詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

闇の奥へ進む(足尾銅山へ)4

2017年06月28日 | 雑記
先日(といっても6/11、もうしばらく前だ……)サンデーモーニングを見ていたら、ちょうど、渡良瀬川の鮎が解禁、というニュースを取り上げていた。足尾の公害、田中正造についての話も出ていた。日本における労働争議のはしり、と言われているらしい。銅山での労働は、相当過酷なものだったのだ。

田中正造の話はきっと社会科の授業でも習っただろうし、足尾銅山観光でも読んだし、センターの方からも教えてもらった。明治時代、きっと命懸けで、国に公害を訴えた。歴史に残る大演説をしたらしい。かっこいい。それでこそ政治家。国民を騙すための上手なスピーチなんていらない。国民のために誰かの気持ちを動かす、そういうためにこそ、いかに説得するか『伝え方が9割』で策を弄し、感動的なスピーチを作り上げることは、とてもとても大切なことなのだろうと思う。(2016/6/29「伝え方をめぐって伝え方を考えずに書いてみる」をよろしければ……)こんな人も、いるのだなぁ。

かく言う自分は何もしていないのだから、何も文句を言う資格はないのだけれど……。「何もしていない」とは何かと考えると、自分の中で何も努力していない、という気持ち。何かしら信念を持ってそれに向かって努力する、ということができていない、という気持ち。信念というか、理想というか。理想の在り方を思い描いて近付こうとする、というのは大事なことなのかも、などと、いまさら思う不惑の人。ただなんとなく生きている惑ってばかりの不惑の人。

足尾環境学習センターの方のお話によれば、銅山で働いていた人たちは長生きできなかったらしい。劣悪な環境で粉じんをたくさん吸い込んで。そんな人たちは信念、なんてこともきっと考えなかった、考えることもできなかっただろう。ただ生きるために働くしかなかっただろう。そんな中で、もし一緒に働いていて尊敬せずにはいられない人がいるとしたらそれはどんな人かな、と考えてみる。

やっぱり、自分の中に、こうありたい、という姿があって、それにがんばって近づこうとしている人かなぁ。たとえば、銅山で自分が従事している作業に精通するとか?でもこういう過酷な環境だと、きっと人間を試されることもたくさんあって……。私みたいな弱虫は自分の情けなさを気付かされるばかりでとても悲惨なことになるのだきっと。

この記事のタイトルだって、「闇の奥へ進む」などとしてみたものの、そうしてみただけで、あ、闇の奥へなど進めっこない、という、自分に気が付くのであった。

話がだいぶそれてしまったけれど、この足尾環境センターの方から、「さらにこの先の松木渓谷へ行ってみるといい」と言われた。「今日はもう遅いけど」と。そうなのだ、早くも日が暮れ始め、あたりが暗くなってきてしまった。そしてこの松木渓谷こそ、鈴木先生が語っていた場所なのではないか。一番大事なところ……。一般の車両が通行止になっているところまでは行ってみたけれど、その先は諦めた。足尾銅山観光で興奮して時間を使い過ぎてしまった。残念だったけれど、いつかまた訪れたい。

仕方がないので、センターの方にもらった地図を見ながら本山坑エリアを通り、小滝坑エリアを抜けながら、それらしい跡をいくつか見てまわった。小滝坑エリアには中国人捕虜収容所跡があって、中国各地から強制連行されて銅山で働かされていた人たちの寮があったようなのだけれど、天気と時間帯のせいか、あたりが暗く、夫は(そして夫には言わなかったけれど実は私も)なんだか気持ちが悪くなった。カーブも多いところだし、車酔いなのかもしれないけれど、なんだか空気がどんよりしている気がする。ここで働かされていた中国の人たちはその後どうなったのだろう?悲しく苦しいという感情が、いまもずっと漂っているのかもしれない。


いつも以上に脈絡のない文章になってしまいましたが、足尾銅山の話はこれで終わりです。とても興味深いところです。機会があればぜひ行ってみてください。ぜんぜんお勧めにふさわしい文章になってないのですが……。長くなってすみませんです……。いろいろいろいろ考えてしまったもので。













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闇の奥へ進む(足尾銅山へ)3

2017年06月20日 | 雑記
とんでもなく距離のある坑道を、どのように行動していたのだろうか?

