詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

枝々の先で生まれようとしている春

2017年04月27日 | 
眼を射抜かれて
黒い木立ちが消えてゆく
歩き続けて光がそれると視界がもどり
芽吹くものを見つける
枝々の先で生まれようとしている春

その角へ向かってみな急いでいる
季節の指先から洩れる
新しい匂いを嗅ごうと身を乗り出して
あたたかい空気を脚に絡ませながら

咲いてみれば
何回目、何十回目の春

変わってしまったことも
変わらなかったことも
同じ季節に迎えられていることに
退屈を覚えているのは
あなたが変わったからだ

遠く遠く迂回したつもりだったのに
平凡な答えにたどり着いたと
がっかりしている

青ざめた空は冷たさの象徴
白い濁りは暖かさ
胸に抱く花

そうして満開の枝々をくぐり
見上げると
空がダイナミックに動いていく
それはあなたが歩いているから
鼻歌を忘れないこと
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心地良いすみっこ3

2017年04月17日 | 雑記
わたしのコージーコーナーという言葉を思いついた(と言えるのか?)のは、しばらく前のこと。そのおおもと。あるとき、「cozy」という単語が「心地良い」という意味だと知って、ケーキ屋さんのコージーコーナーは、そういう意味だったんだ、と思い、コウズィーコウズィーとしばらく心の中で唱えていた。そして家にいて、ふと、あ、ここ、わたしのコージーコーナー、と思ったのだった。



このピアノ、電子ピアノ。なんと五万円。五万円でこんなに楽しめるなんてサイコウコーナー☆

結婚したとき、夫が、自分の実家にあった電子ピアノを持ってきてくれた。それを有り難くポロポロ弾いていた(徳島県阿南市民→香川県高松市民時代)。

その後、高松に住んでいた頃、職場で新しく入ってきた隣の席の人とおしゃべりしていたら、その人のお嬢さんが習っているピアノの先生がとても良い先生なのだと言う。わたし、ぜんぜん上手でもないし、本気でやってるわけでもないから、ぜんぜん良い先生に習う必要なんてないのに、「そうなの?そんなに良い先生なの⁉︎それならわたしも習いたい」と言って、15年ぶりくらいにピアノを習い始めた。

そうなるともちろん、ひとりで弾いている時よりも練習時間は長くなる。あるとき、ペダルがボキッと折れてしまった。ショーック!ネットで電子ピアノの修理屋さんを探し、家に来てもらった。すると、その電子ピアノ自体がとても古いものなので、部品がないという。今回はなんとか5,000円で直せるけれど、他にも不具合が出てきたとき、もう次は直せないかもしれない。それなら、うちに中古で、安くて良い電子ピアノがたくさんあるから、と言われて巨大な倉庫へ見に行った。

とても記憶力の悪いわたしだけれど、その経緯や、夫と一緒に倉庫までピアノを見に行ったドライブのわくわく感はいまも覚えている。緑をかきわけて。

体育館ほどの、大きく薄暗い空間で、たいていは覆いを掛けられて、獣のようなピアノたちはひっそりと眠りについている。背の高い黒い飼い主が、部屋のカーテンと、獣の覆いを次々取り払っていくと、『オペラ座の怪人』で埃を被ったモノクロのオペラ座に、巨大なパイプオルガンの音色と共に色が目覚め、きらびやかな光が戻ってくるように、ピアノたちがいっせいに華やかな音色を放ち始める。

というわけには、いかなかったけれど、鳴らせば音の出るピアノたちがひっそりと横たわっている薄暗い倉庫というのは、なかなか不思議な、少し怖いような光景だった。その森の中を、夫と私はおっかなびっくり歩いて、おっかなびっくり鍵盤に触れ、音を鳴らしてみる。小さな部屋ではとても大きく聞こえるピアノの音も、大きな空間の中では二人のように心細いのだった。

そこにはたくさんの電子ピアノがあって、いろんな楽器の音が出せる物や、いろんなビートを刻めんだり、作曲ができるような物もあった。でもわたしは多機能の物よりも、ともかくなるべく本物のピアノに近いタッチと音のものがほしくて、これを選んだ。YAMAHAの、新品で買ったら10万円以上するレベル(らしい)の電子ピアノ。「いまなら高さ調節のできる椅子もセットでお付けします。」それからもう何年も、楽しませてもらっている。

