とつぜん買った家は、どうなったの?
人が家を買った話なんか、読みたいかな、と思ったら、続けられなくなってしまった。
「いつも、もっともっと、誰が読むのよ、というような記事を書いているくせに」という冷やかしがすかさず入ってくるのだけれど(自分の中で)。
そして、それだけでもなく、まあいろいろありすぎて(自分の中で)、ちまちま書いているうちに時が過ぎて、台風の目が三つも四つも来てしまって(自分の中で)、なんだか書くことがなくなってしまった。味わい尽くしてしまったもので。まだ渦中なのだけれど。
でも、私が何かを書くとしたら、そのベースは日記で、それは自分の心のオーロラのような変化を記録したいという気持ちで、そうなると、やっぱり家を買うということはとてもとても大きなことなので、やっぱり書かずにはいられません。
と、そういう結論、出ました。もしもお付き合い頂けましたなら幸いです。2にもなって、いまさらですけど。
それで、家。
なんか、すごい。
大きいことってすごい(家が大きいわけではないです)。
それまで、ちまちまちまちま考えていたことを吹っ飛ばしてしまう。ちまちまちまちま考えても、わかったようなわからないような気持ちでいたことが、一気にわかるような気がしたり。
自分がどういう人間かがすごくよくわかる。
自分がどれだけチキンで、だからこそ、ちっちゃくちっちゃく生きてきて、けちんぼなのもよくわかった。心配なんです、ともかく。なんでもかんでも、すぐ心配。すぐ悪いほうを想像する。
心配だから極力、生活は変えない方向に持っていく。そういう自分の心の仕組みが、今回ものすごくよくわかった。
前回書いたことで、ひとつ、弁解、というか、弁護、というか、納得したことをとりあえず書いておきたい。不動産会社について。
購入の契約をするまで、とても悩んだけれど、契約してしまうと、急に気持ちがすっきりした(その後もさんざん悩むのだけれど、結局)。何十年も優柔不断で生きてきたのに、決めるって気持ちがいい、とさえ、たぶん生まれて初めてくらいに、思った。決める努力をしてくれたのは、ほとんどだんなさんだったけれど。
これがもし、「契約はいつでも、その気になったときに、でいいですよ」なんて言われていたら、たぶんずーっと悩み続けていつまでも決められなかったと思う。
そして、冷静になってみれば、申し込みから契約までの時間がタイトになっているのも仕方ない、と思えるようになった。売る側からしてみれば、安いものではない商品を、買うのか買わないのかはっきりしない客のためにいつまでもキープしておくわけにはいかない。だから申し込みをしたなら一週間以内に契約してもらう、という流れが必要なのだと納得した。
ネットでいろんな情報を見ていると、たとえば契約をした途端に態度が豹変した営業マンの話など読んでしまって、夫が契約のサインをした瞬間に、営業の人の態度がどう変わるのかと恐ろしい気持ちでその顔をじっと見つめていたが、何も変わらなかった。
というか、それは最初からなんとなく気付いてはいたのだけれど、私たちの担当をしてくれた営業の人(女性)は、ほんというと最初からとても感じがよかったのだ。ちょっとお友だちになりたいくらいに。あちらは、私のいろんな質問攻撃のせいで、この人とはお友だちになりたくない、と思っているかもしれないけれど。
それでも、そんなことはおくびにも出さず、契約をした後もとても丁寧。内覧会の時も、こういうところもしっかり見てくださいね、と教えてくれたり。営業トークの合間にときどき口を滑らせてしまうのも逆に誠実な人に見えてしまって、こんな大変な仕事をしているんだもの、きっとタフでしたたかだろうけれど(余計なお世話ですね)……「いい人だね」と夫と私、二人になると話していた。
内覧会はどきどきした。申し込みの前にも部屋を見ていたわけだけど、そのときはまだ買うつもりもなくて、見方は結構適当だった。だからここで初めて落ち着いて部屋を見た。ようやく、あ、思っていたより良い部屋かも、と感じた。
もう契約もしてしまったくせに、ほんとにいまさらなのだけれど、うん、いいかも。そうだ、最初に見に来た時(そのとき実際に住む部屋を見られた)、月がとてもきれいに見えたのだった。その印象が、ずっと頭に残っている。
つづく
