詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

テーブル

2024年11月18日 | 

切手貼った
見飽きた顔で
もはや退化
手紙を書くということは

 

明日のお天気は
曇りから雨
ぽてとさらだからあげなっとう
ほとんどすべてが循環なのだと思うと不思議だ
誰かのかけらの寄せ集めが今日のわたしになっている
わたしは無数の過去の世界からできている
なのに何十年も変わらずに
手相の筋も薄いまま

 

喫茶店でつぶす時間ってなんだろう
コーヒーカップを前に
湿度や風が大事だったりもして
自分に対して居留守を使ってみるのも手だ
だまされるのは駆け出しのセールスマンくらいか
他の人にはうざいくらいなのに
わたしは居るところにしか居ない
なのにこの広く困ったことばかり起こる世界で
いつもここに居る
布団があったら入りたい

 

窓の向こうの枝葉が揺れている
そのまた向こうに雲の割れ目があって
そこだけにっこり笑顔のように明るい

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温め直す

2024年07月14日 | 

パンを求めて

わたしたちは島を回転した

海からの風で息も髪も鳥も乱れて

濁点を忘れてきた

自分で乏しい点々をつけながら

島の、鳥の、輪郭をなぞっていく

 

幾億光年を湛えているような深さの

青い実が落ちていた

それはとてもそれはとても

わたしに珍しく美しく

大いなる背のような

岬に出るまでの繁みの中で

どんなに注がれても

比喩としての重さしかない光と陰が

まだらになっているあたりで

幾億光年という言葉そのものも

光と陰でできている中で

 

ちいさな洞に闇とひと続きになっている蛙がいた

その体には軽くても蛙

泥も含んだ重みがある

そのひとみ

別の次元を呑んだような静けさ

冷たくはないのか

滴る水に足を畳んで

岬を行って帰ってきてもまだ

同じ形に乏しいあかりをとらえてた

 

わたしたちはようやくパンを手に入れた

海原に雲間から夕陽が落とすカーテンのような

オーブントースターの光の中で

息を吹き返したパンは

産声をあげる

ぱり ふわっ じゅわわ

新しい光が口の中にこぼれる

 

叩くとてっぺんからぽふっとホコリを吹き出す

まん丸のきのこのように

わたしもぽふっと

ホコリのようなため息を吹き出す

太刀打ちできない

大きすぎる景色だからさ

さくっ

 

味わう

ことは難しい

うーん感動にはなにかが足りない気がする

すごいのに

この気持ちには何かが足りない気がする

いや、この気持ちにはわたしが足りてない気がする

そのときにそのときを芯から味わうこと

それはとても難しい

 

はるけさ

なぜこんなに景色がひろがるのか

なぜこんなに景色を

わたしたちのひとみはとらえられるのか

展望台からは海と瘤のような島々と港の街と船

 

でもその秘蹟

パンが与えてくれる

ありふれて見えても

温め直すと……

違う形になっているわたしたちのひとみ

 

もしかして思い出すという光のカーテンで

温め直すことが

魔法なのかもしれない

重さはないのに

風景をつくるには気の遠くなるような歳月が

折り畳まれている

それはとてもとても重い

一瞬では受け止めきれない

 

 

携帯の充電を抜いたら99%で

なぜか悔しい気持ちになった

電子の中で生きていても

思いの波に漂うかぎり

旅の間に読んでいたその土地の昔話と

海を隔てた地続きの場所にいるのだと思えてくる

 

いつもの街に戻ってきても

しばらく島の時間や光の味わいは

繰り返し何気ない景色の中に差し挟まれていて

わたしはいつのまにかそれらを温め直し

温め直されている

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春にそよぐ

2024年06月19日 | 

春の夕暮れ

久しぶりによく晴れていた

昏くなっていく青空には

淡いピンク色のゆるやかなリボン

 

神宮球場の横を歩いていたら

わっと届いた歓声に

なんだか疲れているのに

なんだかにぎやかでうれしくなった

人工の光

強くなっていく

周囲のビルの名前

盛り上がってくる

 

ヤクルトファンだった父

夕食どきによく野球を見ていた

テレビが点いていれば

私もなんとなく見て

なんとなくお気に入りの選手ができたりして

赤いグローブのブンブン丸とか

 

