政府は12月23日に開かれた新型コロナウイルス感染症対策分科会において、(全知事会や日本医師会などの多くの関係者から要請のあった)新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正に向け、議論な本格的を始めたと大手新聞各紙が伝えています。
改正法では、休業や営業時間短縮の要請に応じた飲食店などへの支援措置を明記するほか、緊急事態宣言前でも臨時の医療施設の設置を可能とすることなどを検討しているとされています。
また、併せて店舗の休業や外出、移動の自粛についても強制力を伴う措置が取れるよう、政府や都道府県知事の権限を強化することも検討するということです。
西村康稔経済再生担当大臣は分科会後の記者会見で、「改正の必要性についてはおおむね理解を得られた。(来年1月召集の)通常国会での提出も念頭に、分科会を含めて議論いただき、政府として迅速に検討を進めたい」と話しています。
国民への「自粛要請」でこの1年間をしのいできた政府も、いよいよ(中国や欧米諸国などと同様)公権力による強制力を伴う都市封鎖(ロックダウン)へと大きく舵を切ることになるのでしょうか。
もしもそうした事態が訪れることになれば、第2次大戦後の70年以上にわたって続いてきた(ある意味「ゆるゆる」とした)政府と国民の関係も、その時点から大きく変化していくかもしれません。
12月21日の『週刊プレイボーイ』誌では今回の新型コロナへの政府の対応を巡り、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が自身のコラム「そ、そうだったのか!? 真実のニッポン」に、「日本人は役に立たない政府を望んできた」と題する興味深い一文を掲載しています。
数千年ものあいだ皇帝による独裁統治(人治)をしてきた中国では、(中央集権的政府の下で)ひと足早く超監視社会に移行し、人権を制約すれば感染症を抑制し経済成長と両立できることを証明したと橘氏はこの論考に綴っています。
それに対して「リベラルデモクラシーの守護者」たる欧米は、過度な社会統制を避けたことで多くの感染者や死者を出したものの、病院へのアクセスを制限し治療に優先順位をつける「社会的トリアージ」を実行すれば、医療崩壊を(ある程度は合理的に)防げることを示したというのが氏の認識です。
翻って日本政府はどうかと言えば、中国のような統制もせず、かといって欧米のようなロックダウンにも至らず、強い決断を避けつつ医療機関に全ての患者を受け入れさせながら今日に至っている。
結果として、国民の同調圧力と「自粛警察」だけで一定程度感染を抑制したことで、国際社会からも「謎の成功」という奇妙な称賛さえ受けることになったと氏は説明しています。
しかし、それにもかかわらず、GoTo事業をめぐる混乱もあって(現在)菅新政権の支持率は大きく下がっている。もちろん、これには様々な要因があるのだろうが、感染症対策にせよ、経済支援にせよ、国民の気持ちをひと言で表わすなら「がっかり」というものではないかと氏はこの論考に記しています。
日本人の多くは、そもそも日本の政治家にはリーダーシップが欠如し、政府は「ぜんぜん役に立たない」と思っている。そして、民主国家である日本でなぜこんなことになるのかと言えば答えはひとつ、「日本人が役に立たない政府を望んできた」からだというのが橘氏の見解です。
振り返れば、1945年に悲惨な敗戦を迎えた際、「日本は神の国で鬼畜米英をせん滅する」というデタラメを振りまき300万人もの兵士・国民を無駄死にさせた政治家や軍人たちは、8月15日を境に手の平を返したように米国にすり寄って「民主主義」とか「自由と平和」とか言い出した。そうした経験を経た日本の国民に共通の思いは、「政府にだまされた」「政府は信用できない」というものであったと氏は指摘しています。
全ての価値観が崩壊する衝撃を体験した人たちは今では既に80代以上の高齢者になっているはずだが、この底なしの「がっかり」感が戦後日本社会に及ぼした影響は決定的だったというのが氏の考えるところです。
敗戦によって日本人が思い知らされたのは、「権力者はすべてウソつき」「政治家を信じてもろくなことはない」という苦い真実だった。「二度とだまされない」と決意した国民が、戦前のような「上から目線」の政治を徹底して忌避したのは(ある意味)当然の結果だということです。
その後、戦後日本の政治家は有権者におもねり、懐柔しならが新しい社会をつくっていくしかなかった。ちょうど上手い具合に高度経済成長が始まったことで、彼らが選んだ解決策は「お金を配って政治をさせてもらう」ことだったと氏は解説しています。
一方の国民の側も、経済成長の果実を分配する作業の見返りとして、政治の「ままごと」を許してくれた。重要な安全保障はアメリカに丸投げしていたので、そうした「ままごと」のような政治でも大きな問題は起きなかったということです。
もちろん、これはたんなる仮説にすぎないが、しかし、「日本国民が無能な政府を望んだ」と考えると、迷走する感染症対策も、与野党あげて「一人一律10万円給付」のばらまきに飛びついたことも、これまで起きた出来事のすべてがきれいに説明できると氏はこの論考を結んでいます。
新型コロナへの対応は、「第三波」といわれる猛威の中でいよいよ正念場を迎えています。直面している「感染者の急増」といった非常事態を前にして、果たして政府は権力を委託されたものとして国民にきちんと対峙できるのか?
憲法で認められている自由の制限などを考えれば、(ただ世論に流されるだけでなく)国民サイドにもしっかりした議論が求められていることを、私たちは改めて肝に銘じる必要があるのかもしれません。
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