……かもしれない
人が家を買った話なんか、読みたいかな、と思ったら、続けられなくなってしまった。
「いつも、もっともっと、誰が読むのよ、というような記事を書いているくせに」という冷やかしがすかさず入ってくるのだけれど(自分の中で)。
そして、それだけでもなく、まあいろいろありすぎて(自分の中で)、ちまちま書いているうちに時が過ぎて、台風の目が三つも四つも来てしまって(自分の中で)、なんだか書くことがなくなってしまった。味わい尽くしてしまったもので。まだ渦中なのだけれど。
でも、私が何かを書くとしたら、そのベースは日記で、それは自分の心のオーロラのような変化を記録したいという気持ちで、そうなると、やっぱり家を買うということはとてもとても大きなことなので、やっぱり書かずにはいられません。
と、そういう結論、出ました。もしもお付き合い頂けましたなら幸いです。2にもなって、いまさらですけど。
それで、家。
なんか、すごい。
大きいことってすごい(家が大きいわけではないです)。
それまで、ちまちまちまちま考えていたことを吹っ飛ばしてしまう。ちまちまちまちま考えても、わかったようなわからないような気持ちでいたことが、一気にわかるような気がしたり。
自分がどういう人間かがすごくよくわかる。
自分がどれだけチキンで、だからこそ、ちっちゃくちっちゃく生きてきて、けちんぼなのもよくわかった。心配なんです、ともかく。なんでもかんでも、すぐ心配。すぐ悪いほうを想像する。
心配だから極力、生活は変えない方向に持っていく。そういう自分の心の仕組みが、今回ものすごくよくわかった。
前回書いたことで、ひとつ、弁解、というか、弁護、というか、納得したことをとりあえず書いておきたい。不動産会社について。
購入の契約をするまで、とても悩んだけれど、契約してしまうと、急に気持ちがすっきりした(その後もさんざん悩むのだけれど、結局)。何十年も優柔不断で生きてきたのに、決めるって気持ちがいい、とさえ、たぶん生まれて初めてくらいに、思った。決める努力をしてくれたのは、ほとんどだんなさんだったけれど。
これがもし、「契約はいつでも、その気になったときに、でいいですよ」なんて言われていたら、たぶんずーっと悩み続けていつまでも決められなかったと思う。
そして、冷静になってみれば、申し込みから契約までの時間がタイトになっているのも仕方ない、と思えるようになった。売る側からしてみれば、安いものではない商品を、買うのか買わないのかはっきりしない客のためにいつまでもキープしておくわけにはいかない。だから申し込みをしたなら一週間以内に契約してもらう、という流れが必要なのだと納得した。
ネットでいろんな情報を見ていると、たとえば契約をした途端に態度が豹変した営業マンの話など読んでしまって、夫が契約のサインをした瞬間に、営業の人の態度がどう変わるのかと恐ろしい気持ちでその顔をじっと見つめていたが、何も変わらなかった。
というか、それは最初からなんとなく気付いてはいたのだけれど、私たちの担当をしてくれた営業の人(女性)は、ほんというと最初からとても感じがよかったのだ。ちょっとお友だちになりたいくらいに。あちらは、私のいろんな質問攻撃のせいで、この人とはお友だちになりたくない、と思っているかもしれないけれど。
それでも、そんなことはおくびにも出さず、契約をした後もとても丁寧。内覧会の時も、こういうところもしっかり見てくださいね、と教えてくれたり。営業トークの合間にときどき口を滑らせてしまうのも逆に誠実な人に見えてしまって、こんな大変な仕事をしているんだもの、きっとタフでしたたかだろうけれど(余計なお世話ですね)……「いい人だね」と夫と私、二人になると話していた。
内覧会はどきどきした。申し込みの前にも部屋を見ていたわけだけど、そのときはまだ買うつもりもなくて、見方は結構適当だった。だからここで初めて落ち着いて部屋を見た。ようやく、あ、思っていたより良い部屋かも、と感じた。
もう契約もしてしまったくせに、ほんとにいまさらなのだけれど、うん、いいかも。そうだ、最初に見に来た時(そのとき実際に住む部屋を見られた)、月がとてもきれいに見えたのだった。その印象が、ずっと頭に残っている。
つづく
……かもしれない