ものすごく、続きまで間が空いてしまいました…申し訳ございません。
…さて、バスで岸壁まで移動しまして、やって参りました
今年は、DE234 護衛艦「とね」に乗艦させて頂きます。
ラッタル登って、乗艦すると、タイミングよくばったりお会いしたのは…管理部長殿( *´艸`)
相変わらず素敵です
少しお話しして、私は艦橋に上がるために、中に入りました…ら、
艦橋に上がるためのラッタルのすぐ横に、艦内神社がありました。
この紫の幕がなんとも神社っぽいですね~。
どちらの神様がお祭りされているのか見たかったのですが、後ろから人が来られるので、いそいそとラッタルを登りました。
あぶくま型は、「じんつう」で2回体験航海に参加させて頂いているので慣れたものです(笑)
…というわけで、艦橋。
おお!親切な張り紙!こういうの好きです
分からない人の多いと思うので、こういうのはとても親切でよいと思います。
艦橋の皆さまの様子。
この、出港前の雰囲気好きだなぁ~( *´艸`)
そして艦長席の上を見上げると…
香取神社のお札が。
…やっぱり、利根川つながりで、千葉の香取神社…だろうと思う。
ってことは、下の艦内神社も、当然、香取神社だったのかな???
お札が気になりつつも、外を見る。
この光景もなかなか見慣れてきました(笑)
そして、
艦長さんの背中シリーズです
働く男の背中っていいですよね
ちなみに、艦長さんは、元「いずも」の船務長さんだった方です。
パッと見、クールな方に見えたのですが、親父ギャグを連発されるとても愉快な艦長さんみたいです(笑)
残念ながら、今回珍しく、私はお話ししていないのですが、話しかければよかったなぁ
さて、ここでの一番のミッションは、そう!出港ラッパです!
今回も、しかと撮ってきましたよ
それではどうぞ~
護衛艦とね 出港ラッパ
気づきました?…これ、艦長の「出港用意!」も最初に入ってるんですよ~( *´艸`)
出港したので、艦内探検へGO
まず、目についたのが…
おお!護衛艦の聖域中の聖域、CIC
中を拝見することは絶対に無理なので、こういう戦闘訓練中のお写真があるとすごくうれしいですね
っていうか、私は、テンション上がる(笑)
さらに下に降りて、操縦室を目指して廊下を歩いていると…
「ダメ!ゼッタイ!」の萌え系イラストが…ではなく…、この前の熊本の地震における、災害支援活動のパネルが展示してありました。
こちらは入浴支援のパネル。
ちなみに、この「大和の湯」は呉総監部の防衛部長殿による命名です( *´艸`)
なんかうれしかった~
そして、たどり着いた操縦室。
ここでは、「帝国海軍と艦内神社」の著者、久野潤先生とばったり!…って、神社でももちろん、お会いしてたんですけどね(笑)
ここで、しばらく写真とったりお話ししたり…。
そして、甲板に出ることに。
とってもいいお天気に恵まれたので、すごく気持ちよかったです
ただし、暑かったので、めっちゃ日焼けしましたが…。
じりじりと、暑さを感じつつも、船首側へ。
体験航海で、ここまで船首付近に立ち入らせてくれるのは、なかなかの大盤振る舞いだな~と思ったのは私だけ?
