MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1436 成熟社会と景観

2019年08月26日 | 社会・経済


 乗り物に乗る際は、(例えそれが飛行機でも電車でもバスでも)できるだけ窓側の席を取るようにしています。その日のルートを頭の中で地図上に描きながら、進行方向どちら側の景色が良いかなどと考えるのは楽しいものです。

 仕事でよく新幹線を利用しますが、東海道新幹線の「のぞみ」に乗って東京から名古屋方面に下っていくと、三島駅を通過して沼津を過ぎたあたりから(お天気に恵まれれば)進行方向右手の車窓に雄大な富士山の姿が浮かび上がります。

 右側のすそ野が愛鷹山の影に入ってしまったり、上り電車の架線が少し気になったりはするのですが、それでもなんとかその姿を拝めた日には(出張先で)なんか良いことが起こりそうな気がして嬉しくなったりもするものです。

 初めて日本を訪れ期待の新幹線に乗った外国人であれば、眼前に広がるこの光景はまさに大きなプレゼントと言ってもよいかもしれません。

 富士山を見るなら、本当は(ダイナミックな稜線を堪能できる)御殿場線で国府津から沼津までゆっくり回るルートをお勧めしたいのですが、それだけのためになかなか遠回りもできないでしょう。

 同じように、例えば東名高速道路であれば上り線の由比パーキングエリアの周辺や、下り線であれば大井松田インター手前の丹沢山系から小田原に一気に視界が開ける辺りなど、「ここ一番、見逃さないでね」というような車窓の風景というのをいくつか思い出すことができます。

 しかし、一般的に言ってしまえば、例えば日本の市街地の道路を車で走っていて、気持ち良くなるような車窓の風景に出合うのはそんなに多いことではありません。

 もちろん東京都心にも、青山通りや表参道の緑の街路、皇居周辺の開けた景色、浅草近辺の猥雑さなど、オープンカーの「はとバス」で回っても楽しい風景はたくさんあります。

 京都や奈良、横浜、神戸などの歴史的な街並みばかりでなく、地方の中心的な政令市などでも風情のある建物や緑の空間などの「ならでは」の街角の風景に出会えて嬉しくなることもあるでしょう。

 尾道、倉敷、松本、川越、会津若松、弘前など、(思いつくだけでも)そんなに大きくない地方都市でも、その歴史を背景に街中に独特の魅力的な景観を保っているところがたくさんあるのも事実です。

 しかし、(現実を見れば)その他の多くの地方都市のロードサイドは既に郊外型ショッピングセンターや外食チェーン店の看板に埋め尽くされ、電柱の隙間に全国どこでもあまり変わらない家並みが続いています。

 バイパスと呼ばれるような無味乾燥なまっすぐの道を走っていると、カーナビの小さな画面とたまに現れる「○○まで何km」といった道路標識だけが、座標を示す唯一の手がかりと言っても過言ではありません。

 さて、昭和の高度成長期、「開発」の名のもとに全国一律で進められた都市機能の効率化によって魅力の乏しいものになってしまった日本のこうした「景観」に対し、東京工業大学名誉教授の仙田満氏が6月28日の日経新聞の紙面に「車窓の眺め良くしよう」と題する一文を寄せているのが目に留まりました。

 訪日外国人数の急増が話題になっている昨今、来日した多くの人はタクシーやバス、自動車、電車から風景や都市景観を眺めているわけですが、仙田氏は建築家の一人として、そこに多くの問題があると感じているということです。

 例えば、最近では小型のテレビディスプレーを付けているタクシーが多いが、乗客に外の景色よりCMを無理やり見せようとしているとしか思えない。タクシーは地下鉄と違って街の様子を感じ楽しみながら移動できるのだから、後部座席から折角の車窓の風景を美しく眺められるようにしてほしいということです。

 氏はさらに、(建築家として)鉄道のプラットホームにも改善の余地があると指摘しています。

 プラットホームは電車を待ちながら町を眺める場所だが、冬寒く夏暑いし雨風も吹き込んでくる。安全性に配慮し天井まで届く透明なホームドアを作ったり、ホームの屋根に太陽光発電パネルを設置したりすれば、景観とともに快適さを高める効率的なスマートステーションが作れるということです。

 近年、電車のスピードはアップして窓からの景色がとても早く変わるようになったと、氏は続けます。

 そんな乗客のストレスを緩和するためにも、(例えば)JR中央線の御茶ノ水駅周辺のような美しい緑、川の景観のようなほっとする場所をもっと作ってほしい。ビルの配置まで変えるのは無理だろうが、鉄道各社も車外の環境に配慮し、乗客を癒やすような景観を作るくらいの努力はするべきだというのが氏の考えです。

 また、車から見る風景で言えば、地方の国道の景観はどこも同じだと仙田氏はこの論考に記しています。

 県道、市道に並木があっても国道にはほとんど並木がない。管理が大変だといって、看板だらけの沿道風景が日本中に広がっているが、その土地に合った美しい個性的な並木がつくられるだけで日本の地域景観は変わるというのが氏の認識です。

 美しい都市をつくるには官民が連携し、車や鉄道と景観との間に良好な関係を築く必要があると仙田氏は言います。「社会の成熟」というのは、(おそらく)そうした細部にも目を向けることのできる余裕を指す言葉なのでしょう。

 目先の利益を求めるだけでは、都市自体が美しくなっても、逆に失うものも大きいと言わざるを得ないと氏は指摘しています。

 景観法というルールもあるが、人の流れや人の気持ちに即した景観をどう作るかを柔軟に考えてもらいたいと考えるこの論考における仙田氏の思いを、私もそうした視点から興味深く読んだところです。



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