詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

せぶんいれぷんのおばさん

2016年03月13日 | 雑記
職場の近くにあるセブンイレブンに好きなおばさん(店員さん)がいる。朝、そこでときどきコーヒーを買う。「いらっしゃいませー」「ありがとうございまーす」というおばさんの声が聞こえるとうれしくなる。厚みがあって、低いところで裏返るような感じの声。そのおばさんの声がわたしはとても好き。なにがどう、と言えないのだけれど、声を聞くとうれしくなる。心地良い楽器の音色を楽しんでいるみたいに。お店に入って、レジに並んで、おばさんの姿が見えたり、声が聞こえたりすると、あ、いる、とほくほくする。おばさんに呼ばれるのを待っている。

先日はお弁当を持って行かなかったので、お昼用にサンドイッチとパンを選んでレジに並んだ。今日もいるいるおばさんが。肩にかからないくらいの長さの髪で、右側は耳の後ろに小さめのバレッタでとめているのが、かわいい。笑顔は見たことがない。でもいつも一生懸命働いている感じ。だから無愛想だと感じたことはない。

おばさんがこちらにどうぞの合図に手を挙げた。いそいそとレジへ。わたしはその朝ほんの少し惨めな気持ちだった。それを奮い立たせよう、とわずかにがんばっていた。おばさんの真向かいに立つ。「いつもありがとうございまーす」と言ってくれた。あ、わたしのこと覚えてくれているんだと思ってうれしくなっておばさんの顔を見た(たぶんいつも見てる見てしまってる)。目が合う。「今度この近くに姉妹店ができます。このチラシをお持ち頂ければピーナツチョコをお配りします。よろしければどうぞ」おばさんの声をたくさん聞けた。わたしは「はい」と大きな声では出さずとも、うんうんと一生懸命うなずいた。するとお釣りを渡すとき、おばさんが下から手を添えてわたしの手を挟むようにして渡してくれた。

ところで、わたしはレジで店員さん(若い子に多い気がする)が手を握るようにしてお釣りを渡してくれる、あれが実は大嫌い!ひとと体が触れ合うのが嫌いなわけではない、うれしいときもたくさんある。潔癖症でもない。手はよく洗ってしまうけど、ひとが素手で握ったおにぎりを食べるのも平気。でも、この、なんというか、マニュアルなのか、好意なのか、好意の見せつけなのか、よくわからない、そして決して拒否できない(気づいたときには握られているのだもの、ふり払うわけにもいかないし)行為が、されたあとに「またやられたっ!」と地団駄踏みたくなるほど(でもないか)嫌いなのだ!

なのに、このときのおばさんの行為にはわたしはうれしくて涙がちょちょぎれそうになった。なぜいつもは嫌いなことが、このときにはうれしかったのか。これまでおばさんに対して、手を握りやがって、と思った記憶がない以上、たぶんこれまではもっとさらっとお釣りを渡してくれていたと思うのだ。しかし、上記のやりとりのなかできっと今回はなにか、こうしたほうがいい、ととっさに感じるところがあった、おばさんとわたしとの間に発展した関係性があったゆえの行為だった、からなのではないか(もちろんこのおばさんが好き、ということがまずあるのだけれど)。なんて。そう考えると、いつも、店員さんお釣り渡すSpecialみたいな行為が嫌いな理由も自分で少し理解できるような気がする。なんの関係性もない中で、相手がどういう人間かもわからずに、「わたしがこうすること、もちろんうれしいでしょう」という気持ちの押しつけのようなものを感じるから、なのではないか。それでいてどういう意図でそれをするのかの意味がわからない。ぬくもりではなく、気持ちの悪いぬるさのようなものがべちょっとまとわりつく感じがして、急いで体から引き剥がして捨てたくなる(なぜかとても暴力的に思ってしまう……)。その店員さん自身がとてもぬくもりを求めていて、思わずお客さんの手を握ってしまう、ということなら、たぶんぜんぜん嫌じゃないと思うのだけれど。

と、書いてきて、話がずれていたことに気が付いた。わたしは今回ただ、よく行く、でもないか、ときどき行くセブンイレブンのおばさんのことを書きたかったのだった。おばさんの声を聞きたいから、今日もセブンイレブンに寄っていこう、と思うわけでもないし、お店に入ってから、あ、おばさん、と思い出すくらいの、ほんとにわずかなものなのだけれど、道端に咲いているかわいい花を見つけたときのようなわたしの楽しみなのであった。

こんなふうに、風景のようにちょっとすれ違うだけのひとにもひとは、ちょっとしたうれしさみたいなものをもらえるんだな、それも特別大きなものではなくてほんとにちいさなもの、ということがほんわりとろうそくの一本。

なんてことを思うのは、自分に向かって自作自演の小芝居をしているようなものかしら?
そしてこういう文章を、体にまとわりつく嫌な感じだと思って拭って捨てたくなるひともいるかしら?
そうだとしたらごめんなさいです……。


まな板の上に咲く花





マグカップの中の土星



きになる鬼瓦
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冷たい手

2016年03月12日 | 
とても冷たい帰り道を
ゆっくり歩いた
遠くいつもと違うあかりの間

路地の先の先の、その先
十字路の先の先の、その先
ずっと闇の深く落ち着く
このひろがりを
満しているのはわたしのようでわたしでない
わたしとわたしでないものがこの先で
溶け合っている

暗がりの陰影は折り目正しく
ゆるやかに秘密を守る

手袋をぬいで
歩きながら一心に読んだ
顔をあげるとため息が出た

再び手袋をはめてももう
手がぎゅうっと凝縮するように痛かった
それほどに冷えていた手と
わたしの全部がその一点に集まって
こんなにも感じているということが
あなたがほしい
突然、与えられた使命のように
突然、とても美しくて
思わず立ちどまった
この手から始まっている夜が生きている
その呼吸を知りたい
あたりを見回した
通りの向こうはひっそりと神社
いにしえの睦言を
声にならない声に編み込んでいる
千年の怨念も冴え冴えと澄みわたり
わたしも聞こえない響きとなって
ひろがりゆく
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熱い気持ちを持っていたいよ

2016年03月05日 | 
火傷するほど
熱い気持ちを
ずっと持っていたいよ
悲しみでもいいの
鮮明に残しておきたいよ

でも毎日毎晩
ねむるたび
眠る度
ネムル旅
杖をついて遠い丘陵の遠い道のりを
歩いていくのだろうか
不気味な宅急便が届いて
赤い長い手袋なのだけど
中にはノコギリが入っている
これから神社で恐ろしい儀式が始まる

入り組んだ構造の旅館が出てきて
階段をあがったりさがったり
知り合いが入り乱れて
ごたごたごたごたやっているうちに

記憶は洗われてしまい
朝ごとに、夢の波がひいていくごとに
悲しみの感覚は薄れていき
その人がいない現実が
その現実にもはや抵抗しない心が
ゆっくり日々を浸していく

新しい現実を受け入れるためにできた
たくさんのささくれが治らないように

二人が交わした時間
結晶のようにきらきら光っていたのに
砂に埋もれていくの

そうだろうか
きらきら光っていたとは
願望が言わせる言葉
熱い気持ちを持っていたいがために
死によって確かめたくなったその人は
確認するほどあやふやになり
生きていたときのその人さえ
その人だったのかどうか
その人を着ている何かだったような
そんな気さえして

熱い思いも冷えて砂浜
砂金が光る
ひろがっている
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