詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

願い

2015年01月30日 | 
願いは真ん中にあって
恐れのために
そのまわりをぐるぐると回っている。
衛星のように
引き寄せられながら
近付くことができない。
しばしば
実はそのように
弾かれている
ということにも気付かずにいる。
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レモンバターケーキ

2015年01月25日 | 雑記
年末に久しぶりにケーキを作ったことを書きました。
マーブルケーキ。

パウンド型がなかったのでホール型で焼いたら
量が少ないので、とても薄いケーキになりました。
その上、バターを室温に戻さずに混ぜ始め、
部屋が寒いのでまったく溶けず
混ぜても混ぜても、本に書いてあるような白いクリーム状にならず
もういいや、と思って次の段階に進んだようないい加減な作り方。
でもオーブンに入れて焼いていると
おいしい匂いが部屋いっぱいに広がるし
口当たりはもそっとして重たい感じでしたが、
あとをひくおいしさ。

ケーキ屋さんのケーキのような
品のいいおいしさは出ないけど
手作りのケーキって満足感も手伝ってか
すごく美味しく感じませんか?
(作った本人が言うのもなんですが)

それで貴重な無塩バターも余っていることだし
またケーキを作りたい!という熱が冷めないうちに
スーパーで広島産のレモンが置いてあるのを見つけました。

国産のレモンはあまり見かけない気がして、
売っていると、「おっ」と思って買いたくなります。
でもいつも使いきれないんです……。

余談ですが、
高松にいた頃、夫の同僚の、
兼業農家をしているという実家の敷地には
レモンの木が植わっていて、何もしなくてもじゃんじゃん実がなる、
という話を聞いたのですが、なぜ国産レモンは少ないのでしょう?
私もレモンの木が欲しいと思うのですが。
植える敷地もない上に、そもそも1個でもなかなか使いきれない人には
必要ないですね……。

話を元に戻しますと、
国産レモンがあるのなら
本で見ていたレモンバターケーキを作ろう!
と思い立ったのでした。

というわけで、金曜日の夜にレモンのシロップ煮を作り、
昨日初レモンバターケーキを作りました。

前回の失敗を繰り返すまいと、
前日からバターと卵を部屋の中に出しておいたのですが
なにせ寒いので、全く溶けておりません。
それで先日初めてご飯を一緒に食べに行った
職場の人からのアドバイス
「電子レンジを使ったらいいじゃん!
あなた、前も少し思ったのだけど、もしかして天然?!」
をもとに、電子レンジでチンをしてみましたが
全然足りなかったようで、結局今回もバターと砂糖を「すりまぜる」のに
とても苦労して、最終手段の湯煎作戦でなんとかごまかしました。
それでも本にあるような白っぽいクリーム状にはほど遠い。

その上、卵を少しずつ入れなければいけないのに
最初にどわっと入ってしまい、完全に分離しておりました。

まあでも手作りは失敗してもおいしいのよ
と、めげることもなく、なんとかオーブンに入れて焼き始めました。

ここからが本当にわくわくタイム。
オーブンの中っておとぎの国みたい。
黄金色の光の中に、ふわふわしたしあわせのタネみたいなものがあって
(『幸福のパン種』という堀口大學の詩集がありますね)
だんだんそこからこんがりの匂いがあふれてきて。

前回よりは分量が多かったものの
今回もホール型にして、底いっぱいに広がらないくらいだったので、
またぺしゃんこかなぁと思ったのですが……。

どうしてどうして
どんどんどんどんふくらんでいくではありませんか。
最後には山のように大きくなって
わぁっと子どものようになってしまいました(←これは私)。

オーブンから出したときの感動。
なんておいしそうなんでしょう!!!

