今からちょうど1年ほど前の11月16日、広告代理店「電通」の社内シンクタンクである「電通総研」が、国内の18~70歳の男性3000人を対象に行った「男らしさに関する意識調査」の結果を公表しています。
報告書によれば、「女性活躍を推進するような施策を支持するかどうか」を尋ねる問いに対し、18歳〜70歳のすべての年齢で「とてもそう思う」「そう思う」の合計が過半数を超えたとされています。
ジェンダーフリーが叫ばれて久しい昨今のこと。結果については「さもありなん」という感じなのですが、気になったのは「そう思わない」との回答の方。世代別に見ると、「そう思わない」(つまり、「女性活躍を推進するような施策を支持しない」)との回答は18〜30歳で25.8%、「まったくそう思わない(支持しない)」が11.4%で、合計37.2%もあったということです。
この割合は31〜50歳でも3分の1を大きく上回る(合計)38.4%に及んでおり、決して少数派とはいえまん。実はこの数字は51〜70歳では合計21.2%とぐっと少なく、若い男性の方がおおむね支持を示さない傾向を示しているのは意外といえば意外です。
実際、「フェミニストが嫌いかどうか」を尋ねる問いに対しても、18〜30歳では「とてもそう思う」「そう思う」の合計が42.8%に達しており、31〜50歳の39.1%、51〜70歳の31.7%よりも高い傾向が伺われます。また、「最近は男性のほうが女性よりも生きづらくなってきていると思うか」の設問に対しては、18~30歳の50.9%、31~50歳の51.3%、51~70歳の51.9%が「そう思う」と答えており、全ての世代で過半数の男性が男性として生きることの「生きづらさ」を感じていることが伺えます。
男女平等を基本姿勢とする戦後の学校教育が始まって既におよそ80年。それでもなかなか定着しない日本人のジェンダーフリー意識に関し、11月18日の「PRESIDENT ONLINE」に、ラジオパーソナリティでライターの御田寺 圭(みたてら・けい)氏が『「男性は何かをする必要がある」ジェンダー平等を謳いながらそんなツイートをする国連女性機関の時代錯誤』と題する興味深い一文を寄せていたので、参考までにその一部を紹介しておきたいと思います。
フェミニストをはじめとする「男女平等論者」の大きな誤算は、「男性が普段どのような扱いを“当たり前”に受けているのか」を正しく想像できなかったことだと、御田寺氏はこのコラムに綴っています。
世の男たちは女性を不当に搾取して、なんら気苦労もなくのうのうと暮らし、世のあらゆる場面で不当に威張りちらし周囲を委縮させている…とでも思っているのだろうか。実際、巷には「男が『男女平等』の意識を高めれば、女性をちゃんと敬うようになる」などと、素朴に勘違いしているかのような語り口が散見されると氏は話しています。
(知らない女性は多いかもしれないが)男性たちは常日頃から他者にうっすら嫌われ、警戒され、「加害者」に見られないように肩を縮こませながら過ごしている。社会的なリスクの高い仕事の負担を押し付けられ、競争にさらされても弱音を吐くことを封じられ、敗北したり失敗したりしたときにも自己責任を求められてきた。このような男性にとっての「当たり前の扱い」を、女性に対してもフェアに向けるようになったのが、いま世間で達成されつつある(特に若い世代における)男女平等観だというのが氏の指摘するところです。
極端な事を言ってしまえば、「女の子を殴るなんて男のすることではない」という(男性のマッチョイズムに依存した女性に対する性差別的な)規範を解体した結果、「女だからといって男と同じように殴らないのはフェアではない」と殴打することを厭わない感覚を持った男たちが増えていったということ。もちろん、こうした潮流に対しては、「男性並みにぞんざいに扱われるのではなくて、男性も女性並みに大切に扱われる世の中を目指すことに協力すればいいじゃないか」といった反論がしばしばあると氏は言います。
言いたいことはわかるのだが、ではそれでは一体誰が、例えばこの社会の運営に必要不可欠な「よごれ仕事」を引き受けるのというのか。これまで男性がその大部分を担ってきた「危険で汚くてキツくて臭い仕事」は、「女性並みに男性も大切にされるべきだ」というベクトルで男女平等が達成された世の中では、だれも引き受けられなくなるというのがこのコラムにおける氏の見解です。
「男性がぞんざいに扱われること」を必要経費として構築されてきた社会で、みんなが女性なみにやさしくされる世の中を実現することは原理的に不可能だと氏は指摘しています。
男性が、今までどれだけの「重荷」を背負って生きてきたのかを適切に想像できていなかった人びとが、「お前ら男は男女平等をインストールしろ!」と勢いに任せて言い募り、それが本当に社会に浸透しつつある。そして、その結果として「男性差別はやめろ」「お前ら女も男と同じように責任を負え」と、男女平等の規範から逸脱した言動を大真面目に非難する男たちが大量に現れる現実が生まれているということです。
改めて強調するが、これは女性差別の拡大でも女性蔑視の発露でもミソジニーの蔓延でもない。「社会正義」に燃える人びとが「啓蒙」に励んできた成果が、いよいよ顕在化してきているということだと、氏はこのコラムの最後に記しています。
真の男女平等とは、男も女も社会の中で生きていくつらさを分かち合う新しい(そして厳しい)世界を意味しているのかもしれない。男たちが不満を貯めているのは我々が望んだ完全な男女平等な世界のハッピーエンドがいよいよ近づいていることの何よりの証であり、憤ったり嘆いたりする必要がどこにあろうかとこのコラムを結ぶ御田寺氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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