詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

絵を描きたい

2017年02月06日 | 雑記
絵を描きたい、とときどき思う。
そしていまはそんな気分。

曇っているせいで空に模様がある日。どんよりしていて冷たくて、それなのに、いや、それとも、それだからこそ?なんだか落ち着く日。懐かしささえ覚える。

絵っていいなぁと思う。音楽もいいなぁ。
言葉がないから。意味を持たなくていいから。いまは空の模様のように、意味とかではなく、ただ、絵の具で画用紙に色を塗りたい気分。

文章だと、意味がついてまわるからなぁ。こんなことを書く資格ないとか、こんなことを書いていいんだろうかとか、意味のない文章だ、ということも、すごくメッセージになってしまったり。嫌味な文章だ、とか。

絵や音楽にもあるのでしょうけど。わかる人にはいろいろあるのでしょうけど。

なぜ、やる気があるんだかないんだか、中途半端なのに、文章に対して、もしかしたら何か表現することに対して、ずるずるこだわるかなぁ、と思うときがある。

今日、川べりを歩きながら、思った。これだ。

世界には、人の数だけ世界があるのかもしれなくて、私はこんな世界を生きている。いつもいつもじゃないけれど、ふとしたときに戻ってくる。ここがとても落ち着くし、自分らしいと思う。風景が寄り添ってくる。その世界を大事にしたくて、それをほんとうにしたくて、きっと。

以前はでも、たとえばいろんな世界の真実に耐え抜いたあとでも、それが存在できるのかどうか、試さなくてはいけない、とか、その世界を感じるために、お休みの日はのんびりしたり、近所を散歩したり、無為な時間がとにかくたくさん必要だ、でもそのために大した仕事もしていないようじゃ、だめだ、とか、あれこれあれこれ考えていた。

でも最近、そういうことって、別に考えなくてもいいことなんじゃ、と思うようになった。自分がまず正しくあらねば、自分のすること(書くこと)に説得力がない、とか、それって、結局は自分の気持ちをすっきりさせたいだけなのではないか……と気が付いた。

そしてぐるーっと回って、こんなことも、他の人にとってはどうでもいいことなのですよね。あなたの心の中の葛藤なんて、どうでもいいから。はい、そう思います。

書くなら、書けば?書かないなら、書かなければいいんじゃない。とてもシンプル。

どんよりとした空でも、それがとても気持ちにしっくりくる時。川面をすいすいすべっていく鳥も、心の模様をなぞっているような気がする。こんなことをいまだに書いてる私は、一体いま何歳?恥ずかしい、鴨。








でもこの鳥は鴨じゃないカモ。う?
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トランプさん

2017年02月05日 | 雑記
「とつぜん、家を買うことになる」の続きでもなく、詩でもなく、なぜか急にトランプさん。稚拙かもしれないけど、推敲が足りないかもしれないけど、旬なもの(自分の気持ちの中で)がいい、というところが、文章にはある気がして、その「いい」は、文章を書いている本人にとって、ということだけかもしれなくて、しゅーん、なのですが。

特に詩なんかは、実はよく考えるよりも、自分の気持ちの旬をさっとつかんでぱっと紙面に放つくらいがいいのかもしれない。そのままブログにアップはせずとも、とりあえず、雑でもなんでもいいからぱーっと書けるところまで書いちゃうべきなのかもしれない。忘れた頃に読み返すと、「うん?何を書いているんだろうこれは一体?」ということになって、それがとても奇妙におもしろい。私にとって、だけかもしれないけれど。

そんなわけで、いつもながら前置きが長くなりましたけど、トランプさん。そして、もちろん、私のことだから、トランプさんのことを書くわけではなくて、トランプさんを巡るニュース、じゃなかった、トランプさんによって世界を巡るニュース、によって揺れている自分の気持ちを書くのでありました。

最近、思っていること。私、平凡。それはそう、もちろんそうなのだけど、以前はもうちょっと真面目だったと思う。少なくとも正しくあろうという気持ちはあった気がする。

たとえば学生の頃、デパートに買い物に行くとしましょう。よく、雨雲をお腹に溜めているような暗く重たい気持ちになっていた。これだけたくさんの物があふれていて、世界はどうなっちゃうんだろう、みたいな。こんなふうにデパートで買い物する人もいれば、世界の貧しいの国々の人は……みたいな。ならデパート行くなよ、という感じだし、いま考えるとよくわからない理屈?なのだけれど、ともかくその頃は箸が転がっても暗い気持ちになるお年頃でした。

それでシモーヌ・ヴェイユなど読んで、そうだそうだ、苦しみを知らなければ、というような変な義務感のようなものがあった気がする。

それが……大人になった私。素敵なお洋服、素敵ね〜、お買い物楽しいー、素敵なランチ、行きたーい、というようなすごく能天気な人になっていたのでした。でもある意味、いまの方が正しいとも思う。どうせ何もしないなら、気持ちが重くなるだけで正義感のある人ぶるなんてサイテーだものね。

私、ぜんぜん正しい人じゃないし、自分の心地がいいことが、何より最優先なんだ、と思う今日この頃。このブログを読んでくださった方は、そんなのすぐにわかったよ、という感じですか!?ですよね……。

それでトランプさん。大統領選の頃から、眉をひそめて「えー!!」と思っていたけれど、だんだん、よくわからなくなってきた。なんだか、トランプさんは見ようによっては、もう人ではなく、台風とか津波のような自然災害なのではないか、という気がしてきた。いや、自然の摂理というべきか。

動物の食物連鎖の波のような(しまうまが減るとライオンが減り、ライオンが減るとしまうまが増え、しまうまが増えるとライオンが増える、というような)、左にふれたら右にふれる、というような、自然の流れなのかな、と思うと、トランプさん、あんたは間違っている、と、言えないような気持ちになってしまっている。もちろん、そんなコメント求められてませんけどね。あくまで自分の気持ちの中で。

だから、トランプさんのやることに対して、デモをしたり、抗議をしたりする人たちをすごく尊敬する。まして、それをしたら、自分の立場を失うかもしれないのに、それをする人。私は、たぶん、できない。何かに反対することって、ものすごいことだな、といまは思う。そして、心地良い場所に収まっていようとする自分を感じて、私って、こういう人間だったんだーと、思う。いまさらですけど。日和見主義者?

