たぶん最初から引っかかっていたのだと思います。立ち読みのときから。『伝え方が9割』。おもしろい!すごい!と思いながら、やっぱり納得いかない、というより、方法さえ知れば、ひとの心を動かす言葉を作ることができる、ということに対して抵抗感というか危機感を感じていたのだと思います。なぜ?私の領域が侵される、と思ったのでしょう。実際は、ちっとも侵されていないのですけどね。別にひとの心を動かす言葉、作ってないじゃん!と自ら激しく突っ込みたい。
実は(と、使うと効果がある、と書いてあった)以前、私はライタースクールなるものに通ってみたことがあります。結果的にお友達を作っただけだったのですけどね。それもすばらしい財産ですけどね。そこで大手広告代理店で働くコピーライターさんにコピーも教えてもらいました。最初からコピーライターさんを唸らせるコピーを連発していた本当に魅力的な言葉を作れたある生徒は、転職してコピーライターさんになっちゃいました。その方と私は同い年で、いまも親しくさせて頂いていて、実は明後日も会う約束をしています。うふふ。
そのお友達は本当にすごくて、授業のときに作ったコピーは何本か、いまでも私、言えます(もう十年くらい経つのに!)。本当はここに書きたいくらいですが、それはいけないことなのでしませんが、教えてあげたいくらい素敵で上手です。たった一行なのに、魔法みたい。そうですよね、言葉って使い方によって、魔法のじゅうたんみたいにふわっと浮かび上がって、読んだ人も一緒にそこに乗せてくれる。
あるとき、そんな彼女に、詩とか短歌とか作ったらすごく上手にできるんじゃない?と言ったら、勉強になるかもしれないけど、私はいまはその時間と余裕があったらその分仕事に力を使いたい、というようなことを言っていました(そうでなくてもとても忙しい仕事です)。仕事として言葉を作る、ということがきっと彼女にとっては大事なことのです。それは私からしたらすごいことです。とても立派なことです。仕事には責任が伴うし、仕事であるからには、社会へ貢献している。彼女はきっと、それがどんなに大変でも、自分の能力を発揮して社会への責任を果たしたいと思ってる、それが本当の充実だとわかってる。
一方、私は夢見る夢子で、文章に惹かれながらも夢ばかり見て、それを仕事にしようとはあまり真剣に考えなかった。同じところの仲間でフリーライターになった人もいるけれど、私は私が書きたいことを書くのでなければ嫌だ、と思ってしまう。だから仕事にするのは難しい、と思う。でもなぜ文章を書くのか、それはやっぱりその先に人を想定しているのでは?誰かに読んでもらいたいと思っているのでは?そうなら、ひとりよがりの文章じゃダメだよね、と思う(いつもそうなってしまうけど)。だからこそ、コピー的に言葉を捉え、考えること、とても大事だと思う。
あるとき、どういう話の流れだったか忘れてしまったけれど、夫に「コピーと詩は違うの?どちらも人を感動させようとしているんじゃないの?」と言われた。違うと思ったけど答えられなかった。良いコピーは特に、そのお友達の作る言葉のように、いかにも感動させようという心ミエミエでなく、何気ないある瞬間を上手に効果的に伝えて、ふわっとさせる。むしろ言葉がある瞬間を創造さえしてしまう。そんなふうに言葉を書けたらいいだろうなぁ、ぜひそんなふうに努力してみよう、と思う。
でも、やっぱりコピーと詩は違うと思う。
コピーはある目的があって、その狙いのために作られた言葉。人の心を動かすための言葉。でも詩は、人を感動させようとするよりもまず、自分が心動かされたものについて書く、ものなのではないでしょうか。そして、これはコピーも一緒なのかもしれないけれど、書いている自分自身もふわっとするような言葉を目指している(私はできてないけど……がっくり)。
なのに、それが「方法」によって、「コンピュータ」(これは別の話ですけど)によって、作れてしまうよ、ということが、一瞬、怖いっと思ってしまう。典型的な、変化嫌い!の保守的人間の捉え方なのですけれど。たぶん、何かしら信じてずっとそっと自分の中で守ってきた価値、それこそ方法が否定されてしまうことを恐れているだけなのでしょうね。そして、しがみついてきた価値だって、絶対的に正しいから大事だと感じるのではなくて、結局はいつかどこかでどのようにしてか、学んだ知識にすぎないのです、きっと。
ところで本の話(『伝え方が9割』)がないじゃないか、と思われますよね。最初は興奮したのですけどね、何せ大きな声では言えませんがほぼ二回目なもので……。冷静に読むと、創作の秘密はまだまだ、明かしてないっすね、と思うけれど、それは2を読めってことかもしれません。いやいやでもやっぱり初めて読んだときは、そっかー!そうなんだー!やられたー!と思った気がする。一度教えてもらったらもうこっちのもんだ、みたいな気持ちが私にあるのかもしれません。使えてないけど。こうやって、効果的な言葉を作る方法がある、ということをはっきりと自覚する、というのは、すごいことですよね。画期的ですよね。伝え方、考えたいと思います。私も。方法も大事だけど、そうやって意識する姿勢がさらに大事なのだろうな、と思いました。
方法によって効果的な言葉を作れるのならば、それで世の中を変えることだってできるかもしれないわけですしね。人を良い方向に変えたり幸せにしたりする言葉を作れるかもしれませんよね。国と国との関係だって、伝え方がうまくなればもっとスムーズになるでしょうしね。
ブログについて、詩についてもたくさん考えてしまいました。まだまだ途中ですけど。でもひとつ、わかったことは、自分が何を書きたいか、どう書きたいか、をある程度わかっていないとうまくいかないな、ということでした。コピーと詩の違い、詩とは何かについても、もっとよく考えたいです。それから、自分が何を書きたくて、それによって何をしたいのかについても。なんだか大げさな言葉になってしまって恥ずかしい……。
もっともっと書きたいことがあるような気もするのですが、長くなり過ぎたのでひとまずこの辺で。
伝え方が9割』佐々木圭一著 ダイヤモンド社
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