されていくことはもちろん、
その機会を丁寧に繋いでいらっしゃる梅崎艦長が、
本当に素敵
と改めて思いました。
ということで、
ここで、私も1つささやかながら、
いつもこのブログを読んでくださっている皆様に、
そして、
素晴らしいお話をしてくださった梅崎艦長に
感謝を表明し、
「洋上慰霊式艦橋編」にて
掲載を見合わせた、梅崎艦長のお写真を掲載させていただきます
(これはOKでした
)
いせの艦橋で艦長席にいらっしゃる艦長なんて、
そうそうお目にかかれるものではありませんし、
「おおすみ」の件で言及したように、
あの航行時の緊張感を、少しでも多くの人に感じて頂くことで、
海上自衛隊への理解が、もっと深まることを願って…。

いつも読んでくださっている皆様、ありがとうございます。
素晴らしい貴重な機会の数々を、梅崎艦長、ありがとうございます。
「いせ」って追加しきゃいけなんじゃ?って気がしてきた(笑)
(↑ので、作っちゃいました(笑))
ま、それはさておき、
我らが梅崎艦長が、地元唐津にて、
艦長の母校(小学校、中学校)及び、
紀元節の記念公演を行ってくださいました



内容は、主に、
皆さまの記憶に新しい、昨年の、
フィリピン災害派遣における、海上自衛隊の任務や実績についてのお話でした。
実際に、災害派遣に艦長として行かれた御本人から、
直接お話しいただける

という、望外の幸運に本当に感謝です。
心から、唐津市民でよかった…と思わずにはいられません

お話は、日本が海洋国家で
貿易の99.7%が海上輸送に頼っていることから、
シーレーンの重要性などから始まりました。
知っている人は知っていることですが、
言われなければ、知らない人が多いことだと思いますので、
こういう前置きをきちんとお話してくださったおかげで、
なぜ、海上自衛隊の海外派遣が重要なのかということや、
海上自衛隊の存在意義が非常に明確に分かりやすかったです。
ここで、私がなぜ、
「海上自衛隊」と限定していったかといいますと、
単に好きだからなのではなく(笑)
彼らの過酷な働きが、最も見えにくく、かつ知られていないからです。
海自や空自のファンではない限り、
自衛隊=陸自をイメージする人が多いのは、その顕著な例だと思います。
東日本大震災でも、
陸自の活躍や、基地自体が被害を受けた空自の事はメディアで流れましたが、
海自のことってほとんど流れていないですよね?!
あの時、稼働全艦が被災地に向かったことを、
一体、どれほどの日本人が知っているでしょうか?
おおすみが事故にあったことはニュースで流れても、
おおすみがどれほど、大きな貢献をしたかは流れません。
海上自衛隊の活動は、とても伝わりにくいのです。
フィリピンでの救助活動の様子は、
多くの海自ファンなら、
FBやHPによる、海上自衛隊の公式情報を見ていたことと思いますが、
写真だけでは、その様子がわかっても、
なかなか実情が見えません。
そういったことを、
実際に行かれた、梅崎艦長からお話を伺うことができたということは、
本当にありがたく、極めて貴重な機会という以外にありません。
さまざまなお話の中で、
私の心に響いたのは、
「感謝の継承」
についてのお話です。
前回まで、7回に渡ってお送りした「洋上慰霊式」ですが、
この時、フィリピン・レイテ沖でも洋上慰霊式が行われていました。
以前も、このブログで触れましたが、
いせ(伊勢)とレイテの関係から考えると、
行われるだろうとは思っていましたが、
洋上慰霊式というものに対する、艦長の想いの一端を知ることで、
慰霊式というものが、一層深く厳粛に心に落ちてきました。
「今まで、いろいろな国を見てきたけども、日本では、いつでも屋根がある温かい家に住めて、
いつでもおなかいっぱい、おいしいものを食べることができる。
それが、あたりまえである国の方が珍しい。
日本が、そんなに平和で豊かな国になる前に、多くの命が失われたこと、厳しい中生き延びてこられた人がいること、
それを決して忘れてはいけない。その感謝の気持ちを繋いでいくことが大事なんだ」
今、自分たちにとって、
当たり前、だと思っていることは決して当たり前ではないのです。
それを、当たり前だと思うことから、
人は感謝を忘れていくのでしょう。
逆に、
そのどれもが当たり前でないと気付くことから、
多くのことに感謝をすることができるようになるのだと思います。
先月の洋上慰霊式の時に、
中学生たちが乗艦していたことはブログでも書きましたが、
彼らもまた、
いせの皆さんに、フィリピン災害支援に対する感謝の文集を送っていたのだそうで、
そのお礼に、艦長が御招待をされたのだそうです。
これもまた、感謝の継承です。
本当に、人の想いや感謝の気持ちをとても大切にされていて、
こういう風に、
感謝が継承されていくことはもちろん、
その機会を丁寧に繋いでいらっしゃる梅崎艦長が、
本当に素敵

ということで、
ここで、私も1つささやかながら、
いつもこのブログを読んでくださっている皆様に、
そして、
素晴らしいお話をしてくださった梅崎艦長に
感謝を表明し、
「洋上慰霊式艦橋編」にて
掲載を見合わせた、梅崎艦長のお写真を掲載させていただきます

(これはOKでした

いせの艦橋で艦長席にいらっしゃる艦長なんて、
そうそうお目にかかれるものではありませんし、
「おおすみ」の件で言及したように、
あの航行時の緊張感を、少しでも多くの人に感じて頂くことで、
海上自衛隊への理解が、もっと深まることを願って…。

いつも読んでくださっている皆様、ありがとうございます。
素晴らしい貴重な機会の数々を、梅崎艦長、ありがとうございます。