けれどこのピアノ、一、二年前から、ペダルがキコキコ言うようになって、困ったな、と思っていた。油でも差そうか、と思っていたら、いつのまにか直った。安心していたらまたキコキコ言い始めた。どうも冬になるとキコキコする気がする。木だし、湿度に関係があるのかな、暖かくなったら直るかな、と期待していたけれど、春になって、桜が舞っても直らない。これも修理してもらえるかしら。

高松では家の近所にピアノ屋さんがあって、たまーに見に行ったりして、本物のアップライトが欲しいなぁ欲しいなぁと思っていたけれど、東京に来てからも思っていたけれど、自分が薄給なものだから、それに低レベルな趣味なのに高額すぎるかと、いつか叶えられるかもしれない夢として、ほんわり楽しむだけだった。

家を買ってしまったいま、あの頃、こっそりピアノを買っておけばよかった、と思う。家に比べたらぜんぜん安いじゃない!家を買うことで考えたら、値切るくらいの値段だわ!と、比較の対象のおかしいことを考えてしまう。

いまとなっては、ピアノを買うことはさらに遠い夢になってしまったし、とりあえずは、ペダルさん、早くご機嫌直してちょうだいな。

※楽譜はチャイコフスキー『四季』の中の4月「松雪草」。高松の先生のところで習った。とても不思議なメロディーで大好きだけれど私にはとても難しかった。ひさしぶりに弾いてみた。ひさしぶりだと上手に弾けるのではないか、となぜか思ってしまう私のレベルは言わずもがな。

仕事からの帰り道でこれを書いている。
ウラディミール・アシュケナージの『チャイコフスキー 四季』のアルバムを聴きながら。これらの音楽の中には心地良いすみっこの純化された結晶が見える。
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心地良いすみっこ2

2017年04月15日 | 雑記
一回で終わりにしようと思っていたけれど、写真を撮っていると、これはあの時のあれで、これにはこういうことがあって、と、ひとつひとつにいろんなエピソードがあることを思い出して、シリーズにすることにしました。

誰かの持ち物のエピソードなんて、よほどのことがなければ、おもしろくない。よねぇ、と思いながら書いちゃう。よほどのことじゃないのに、いかにもじゃないのに、なんかいい、みたいのが、いいなぁと思う。理想。それはきっととても難しいことで、水鳥の脚のように、水面下で、激しく技を必要とするのだろうけれど。

ムッシュムスカリ

高松にいたときに勤めていた会社の最後の出勤日、夫がプレゼントしてくれたムスカリさん。球根植物だったので、掘り上げて毎年植えて、もう3回目。何も肥料をあげていないので、すこーしお花がさみしくなってきたかな?今年は肥料をあげてみようか。


みんな太陽に向かって伸びあがっています。
植えっぱなしにすると球根が増えていくらしい。引っ越ししたら、もっと大きい鉢に移してみようか。

まわりの雑草はほったらかし。にんじんだといいなぁと思っている。

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コージーコーナー

2017年04月11日 | 雑記
4月8日 土曜日
数日前から喉の調子が悪くなり、声が変わって、咳が出たり、くしゃみが出たり、そして土曜日の今日もあまり体調が思わしくない感じだった。けれど引っ越しを二週間後に控え、することは山ほどある。空は、曇っている。

ふと気が付くと、ある心地良さを覚えている。ありそうでなかなかない、でも昔はよくそうなっていた気もする、懐かしい心地。風邪をひいて学校を休んでいる小学生の気持ち。内向きになって、かわいくなっている気持ち。マスク依存症に似た心地。

めったに風邪をひかないし、花粉症でもない(たぶん)私は、めったにマスクをしない。マスクをする人がずーっとマスクをしている気持ちがわからなかった。それで、ずーとマスクをしている人がいると、ちょっといらいらしたりした。なんでいらいらするんだろうと思って考えてみると、どうも、ちょっと拒否されているような気持ちになるっているらしいと気が付いた。そしてもちろん、その人たちはそんなつもりじゃなくて、花粉症は深刻だし、喉の調子が悪い人にはとても助けになるのだマスクは、と思い直した。

