私は知らなかったのですが、学習指導要領が改訂され、2022年4月から小学校・中学校・高校での金融教育が義務化されているのだそうです。学校での金融教育はこれまでにも行われていましたが、(今回の改訂により)その内容が小学校から高校まで一貫した「金融プログラム」にとなるよう一新された由。特に高校の家庭科には具体的な資産運用の学習が盛り込まれ、電子マネーや決済機能などの実践的な知識を身に着けられるようになったということです。
おそらくそうした変化の背景には、民法改正により成人年齢が18歳に引き下げられたことがあるのでしょう。これに伴い、様々な契約行為が本人の意志だけでできるようになる一方、若者が詐欺など金融トラブルに巻き込まれる可能性も大きく高まった。深刻なトラブルを避けるため、正しい判断ができるよう金融リテラシーを(なるべく)早い段階から身に付けることが求められているということでしょう。
しかし、(そうは言っても)小学生の頃から「お金儲け」の仕方を学校で学ばせるというのは、思えば味気のない話。社会の構造や必要な倫理感、汗して働くことの大切さなどを理解しないままに「金融」の技術のみを身につけさせようというのでは、指導する教員も大変だなと思わないではありません。
一方、欧米などの諸外国では既に1960年代から地域や学校の裁量で金融教育が推進されおり、社会生活を送るための基礎として、子供たちはクレジットシステムや金銭管理を学んでいるということです。
経済界などから、「諸外国と比べ日本は金融教育が遅れている」との指摘が相次ぐ中、文部科学省としても何がしかの「やってる感」を醸し出す必要があったのでしょう。しかしこのような近年の動きに対しては、首をかしげる識者もいるようです。12月19日の「デイリー新潮」に、ベストセラー『バカの壁』で知られる東京大学名誉教授の養老孟司氏が、「子どもに投資を教えるなんて“アホ”」と題する論考を寄せているので、参考までに(「養老氏ならでは」の)厳しい指摘を残しておきたいと思います。
氏によれば、今の時代、口では「子どもを大切にしている」と言いながら、実は大切にしていない気がするとのこと。若者の自殺が多いことなどはその表れかもしれないというのが氏の指摘するところです。
「昔の方が子どもに厳しくてスパルタだったじゃないか」という話は確かによく聞く。実際、体罰やゲンコツは普通で、そこだけ取り上げると、スパルタ式で厳しかったようにも思われると氏は言います。
しかし、一方で忘れられがちなのは、昔は子どもが簡単に病気などで亡くなっていたこと。例えば昭和14年頃まで、日本では乳児の10人に1人が1年以内に死亡しており、子どもはとても弱い存在で、いつ急にいなくなるかわからないというのが社会の常識だったということです。
そんな「はかない」存在であるからこそ、(当時は)親も社会も子どもを大切にしなければと考えていた。子どもはいつ死ぬかわからない…そう思えば、今のうちに好きに遊ばせてあげようと思うのは自然な話で、その気持ちは想像できると氏はしています。
しかし、今は子どもの時期について、「大人になるための貯金をする時期」のように考えている人が多い(のではないか)というのが氏の懸念するところ。すべては将来のための投資、今、頑張っておけば、我慢しておけば将来いいことがあるぞ、という理屈で子どもに無理をさせているというのが氏の認識です。
全て将来の不安をなくすため。(「子どもため」と言いながら)子どもを大人の予備軍としか見ていない。しかし、もしも来年にはこの子が死ぬかもしれないと想像すれば、親だってあれこれ強いることはしないだろう。社会だって、子どもたちにはもっと今の時期を楽しんでほしいと考えるのが自然だろうということです。
さて、「将来のために我慢しろ」「(そうすれば)先にはいいことがあるぞ」というのは、子ども時代そのものに価値を置いていないということ。しかし、子どもには子どもの人生があり、その毎日がとても大切なもので、これが子どもを大切にする基本なのではないかと、養老氏はここで指摘しています。
近年では、子どもに対して「早く大人の世界に関われるようになりなさい」と教え込む教育が主になってきているように見える。実際、子どものときから「投資」だの「資産運用」だのをおぼえないといけないような意見をよく聞くが、「何とあほなことを」としか思えないと氏は話しています。
「コミュニケーション能力を高めましょう」「グローバルで活躍できる人材を育成しましょう」…そうしたことに子どもの貴重な時間を割くのは、組織で使いやすい人材を速成するにはいいかもしれないが、言うことに中身がなければ、コミュニケーション能力なんて意味を持たない。そして、(「将来役に立つから」という理由で)こうした圧力が強くなること自体、若い人や子どもたちにとってよいことだと思えないということです。
こんな調子だから、子供の自殺が増えるのではないか。早期教育を勧めている人たちには申し訳ないが、そもそもこういうことは、人の日常生活と関係ないのではないかというのが近年の教育の動きに対する氏の感覚です。
日常生活というのは、まずは食事をする、体を動かす、睡眠をとる、といった生き物としての基本となるもので成り立っている。そこがきちんとしていることがまず重要であって、お金の知識も英語の能力も早くから身につけても人生にとって大した意味はないと氏は言います。幼児教育とか英才教育とか、何かすれば子どもが良くなるというのは勘ちがい…そのくらいに思っておいたほうがいいということです。
あせる気持ちになるのもわかる。周囲があれこれやっていれば気になるもので、 親の立場からすればどうしても「何かさせなきゃ」と思うのは分かると氏はこの論考の最後に綴っています。
しかし、多くの場合、子どもに無理に何かをさせても結果は大して変わらない。実は、(この国では)国民に「何かさせなきゃ」と無駄なことをさせたがるのは政治家や官僚も同じで、かわいそうなくらいに「何かさせなきゃ、しなきゃ」と思いこんでいると氏はしています。
そこには、自分たちが何かしたほうが世の中が良くなるという思い込みがある。そしてその結果、バカみたいな政策を進めてしまったのをこれまでに何度も見てきたと話す(齢87歳を迎えた)人生の達人の言葉を、私も大変興味深く読んだところです。
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