第一京浜国道(国道15号線)を山手線の三田駅前から品川方面に向けて走っていくと、都営浅草線の泉岳寺駅を過ぎたあたりの左手(東側)に、レインボーブリッジを背景に大きく開けたJRの操車場が見えてきます。
そこには現在何本ものクレーンが立ち並び、JR山手線に49年ぶりに誕生する30番目の新駅がまさに立ち上がろうとしています。
また、(地上からはそれとはわかりませんが)その数十メートルの地下においても、2027年開業予定のリニア新幹線の品川駅の工事が着々と進められているということです。
12月4日、JR東日本からこの山手線新駅の名称を「高輪ゲートウェイ駅」に決定したとの発表がありました。
しかし、この名称に関しては(どうやら)あまり世間の評判がよろしくなく、ネットやメディアにおいては「『ゲートウェイ』ありきのネーミングかよ」「キラキラネームでセンスなし」などとさんざんの言われようです。
今回の新駅命名に当たって、JR東日本ではネットを使った一般公募を行っています。そこには64000件もの応募があって、その結果、1位は『高輪』の8398件、2位は『芝浦』の4265件、3位は『芝浜』の3497件だったということです。
一方、新しい駅名に決まった『高輪ゲートウェイ』はわずか36票で130位。これでは何のために駅名公募を行ったのかと言われても、確かに仕方がないかもしれません。
12月7日には、命名撤回を求める署名運動がネット上でスタートし、8日までに(「高輪ゲートウェイ」撤回に)賛同する署名は約3500人に達しているとされています。
さて、(折角ですので)新駅の建設地を確認してみると、その場所は「忠臣蔵」の赤穂浪士の墓所として知られる泉岳寺から南西へ約300mの所に位置しています。
江戸時代の5街道のひとつ「東海道」が江戸から離れる関所があった高輪大門からも約300mの距離にあり、駅名に「高輪」の名前が冠されているのも確かに納得がいくところです。
ただし、「高輪」の語源は「高縄手」、つまり東海道から見える「縄のように連なった尾根筋」のことであり、正確に言えばこの場所は「高縄の麓」と言うべきかもしれません。
一方、実際の建設場所は江戸時代は江戸前の遠浅の海の中であったことから、三田近辺の海岸を指す「芝浜」「芝浦」という名称も、それはそれで間違ったものではないでしょう。
また、この建設地は(1900年に発表された)「鉄道唱歌」において「右は高輪泉岳寺、四十七士の墓どころ」と唄われた(まさに)その場所に位置しているため、1968年に設置された「泉岳寺駅」の駅名を重ねて使うことも合理的と言えば合理的な選択です。
山手線と言えば都心を環状に走る首都東京を代表する由緒ある基幹鉄道であり、これまでは駅名も「東京」「新宿」「品川」など2文字がメインでした。最長でも「高田馬場」「新大久保」「西日暮里」など簡潔に4文字までで、それぞれの地域を象徴するかっちりした地名が使われて来たと言えるでしょう。
一方、そうしたことから、新駅にも(愛着のある)伝統的な地名が充てられるに違いないと信じていた地元の人々や鉄道ファンにとって、「高輪ゲートウェイ」という(「○○ニュータウン」のようないかにも開発がらみの営利を優先した)駅名は受け入れられないという気持ちもよく理解できます。
もとより、日本人にとっての駅の名前というのは、自治体の名前かそれ以上に「公的」なものであり、地域のアイデンティティを象徴するアイコンとして認識されてきた歴史があります。
「どこに住んでるの?」と聞かれ、駅名を答える日本人は多いと思います。そうした際、「池袋」とか「恵比寿」とか言えばすぐにイメージが湧きますが、「高輪ゲートウェイ」では「なんだかな…」という感じは(確かに)否めません。
「名は体を表す」の言葉どおり、「上野」の響きに郷愁を感じる東北出身者は少なくないと思いますし、「渋谷」に東急沿線の玄関口としての洗練されたイメージや「若者の街」としての活気を感じる人も多いでしょう。
「日暮里」と言えば、その響きには谷根千などと言われる江戸情緒が感じられますし、「秋葉原」を聖地と崇めるオタクたちも未だ多いはずです。
都心の各地の地名には1600年の江戸幕府開闢から平成の現在に至るまでの400年間の歴史と文化が刻み込まれており、人々の地名への愛着はJRのお歴々が考えているよりもずっと強いものがあるのではないでしょうか。
駅の名前は、確かにそれを運営する鉄道会社が(その責任において)付けるものでしょう。しかし、利用者の運賃で作られる公共物として駅(そして駅の名前)がその地に暮らしその駅を利用する人々の共有の財産であることも、(できれば)忘れないでいてほしいと願うところです。
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