MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2681 なぜ学校に行かなければならないのか?

2024年12月07日 | 教育

 埼玉県内の公立校では年間に30日以上登校せず「不登校」とされた小中学生が約1万7千人(2023年度)にのぼり、9年連続で過去最多を更新したと12月4日の朝日新聞が報じています。

 文部科学省の調査によれば、同県内の不登校の小学生は5958人で、22年度の4395人から実に35・6%も増加。1千人あたりの不登校児童数は16・9人だったとされています。不登校の中学生は1万833人で、前年度の9715人から11・5%増え1千人あたりでは61・7人。高校でも、前年度より17・8%増の3302人となったということです。

 調査によれば、不登校の「主たる」要因として最も多いのは「無気力、不安」である由。小学校で50.9%、中学校で52.2%、高校で40.0%の不登校生徒がこの要因を抱えているとしています。

 まあ、それほど行きたくないのなら…と、無理に学校に通わせようという親や教員が減っていることもあるのでしょう。確かにイマドキは、無理して学校に行かなくたってネットを使った勉強もできるし、かったるい授業や鬱陶しいクラスの奴らにつきあうのは「もううんざり」と考える子供たちの気持ちもわからないではありません。

 そもそも、子供だからと言ってなぜ学校に通わなくてはいけないのか…そこのところを上手く説明できないと、子供たちを説得することは難しいことでしょう。そんな親御さんたちの参考になるかどうか。12月3日の日本経済新聞の夕刊に東京学芸大付属世田谷小学校教諭の沼田晶弘(ぬまた・あきひろ)氏が、『社会の「泳ぎ方」学ぶ場所「学校に行く意味」伝えよう』と題する一文を寄せているので、参考までにその指摘を残しておきたいと思います。

 「なぜ学校に行かないといけないの?」…我が子にこう問われ、返答に困ったことはないだろうか。新型コロナウイルス禍によって多くの子どもが長期休校を経験し、不登校は急増している。子ども目線で「学校に行く意味」をどう伝えたらよいのか?

 大前提として、保護者には子どもに普通教育を受けさせる義務がある。憲法でこう定められていることを、まずは子どもに説明すべきだろうと氏は言います。そのうえで、学校に行くメリットを具体的に分かりやすく説明していく必要がある。「学校はプールで、社会は海」というのはその一つ。プールには囲いがあって、波も来ない。安全な場所で一生懸命もがくことで泳ぎ方を身につけ、社会という海に出る準備ができると沼田は指摘しています。

 海は気を抜けば流されるし、海水はしょっぱい。プールよりも環境は断然厳しい。それでも頑張って泳ぐと違う国にたどり着き、いろんな文化に触れることができる。こんな将来を見据えて、一人ではなく、みんなでプールで練習をしよう―という例え話もあるということです。

 また、学校は「ぶつかり稽古をする場所だよ」という話をすることも多いと氏は言います。社会には色々な人がいる。自分とは全く違う考え方をする人がいて、うまくいかないことは多々ある。自分を認めてほしいなら、他人のことも認めないといけないと氏はしています。

 今のまま社会に出たら、あちこちでぶつかってばっかり。だから安全な学校にいるうちにいろんな人とぶつかり稽古をして、相手を知り、作戦を考える。これが学校というところだという説明もあるという事です。

 学校という安全な環境で(←そのためには、大人が責任をもって学校を「安全」な場所にしなければいけませんが)、家族以外の人と触れ合い、学び合うこと。物事をどこから見るかという「視座」は人によって異なり、人それぞれ見える範囲…つまり「視野」も異なる。学校の友達といると、自分以外の意見やアイデアを知ることができ、楽しいことが増えると氏は言います。

 他人の「視座」を借りて、自分の世界を広げたり、問題を解決したりする能力は、大人になって大切なもの。自分からは出てこなかったアイデアに助けられた経験を多くの大人がしているのではないか。学校で友達とぶつかり合いながら、違う意見に素直に耳を傾ける力を育ててほしいというのが氏の望むところです。

 今の子どもが生きている社会は、漫画でいうと「キャプテン翼」や「ドラゴンボール」のように(ひとりの)ヒーローがストーリーを引っ張るのではなく、「ONE PIECE(ワンピース)」のように長所も短所もある登場人物が互いに補い合い、目標に向かって挑戦するような社会だと氏は話しています。

 多くの同世代が集まる学校という環境では、子どもたち自身が物の見方を変えることで、自分や友達にそれぞれ魅力があることに気づくことができる。そこで大人ができることは、そんな彼らに少し手助けをすることだけだというのが氏の認識です。

 集団生活の中で受けるストレスは確かに疲れるものではあるけれど、そうした中でしか磨かれない意識やタフネスさというものもあるのでしょう。保護者も我が子の学校での順位や平均点といったことはあまり気にせず、「ぶつかり稽古」で磨かれることの意味を伝え、学校に送り出してほしいと論考を結ぶ(現場の指導者ならではの)沼田氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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