「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

秋田駐屯地に「ただ」行ってきた(笑)  前編

2014年02月15日 | 陸上自衛隊
このブログ、申しわけないくらいに、


陸自ネタが少ないので(なんせ一昨年の総火演以来)


どうしたもんかと思った挙句、


とりあえず、秋田駐屯地に遊びに行ってみた(笑)


え?あ、はい。


東北地方の秋田県の秋田駐屯地ですが、何か?(笑)


え~、なにゆえわざわざかといいますと、


この時期って、別にイベントもないし、


っていうか、


一般的なイベントなら、私でなくても、


他の誰かが書いてくれるじゃん?みたいな(笑)


そんな感じで、東京まで行くついでに、


今しかない!と思い立ち、


「秋田に遊びに行ってもよろしいですか?」


秋田駐屯地の知人に連絡させていただいたところ、


「いいですよ」


と快い御返事を頂きましたので、


せっかくなので、お友達も誘ってみました。


「秋田の駐屯地に一緒に行かない?」


「いいけど、何かあるの?」


「ううん。別に何もないよ」


…まぁ、なんですか…


この返事で秋田くんだりまで、付き合ってくれるお友達がいるって、幸せです♪







二時間半くらい、新幹線に乗ってはるばる行き、


改札までお迎えに来て下った方のお車で、


駐屯地内に向かいました。


思ったより雪がなかったですね。


駐屯地に入り、まずは、


一旦、お手洗いに行かせて頂くと、


お手洗いが、すっごく温かいの


しかも、椅子とテーブルがあるお手洗い


数少ない、女性用のお手洗いなのだそうだけど、


お手洗いに、籐の椅子とテーブルセットがあるなんて、


かなり驚きました


ここで、私は、雪道に備えて、


こちらを装着



コレ、この2週間で、東京の東急ハンズでは、


めっちゃ売れたそうですねぇ。


でも、これはいいです…が、途中でかたっぽどこかで外れて無くしてしまいました





そして、向かったのは、


入口側にある、資料館。


ここでは、わざわざ、広報担当の方が、


御休みにもかかわらず、出てきて下さっていました。


ありがたいです


資料館といっても、プレハブみたいなところですが、


中がすごかった


なんと、日露戦争当時の資料があり、テンションダダ上がりです


大山巖元帥の直筆の指示書?だったかな?とか、


旅順攻撃の詳細ルートとか、うっひゃ~~~~でした


そんな処で萌え萌えしていると、


ぼそっ、と


「…ほら、ね…こういうところに食いつく子たちなんだよ…(笑)」


と、広報官とお話しする声が聞こえ、


「そうですねぇ…ここでこんなに喰いつく人って、見たことないですね(笑)」


と応える広報官の方(笑)


いや、でも、坂の上の雲観ている人は、絶対喰いつくって


また、戦前、秋田の駅前に陸軍の駐屯地があったようですが、


その当時の、部隊の旗が空襲の中を必死に護られ、


焼け残ったその一部が展示されておりました


しかも、房つき


そこには、その部隊名が記されておりましたが、


一説によると、それは、昭和天皇陛下の御手によるものだとか…。


存外レアな展示品が盛りだくさんで、


テンションは上昇する一方でした(笑)







この中で、非常に驚いた冊子が数冊ありました。


それは、


秋田市のある方が、


私財を投げ打って、秋田市内で戦死された方を調査され、


戦死者の方々を可能な限り纏められているものでした。


戦時中、誰がどこでどのように亡くなられたは、


なかなか知る術がないものですが、


御身内の方にとっては、


最も知りたい情報であるに違いありません。


それを、誰かに頼まれたでもなく、


私心を捨て、億という私財を費やして個人で調査されるなど、


あまりの凄さ、素晴らしさに、言葉もありません…。


また、そのような方がいらっしゃることを、


我々は、もっと知る必要があるとも思います。


その方は、誰かに称賛されたいわけではないでしょう。


ですが、その様な方の存在とその隠れた功績を、


英霊の方々に感謝を惜しまぬ日本人の一人として、


皆様にお伝えしたいと思わずにはいられません。


この事を知ることができ、


実際に手に取り、目にすることができただけでも、


秋田まで足を運んだかいがあったと感じました。