そして、操縦室・艦橋・食堂・甲板をぐるぐる回っているうちに、洋上慰霊祭の時間が近づいてまいりました。
これくらいの時間に、艦内をウロウロしていると、ゲートルを着けて銃剣を手にした海士くんたちや、
正装した儀仗隊指揮官と出くわすのが何とも楽しいです
「おっつ?!そろそろかな?」と思っていると、艦内放送でその旨が告げられたので、後部甲板に向かいます。
準備ちう。
できるだけいい写真が撮りたいので、少しでも空いているところを探していると、たいていいつも、そのあたりにいるおじ様方は
「よかったら、こちらどうぞ」
と、場所を譲ってくださいます( *´艸`)
海の男だけでなく、海の男を敬愛する人たちも女性に優しいのですね~ありがたいことです
こういう時、若い(ように見えるらしい…人によっては)女性が、自衛隊に興味があるというのは、まだまだ、世のおじさま方にとっては、
驚くべきことのようで、だいたい
「…若い女性がこういう所にいるというのは、珍しいですね」
と言われます。
まぁもう言われ慣れているので
「そうですか?最近じゃ珍しくないですよ(笑)」
と私はいつも返すのですが、この時、場を譲ってくださった紳士は面白い方で、慰霊祭が始まるまでお話ししていました。
結構、私がいろいろ詳しいことが分かると
「いやぁ~うれしいねぇ…こんなに海上自衛隊を真剣に応援してくれている女性がいるというのは…」
と目を細めてくれました。
応援してくれる人がいることを喜ぶ人は、まぎれもなくその方も真剣に応援している人ということで、いわば同士。
好きな対象を、互いに同じ価値観で好きという想い、大事にしているという想いを共有できた瞬間というのは、なんとも幸せですね。
ちなみに、いくら同じ対象を好きでも、価値観が同じでなければ、相容れることはできないというのが、ファンというものだと思います。
価値観というのは、「されるといやなこと」が共通していることです。
これを書き出すと長くなるので、ここまでに致します(笑)
さて、準備が整い、第一種に着替えられた乗員さんたちが整列され、儀仗隊と指揮官が入場。
…私、とてもいい場所を譲っていただいたのですが、いい場所すぎて、ちょっと…近すぎた(笑)
久野先生から送ってもらった別のアングルからのお写真はコチラ…。
おおおお!これは美しいですね。
自衛艦旗も入っていて、非常に美しいショットです( *´艸`)
慰霊祭が始まり、艦長さんが、日露両英霊に対しての哀悼の意を表されたご挨拶がありました。
それからは、動画でご覧ください。
献花
弔銃
弔銃発射のあとの、ちょっとこの陽気な?感じのラッパは初めて聞きました…これ、なんか不思議だったな~。
この後、乗客も献花をします。
私も、もちろんいたしました。
日露戦争と言えば、世界史上、有色人種が初めて白人に勝利したという、ものすごい戦争です。
ましてや、この時代の日本は、まだ自国で軍艦すら作れず、借金をせねば戦争もできないような国でした。
わずか数十年で、ここまでの海軍を作り上げた山本権兵衛初めとする海軍人たちには、どれほどの苦労があったことか、想像もできません…。
しかし、そのわずかな年数で、最強と言われたバルチック艦隊を、疲労のピーク時にとはいえ、殲滅するに至ったという快挙は、
もう少し、学校の歴史の授業でも取り上げられるべき内容だと思います。
もちろん、陸軍が、難攻不落と言われた旅順攻略を成し遂げたことも。
それだけでも、きちんと子供たちに伝えることができるなら、どれほど日本人としての誇りを育てていくことができることかと、
思わずにいられません。
そんなことを思いながら、次々と献花され、流れていく花を見ていました。
私はいつも、特攻隊の遺書を読むと、今の日本をとても彼らには見せられないと、非常に申し訳なく思います。
同様に、明治時代の日本人にも、非常に申し訳なく思います。
共通している想いは、彼らが命を捨てて護ってくれたこの国は、彼らが命を捨てるに値する国であるだろうか…?ということです。
親が子を殺し、子が親を殺し、自分勝手な人間が増えてしまったこの国は、彼らが命を懸けて守る価値があったのだろうかと。
明治時代の日本人から見ても、昭和の大東亜戦争時代の日本人はすでに、劣化しているように感じていた人が当時はいたようです。
とすると、文明だけは進化し、お金だけは豊かになったのに、人間の質は明らかに劣化しているのが、この国。
この国の劣化を少しでも止めたいと願う次第です。
まだまだ、美しい部分が残っている今のうちに…。
そんなことを考えた、111Zでした。
…今回、「チャンネルNippon」にて、日本海海戦記念日について、また別の視点で記事を書いています。
下記にリンクを貼っていますので、よかったら覗いてみてください。
こちらもよろしくお願いいたします
↓↓↓↓
チャンネルNippon みね姉の見た防人たちの素顔
ブログだけでは書ききれない、自衛隊の姿を綴っています。
【インスタ始めました】
https://www.instagram.com/mayumix.ise/
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