家を買うことになって、特にそう思った。新しい家を守りたい。新しい家をうれしいと思っている生活を守りたい。新しい家を素敵にしたい、と、自分の稼ぎも省みず、思ってしまう自分を見逃したい。世界で実は、飢えて死んで行く人々がいること、自分の生まれ育った街をすべて破壊されて、追い出されて、海で溺れ死ぬ人々がいること、忘れたい。

そう思っている、自分に気がつく。
なにをするわけでもないくせに、そう、言い訳のように書いている自分に気がつく。

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とつぜん、家を買うことになる1

2017年02月01日 | 雑記
いつか買うのだろうとは思っていたが、タイミングがわからず、ずっと社宅住まいだった。ここ二年ほど角度23度くらいの傾斜で家賃が値上がりしていたので、そろそろ買い時なのかなぁ、と話してはいた。でも、チラシなんかで見ていると、最近、同じくらいの角度でマンションの値段も高くなっている気がするし、オリンピックが終わるまで待つべき?という意見も(夫婦間でだけど)あり、特に積極的な行動に出ることもなく、時は過ぎていく。

ある日、実家で、建設現場に関わる仕事をしている兄に、マンションについて尋ねていたら、そういえばあそこもまだ売り出し中だよね、と実家に比較的近い場所に建っているマンションを教えてくれた。数日後、「新聞の折り込みチラシに入ってたよ」と、親から広告が送られてきた。

まあ、まだすぐには買わないけど、準備運動的な感じで、ちょっと見に行ってみる〜?と夫と二人、ある休日にトコトコ出かけた。

そして今日に至る。なんと、契約してしまった。なんと、一軒めで決めてしまった。真剣に探していたわけでもなかったのに。モデルルームを見に行ったその日に申し込みをし、一生に一度の大きな買い物をしてしまった。

申し込み(この部屋を買いたいという意思を伝える)から契約の日まで、いつもの私には考えられないくらい睡眠時間を削り(とはいっても大したことはない。とはいっても眠い。とはいってもずっと興奮状態で、仕事中に睡魔に不意打ちされて意識を失うこともなかった!)、いつもの私には考えられないくらい集中して、ネットで調べたり、本屋さんで不動産関係について立ち読みしたり、した。マンションを見に行く前に買っておいた野菜たちは、料理されることなく、冷蔵庫の中で萎れていった(とはいっても、翌週にはちゃんとしなしな野菜炒めに生まれ変わりました)。

家を買うって、ものすごく大きなことなのに、あの契約までの流れ、早すぎませんか?営業の人に、「こんなもんですか!?」少々怒り気味で聞いてしまった。「こんなもんですよ」と、営業さん。「それは法律的に決まっていることなんですか?」と私。「そういうわけではないですけど……」

なんだか売る側が完全に主導権を握っているようで、そういうネット情報を読んだり、本を読んだりして、さらに不信感。しかしながら、かなりかなり悩んだ末、結局、申込みから一週間も立たないうちに言われた通り手付金を振り込み、契約をした(契約した、なんて偉そうに言ってますが、ご主人様に契約してもらったのです。ぺこり)。

契約をする日は、約束の時間よりも早くそこへ行って、重説と管理組合の規約を先に読ませてもらった。分厚くて、「契約する前にこれを読むなんて、無理ですよね?」と言いながら(このときもまだ不信感でいっぱい)。約束の時間に夫も到着したので、あと20分だけ時間をくださいと言って、読む。この時間で気になるところ、ほとんど目を通してしまった。日頃の本屋さんでの立ち読み訓練効果は絶大でした(本屋さん、ごめんなさい。おかげさまでしばしば衝動買いしているので許してください)。私も、やればできるんだ。自分にちょっと感心した。

気になることは全部聞いて、営業の方からの重説説明も聞いて、決心の固まっている夫に、サインをしてもらった。あー。もう引き返せないよ。時計を見れば、いつのまにやらもう夜中の12時近く。終電に間に合うかどうか、ぎりぎりの時間!駅まで必死で走った。夫婦二人、ばかみたいに走った。営業の人も帰れたかな。

あんなに悩んでいたのに、契約が済んでしまったら、急に気持ちが軽くなった。憑き物が取れたみたいに。そうだ、ほんとに、契約するまでの間は憑き物がついていたみたいだった。嵐のような一週間だった。

こういうときにはかえって、自分に入り込んでしまうこともなく、人並みの平衡感覚を保てているような気がした。自分のズレた思い込みの世界で、誰にもわからないような「いい」に拘泥することなく、もっと一般的な感覚で「いい悪い」がわかりそうな気がして、もしかして、いい詩が書けるかもしれない、など思ってしまって、深く考えずにさらさら〜と書いた詩をアップしてみた。けれど、いつもに増してつまらない文章になっている気もした。

つづく

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