なんて。駄洒落はともかく、全長が東京から博多ほども距離があり、高低差も1000mもある坑道ならば、作業の現場へ行くのに時間がかかり過ぎてしまう、という前回の疑問は、このあとに訪れる砂防ダムのある銅親水公園内、足尾環境学習センターの係の方のお話で解消された。

考えてみればそれはそう、で、全長1200㎞もの坑道は一気に掘られたのではなく、もちろん江戸時代なんかは全て手作業だったのだから、そんなに深く掘れるわけはないのだった。実際、明治の頃に一度閉山状態になるが、それも、ある程度掘り進んでしまって良い鉱床がなくなってしまったからのようだ。

恐らくは開国によって、海外からもいろんな技術が入ってきて、機械を使ってより深くより効率的に採掘できるようになったことで、再び良い鉱脈を発見、発展したらしい。人の運搬にも石の運搬にも、トロッコ列車やエレベーターが使えるようになった。

足尾銅山観光では、そのトロッコ列車に乗って暗い坑道内へ入っていける。子どものようにわくわくしてしまう。廃線、トロッコ列車、好きだよなぁ、わたしたち、みんな。なぜかしら。

足尾銅山観光をあとにして、鈴木先生から聞いているその先にさらに進む。しかしながら、なんとなく聞いた記憶だけで来ているものだから、どこがその場所なのだか、正確にはわかっていない。ダムが見えてきた。きっと鈴木先生がお話ししていたダムだ。そこは、一帯に生息している日本カモシカ!をモチーフとした巨大壁画のある公園になっていた。

駐車場に車はとまっているけれど、人の姿は見えないし、クマに襲われないかな、とビビりながら(実はその前に足尾駅でクマに注意☆という貼り紙を見たのだった。とても素敵な駅で、ロケに使いたい!と思ったら※実際に『海街ダイアリー』のロケで使われていたとのこと。ああ、あの場面ね!納得)橋を渡り写真を撮り、していると建物が見えてきて、人がいるのもわかり、少しほっとする。こちらが学習センター。

もっと先の展望台まで、再びクマにはビビりながら、でも日本カモシカを見かけることは期待しながら山を少し登り、あたりを一望したところで、クマが怖いのでそそくさと降りてきて学習センターへ向かった。外に立っている係の方にいろいろ教えて頂く。

つづく

※自分の中でぐっとくる良い場所を見つけると、最大の賛辞は「ロケに使いたい」。もちろん撮影なんてしてないのだけれど、プロモーションビデオとか、映画とかドラマとか、ロケに使いたくなる場所、ありますよね?ただその景色だけで。美しいだけではない、むしろ美しくないときさえある。なんだかとても雰囲気があって、わくわくしてしまう、そんな景色。私に才能があったなら、その景色を使いたいがために、物語を書くだろうに。






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闇の奥へ進む(足尾銅山へ)2

2017年06月13日 | 雑記
工場萌えもそうだけれど、人はなぜ、ああいう景色に惹かれてしまうのだろう。それが日常で、しかも過酷な現実であれば、気が滅入る景色でしかないのだろうけれど、そこでの現実を知らない人間にとっては想像力をかきたてられてしまう不思議な世界なのだった。

アウシュビッツの強制収容所へ行ったなら、もちろんそんなことは思わないだろう、と思うのは、恐ろしいものであるという知識が少しは身に付いているからなのだろう。それなのにやはり負の歴史を持つ足尾をどこかロマンチックな目で見てしまう自分。どうかと思う。

足尾銅山の全坑道を立体的に現した映像を見る。まるで蟻の巣のようだ。その全長1234㎞!メートルではなく、キロメートル。なんと東京から博多へ行くよりも距離がある。ほんとうに!?