なんだかなんだか、
私の中で、ケーキが息を吹き返しました。

子どもの頃、ケーキは特別なものだったと思うのですが
大人になったら、食べたければすぐに買って
しょっちゅう食べられます。

けれど、こうして夫も駆り出して
「もうオレの腕は死んだ」とか言いながら
交代で泡だて器をじゃかじゃかして
オーブンの魔法でケーキとわくわくがものすごくふくらんで
そして見栄えは悪くてもそれなりのものができあがると
ケーキがその特別感と素晴らしさを取り戻すような気持ちがするんです。

「ケーキって、贅沢なものなんだね」
としみじみ。

ところがところが
型から取り出すところまではものすごく上手にできました。
そのあと、どうすればいいんだっけ?
網(てんぷらをあげるバットについている網!)にのせて
放置してしまったのです!
出掛けてしまい、数時間経過。
急にあんなに置いておいたらまずいんじゃない、と思い出し、
慌てて帰ったものの、まわりがコチコチ。
ネットで調べると(先に調べればいいのに!)、
荒熱が取れたら、ビニール袋に入れてしまわないと
水分がとんでパサパサになる、とのこと。
それで、自分でもびっくりするくらい、子どもに戻ったみたいに
がっかりしてしまったんです。

幼稚園の頃、家の鍵を母が開けてしまって、
「私が開けたかったのにー!!」と
ものすごく駄々をこねたことがありました。
「じゃあ戻ってもう一回やり直そう」と母が言うのに、
「いやだ、もうあの時には戻れないー!!
あの時じゃないとだめなのー」と泣きました。
あの気持ち。
もうあの時には戻れないよーと駄々をこねている自分がいるんです。
製作過程の失敗はぜんぜん気にしなかったくせに。
どうしちゃったんでしょう。
なんなんでしょう。
ほんとに、あきれますよね……。

子どもに戻りたくなったら、ケーキを作ろう!
なんて、ごまかしてみたり。

ところで出来あがったケーキはまだ食べていません。
今夜兄の家に行くので持っていきます。
パサパサでしょうけど、きっとおいしいんじゃないかなぁ
(絶望を乗り越えての希望的観測)。


お鍋の中のEXILE(これからレモンのシロップ煮を作ります)


早く食べたい


こちら側のレモンはだいぶはじっこに追いやられています




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2015年01月21日 | 
雪が降り始めたときの表情
あ、雪だ、と手を差し出すあなたは
とても無防備で
白い空を映す窓のように
受け身でひっそりとしている

その手は
残酷な出来事と日々を
秤にかけることを忘れて
憂いを小鳥のように飛び立たせた後の形
たくさんの結晶が舞い降りてくる
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影絵

2015年01月17日 | 
朝は六時前に起きて
まずカーテンを開けてみるから
向かう先は逆なのに
この夕べ
太陽の裾がすっかり見えなくなるときの様子が
朝と同じだとわかる
ほとんど閉じられかけている
このドームの縁のぐるり
一番遠く一番近いところで
懐かしい劇を再現している
スイカの身と皮の間のような薄まった色を経て
朱から藍にいく
けれど見上げてしまえば頭上を覆い尽くすのは
夜という不思議な名前
青、緑、赤、黄の光がぽつりぽつりと
めいめいの場所で何かを思い出そうとする演技
土手は黒い影
空にまだ藍が残っているから
自転車が白いライトを押しながら
土手の上、黒く踊る木立ちの向こうを
遮られながら走っていくのが見える

静けさも澄んだ空気も
こんなにも深く
まだ藍がこの世界を支配しているから
小さく押し込めようと
四方八方から迫ってくる
寒さと競り合っても
受け取るものの多さに
閾を越えてあふれ出し
ひろがっていくものがある

それがメッセージなのだと
そう感じられることがメッセージなのだと感じたいほど
喜びなのか祈りなのかわからない
ただひたすらに藍が透きとおっている
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暮れる

2015年01月11日 | 
雲は竜の腹となって
街の上をのたうちまわる
苦しみは赤く
壁面やガラスにあたって飛び散る
体をこすりつけるようにして地上に迫ると
たくさんの人の顔がそこに明滅しているのが見える

裸の木々をなぎ倒し
のんびりしている川に息を吹きかけ
小さな花を一輪そっとつかんだ

窓辺に座る白い猫は
関わりたくないと澄まし顔
竜を映す額縁におさまって
自らも光のひとすじになっていることにも気付かずに

もう長くは生きられまい
誰かの声に
竜は異を唱えようとするかのように
もう一度強く赤く光って力尽き
急速に青ざめ始める

長い尾が地面をたたくと
黄色い砂埃がもうもうと立ち込めた
最後に大きく目を見開いたので
電線や鉄塔がくっきりと立ちあがり
茨のように青い額を刺す
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