結婚して家を出て

そういうこともなくなった

スポーツ観戦には興味がない

大勢の人と興奮のもとに連帯することにも

だけどにぎやかだとうれしいのはなぜだろう

歳を重ねるにつれ親族は減り

さみしくなっていく身辺

街灯が静かに照らす夜道のように

ひっそりしている私の内面

 

自分では出せないエネルギーを

たくさんの誰かが放出して

大気を満たしている

そんな外からの波動でわずかに震える

わたしとはつまらないと言うには

あまりにもかさばりすぎる

発光体

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あどけない足音

2024年03月02日 | 

窓を閉めて風を閉め出すと

夜は静かな箱になる

玄関からリビングまでの廊下

四つの扉に囲まれた細長い空間を

部屋着で裸足で歩く

私の足音が浮き上がり

耳の道に入ってきた

 

あどけないあしおとだった

とがらない

アピールしない

クエスチョンマークの足形の見えそうな

ひっそりした音

 

影が自分から離れてしまう話を聞いたことがある

足音も自分から離れてしまうことがあるのだ

離れないと聞こえない

いつも離れているのにいつもは聞こえない

 

あんたがたどこさ

あたしはひとり

でもあんたがた

は複数だよ

リズミカル

にもなるよ

引きずるようにも

できる

もったいつけたり

連弾したり

いろんな色合いつけて

いろんな連れ合いあるはずなのだけど

わたしのはペタリペタリ

重くもなく軽くもなく無垢

のように

色が

なかった

 

外から見える家々は過去と未来を孕んで

その壁の向こうの棕櫚の葉の形

鮮明に染め抜く夕焼けの町を

永く歩いてきたはずなのに

不意に訪れたあ

し音

あ足音

にはまるで

言葉がなかった

まるでオクターブのように

ふるえながら

離れながら

わたしに連なっていた

この感覚を知っているのはわたしだけかもしれない

わたしも他の誰もそれを確かめることはできない

永遠に

永遠に錯覚しかできない

永遠を前に命は月て

カーテンをそっと開ける

足音は独特の切株を数えている

時計なのかもしれない

 

生まれてからわたしにしかなったことがない

ああ足音はとても弱い

フローリングのひんやりした感触は

サイズをよこしまに変えることもできない

不安という繁みに押されるように作られた道

をほんとうに(という言葉があるならば)

あとへあとへと追いやられて

 

言葉がない世界に

わたしはわたしの論理と年輪を繕って生きている

傷つくより前に樹皮を纏って

急襲に貫かれたことはない

だからまだこんなふうに

無防備な音が出る

だからきっと

本に纏わる埃の匂いを嗅いでいれば

生きられると思ったり

その脇で忙しく怠惰にアリバイ作りに精を出して

何十年を生きてしまいふと

とても静かな人間だった

絶滅危惧種のようだった

まるで、足音だった

(それは身体を追いかけていく影)

 

一瞬で消える

音のつらなりを

足音とわかるのは覚えているから

わたしにまつわる

世界にまつわる

水の流れのような記憶

ペタリペタリと鳴っている

わたしにしかきこえない不安が

ときどき風にはためいている

(不安をきくなんていまやしあわせものだ)

 

遠い電車の音が風に乗って聞こえる夜がある

わたしの中のどんな気象条件がその夜

わたしに足音を届けにきたの

 

まだ論理を踏み固めていない

この先の悲しみや

この先の喜びを

受けとめているのだ

やさしい腐葉土を信じて

いま選ぶ時なのかもしれない

論理ではなく感情を開拓する道を

(それがきっとほんとうに考えるということ)

いつまでもあどけない足音で

いつか耐え忍ぶ

次第におもくなっていく足音

そのときでさえあどけなく

 

 

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雪の日

2024年02月06日 | 
レースのカーテンを開けて覗くと
予報通りの雪
模様のように降る

困るなぁと思うのに
大人なのに
子どものようにはしゃぐ
隠れた気持ちがある

ちょっと買い物行ってくる なんて
さっきも出かけて帰ってきたばかり

迎え雪
暗くなり始めた空から
バッティングセンターみたいに
白いつぶてがびゅんびゅん飛んでくる
こちらが速いみたい
奥へ奥へ吸い込まれていく
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