そうはいっても、その人たちも、実は実はほんのほんのわずかに、マスク依存症になっているのではないか、と私は思っている。

たまに、風邪っぽくなって咳が出たりすると(いまはその珍しいとき)、「まわりの人に嫌がれるわね」と思って、私も社会人らしい気遣いのふりでマスクをする。するとすると、これがなかなか心地が良い。なんだか守られているような、こもっているような、表情のかなりの部分が隠されていることで、自分の気持ちがさらけ出されてない感じ(しょっちゅうブログにさらけ出してるくせになに言ってんだよ、と思うかもしれませんが、それとこれとはまた別で)。あったかいし。

がんばるべき何かを、少し免除されている気持ち。仕事をしながら、いつもは言わない「ふんふんふん♪」とか、小さく言ってしまいそうになる。マスクはだから、必要性もあるのだけれど、そのうちの1割くらいは軽く依存症になっているところ、あるんじゃないかなぁと思う。かくいう私も依存症になりそうになるけれど、耳と、マスクの紐が擦れる頬が痛くなってしまって、ざんねんながらそんなに長くつけていられないため、危うく難を逃れている。

マスク依存症の話がかなり長くなってしまった。言いたかったのは少し体調が悪い時、そういう心地良さを覚えることがあって、今日はそういう日だったということ。今日は具合が悪いから、自分に優しくしてあげなきゃ、とでも思うのか、かわいくなっちゃう。内気な子どもに戻っちゃう。すると自分の興味にも寛大になって、とにかく好きな本、とにかくぬくぬくできる本を、ぬくぬく読んでいたくなる。天気が悪いならなおさら。

いやいや引っ越ししなきゃいけないから。本なんて読んでいられないのだけれど、いつもとは違う心地になっていて、物語の世界にすーっと入っていけそうで、詩や文章もいつもとは違う地平で書けそうな気持ちがしてくる。ピアノも上手に弾けそうな気がする。いろいろひらめく。

4月10日 月曜日
そしていろいろとひらめいた気がしたのだけれど、とにかく忙しくて、日曜日もさらに体調が悪化したのに忙しくて、ここだけの話だけれどお風呂も入らずに夜の9時前に布団に倒れこんでそのまま月曜日の朝を迎えてしまった。さようなら。淡い心地よさようなら。記録しておきたかったことごとは、春の霞のようにうやむやに、空気に溶けていった。

土曜日の午前中、すぐれない体調とすぐれないお天気にぬくぬくして、自分の心地良さにいつも以上に入り込んで撮った写真だけが、その名残りをとどめている。かもしれない。

私のコージーコーナー



飾っているときに撮れば良いのに、なぜか缶にしまってから写真を撮りたくなった。飾っているときよりも、この姿のほうが、そこにしまった人(自分だけど)の気持ちが、見える気がするから?

ドライフラワー。高松に住んでいた頃、夫と車に乗っていたとき、あやしげな喫茶店を見つけた。入ってみると入り口にたくさんの花があった。小さくお花屋さんも兼ねているらしい。喫茶店の不思議な雰囲気にわくわくしながらコーヒーを飲んで、ゆっくりして、さあ帰ろう、というとき、お店の方が入り口にあったお花を、赤いのと紫のとひと束ずつ、くださった。恥ずかしながら何の花かも知らず、ドライフラワーにした。赤い花はうまくいかなかったけれど、この紫のはとてもうまくいった。高松からも上手に運ぶことができて、もう何年も経っているのにこんなにあざやか。新しいおうちにも無事にお引っ越しできるかしら。

いまネットで調べてみたら、どうやらスターチスという花のよう。花言葉は「変わらぬ心」「永遠に変わらない」とのこと。納得‼︎
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深夜の謎解き

2017年04月05日 | 
真夜中のテーブルに
バラの絵が描かれた栞が一葉

あなたは多くのことに思い悩み、
心を乱している。しかし、
必要なことはただ一つだけである。
ルカによる福音書 10:41,42

必要なことはただ一つ
それが何かは書いてない

雲を払い
目の前にあることに専念する
ただこれ一つだけ

そういうことだと思った

鳴っている音楽に耳を傾け
磨きあげられた朝を迎えることに専念しよう
そう思って布団に入った
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