上下だって1000mもある。大学生の頃、山登りのサークルに入っていたけれど、一日に登る高さがだいたい1000mだった。深い。

足尾銅山は江戸時代の初期に農民二人が鉱床を発見して以来、1973年まで銅を算出していたとのこと。約400年もの間。ほぼ閉山状態のこともあったそうだけれど。

学校で習っても、ちっとも興味を持てなかったと思うのだけれど、実際に来てみるととても面白い。たとえ来たにしても、子どもの頃は、自分とのつながりをぜんぜん見出せなくて、いまほど興味を持てなかっただろう。勉強は大人になってからしたほうがいいのではないかと思う今日この頃。賢い子は幼い頃から何事にも興味を持てるのかもしれないけれど。

暗く、水の滴る坑道を歩きながら「全長1200㎞、高低差1000mもあるならば、いま現在掘っている場所に辿り着くまでに、とても時間がかかってしまう。すると中で寝泊まりして数日ずつで交代していたのだろうか?」と思った。思うだけでなく声に出して言う。こういうとき、やっぱり誰か気のおけない人(夫だけど)が一緒にいるととても助かる。つぶやきたい。というか、ぐいぐい袖をひっぱって、ねえねえどう思う?と言いたい。質問調でありながら、ほんとうは、私はこんな疑問を持っている、と言いたいだけなのだけれど。すごく、迷惑な奴。

つづく

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雨宿り

2017年06月11日 | 
建物の下をアーチのように
くぐり抜けられる通路
その両側にベンチがある
壁面に彫られた像のように
その暗がりに座っている

雨音の形が草花や
アスファルトや煉瓦に
ぶつかってわれる
雨樋や排水溝をうたう

樹々を飛び交う鳥の鋭い声が
ときおり栞のように挟まれる

何十種類もの水の音が
意識のわれめに沿って
内側へ沁み込み
ひとすじのインクを結ぼうとする

あれは

いつのことだろう

結ばれそうになって
ほどける
それはいつなどと
名付けられるようなものではなく
透明な時

水はしゃぼんのような
わたしの外側を
伝い流れていくらしい
耳を澄ますと
ひとの記憶を持ちながら
わたしもしずくの一滴となって流れている
なにかのうえを水の影になって流れている

結ばれない時の中で
聞いているわたしは幾重にも透明で
心でも体でもなかった


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そういえばのツバメ

2017年06月09日 | 雑記
携帯の中に入っている写真を見返していたら、こんな写真が出てきた。かわいいでしょ。高松に住んでいた頃、会社に行く途中で見つけた。そういえば、高松では街中でも、ツバメをよく見かけたし、巣をあちこちで見つけた。東京でも、私が子どもの頃には見かけた気がするけれど、近ごろあまり見かけない。マンションが増えて、巣を作れるような軒下が少ないからかな。もしくは、高松、特に私が勤めていた会社の近くなんかは、栗林公園の背後の森から飛んでくるのかも。



日付を見たら四年前の6月5日だった。
いまはツバメが子育てする季節なのだなぁ。
それとも西と東では多少時期がずれるのだろうか。桜前線ならぬ、ツバメ前線。

高松と東京を何度も行き来するうちに気が付いたこと。日本全国同じ時刻を指す時計で生活しているけれど、経度が違うから、日が昇る時間、沈む時間は異なっている。当たり前といえば当たり前なのだけれど、そのような生活をするまで気が付かなかったし、気が付いてびっくりした。

高松は東京よりも遅くまで明るい。日も長い気がした。それはもしかしたら、朝は起きるのが遅いから、東京のほうが早く日が昇ることには気付かないけれど、夕方は当然起きていて、日が暮れていくのを見ているから、夜になる時間がずれていることだけに気が付くせいだったのだろうか。

それとも、日の長さも少しは違う?緯度が異なるから、やっぱり高松のほうが少しは長いのだろうか。そんなことは調べればすぐにわかることなのだろうけれど、実際に自分で感じて知るほうがおもしろい。

ツバメは春の到来を告げるとよく言うけれど、ツバメが飛んでいるのを見ると、そういえば……、と思う。

そういえばもうそんな季節。
そういえば近ごろあまり見なかったな。
そういえば去年ツバメを見かけた頃は旅行に行ったな。
そういえばそういえば。

そういえば季節は、「そういえば」と強く結びついている。何度も繰り返すから、記憶というものを持ち、終わりということを知っているわたしたちはそれを愛するし、歳を取るほどますますその愛は深く繊細になる。


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