MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯316 鰹節のリスク

2015年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム


 中国からの輸入冷凍餃子事件に端を発する食品への薬物混入や、生肉、生レバーの病原性大腸菌汚染、残留農薬やポストハーベストの危険性や最近では食品への異物混入など、「食の安全」の問題は(ある意味「安全」というよりも「安心」の問題として、)生きることに「不安」を抱える多くの日本人の心を捉えて離さない核心的なリスクのひとつとして認識されているようです。

 特に、福島第一原発事故に伴う食品への放射性物質の影響が、放射線の低線量被曝による人体への影響に関する知見の少なさなどとも相まって、(いわゆる風評被害も含め)国内に大きな混乱を生んだのは記憶に新しいところです。

 食品中に含まれる有害物質の由来は、故意・過失により異物として混入されたものや微生物により生成されたもの、製造の過程で必要に応じ添加されたものばかりではありません。加工中の変質により発生したものや食品が本来有している性質によるものなど、その原因は本当に様々だということができるでしょう。

 食事は身体を成長させ健康を増進するものである一方で、体外から異物を取り込むと言う意味では、人体にとって一定のリスクを生む行為であることは論を待ちません。

 有史以降、人類が繰り返してきた「食」に関する悲惨な事故の記録を一つ一つ丁寧にたどっていくと、人類が試行錯誤を繰り返しながら食物の危険を何とか飼いならし、命をつなぐ安全な食料に変えてきた長い挑戦と英知の歴史がうかがうことができます。

 さて、そうした「食の安全」への不安の具体例として、森林ジャーナリストの田中淳夫(たなか・あつお)氏が昨年の12月21日のYahooNews(Japan)に投稿した「鰹節」に関する記事が、一時期Web上でずいぶんと話題になっていたことを思い出しました。

 話の発端は、今年の5月にイタリアのミラノで開催される予定の「食」の国際博覧会のメニューにあります。博覧会場の日本食レストランで使用する予定だった国産の水産物や畜産物などの食材の多くがEUの食品の安全規制に触れるとされ、軒並み持ち込めないと言う事態が起こりました。

 中でも、和食の旨味を見えない所で支える「鰹節」が持ち込めないという事態に驚いた日本政府は、万博会場以外で展示・提供しないとの条件を付したうえで、会場で使用することを認めるようEUに要請していると田中氏はこの記事に記しています。

 鰹節が「安全でない」と聞けば、一体どこが問題なのかと疑問に思う向きも多いと思います。

 実は、鰹節の製造に当たっては鰹の切り身を「いぶす」工程があり、その際にタールや焦げの部分が生じて、そこに発がん性物質「ベンゾピレン」が生成されることは既に関係者の間で広く知られています。また、本格的な鰹節では乾燥・熟成の際に敢えてカビを付着させるケースも多く、安全管理の面でカビ毒発生の可能性も懸念されたようです。

 さて、EUが不安視するその「ベンゾビレン」に関しては、3年前(2012年)の10月頃、日本でもポピュラーな韓国の「辛ラーメン」の回収騒ぎ起こり、身近な食品への不安感とともに大きな話題を呼びました。

 ベンゾピレンは、多環芳香族炭化水素類(PAHs)の一種で、国際がん研究機関(IARC)ではグループ1(←発がん性があると断定できる証拠が十分にある)に分類されている化学物質です。

 実は、日本国内には、食品中のベンゾピレンに関する基準はありません。しかし、韓国では食品中の含有量に基準が設けられており、韓国食品医薬品安全庁(KFDA)の検査により、「辛ラーメン」に使用されている「鰹節」から基準値(10μg/kg )を超える10.6〜55.6μg/kg が検出され、ラーメンの回収が命じられたことが騒ぎの発端となりました。

 冷静に考えれば分かるとおり、リスクの大きさは発がん性の有無だけでなく、摂取量によって大きく変わります。

 ラーメンの出汁(だし)に使われるかつおぶしの量から考えて、「辛ラーメン」のベンゾピレン含有量がごくわずかであることは明らかです。韓国メディアによれば、韓国国民が一生に食べる即席ラーメンの全てが今回の「辛ラーメン」だったとしても、それによるベンゾピレン摂取量はサムギョプサル(豚の三枚肉)の焼き肉のわずか1万6000分の1だということです。

 我が国の農林水産省がまとめた「有害化学物質の含有実態調査(平成15~22年度)」によれば、国内で販売されている「鰹の削り節」に含まれるベンゾピレンは最大値で200μg/kg、最小値で0.16μg/kgと幅が大きく、平均値29μg/kg、中央値27μg/kgだったということです。

 つまり、日本で一般的に流通しているかつお削りぶし等のベンゾピレン含有量は、多くの製品において韓国の基準である10μg/kg(EUの輸入基準値では5.0μg/kg)を大幅に上回っていることがわかります。

 一方、国立医薬品食品衛生研究所安全情報部第三室長の畝山智香子氏の著書『「安全な食べもの」ってなんだろう? 放射線と食品のリスクを考える』(日本評論社)によれば、一般的な焼肉(炭火焼き)には概ね50μg/kgのベンゾピレンが含まれているということです。

 畝山氏はこの著書の中で、食品中に含まれる様々な発がん性物質について個別にリスクの大きさを検討し、放射性物質の発がんリスクに置き換えて比較しています。

 氏の試算によれば、仮に体重50kgの人が毎日焼肉を50g食べると想定した場合でも、ICRP(国際放射線防護委員会)の示しているリスク係数を用いて計算すると、その発がんリスクは6.6mSvの放射線に相当し、人体に影響のあるレベルを大きく下回っているとしています。

 一方、様々な食品を試算した結果、日本人の健康にとって一番リスクが高いのは「ヒ素」だと畝山氏はこの著書において指摘しています。無機ヒ素は遺伝毒性発がん物質で、日本人の食生活の中では「米」や「ひじき」などに多く含まれるため、摂取量が非常に多いということです。

 米を毎日3食食べたとして計算すると、ヒ素による発がんリスクは1.5×10のマイナス3乗。つまり放射線のリスクに換算すると20mSvの被ばくに匹敵すると畝山氏は指摘しています。さらに「ひじき」に至ってはそれ以上に発がんリスクが高く、毎日わずか1g食べるだけで、発がんリスクは27mSvに相当するということです。

 2004年の7月、イギリスの食品規格庁は発がんリスクが指摘されている無機ヒ素を多く含むこの「ひじき」について、健康を害する食品として摂取しないよう勧告を出しました。これに対し日本の厚生労働省は、日本におけるひじきの一日当たり摂取量は約0.9gであり、ヒ素の暫定週間耐容摂取量(PTWI)を超えることはないとして、イギリス政府に反論しています。

 このように、日常的に食卓に上り摂取量が多い一般的な食品の中にも、健康に影響を与える危害要因とされる物質がそれこそたくさん含まれていると畝山氏は指摘しています。

 例えば、ジャガイモには毒性のあるアルカロイドが含まれ、加熱すると発がん性の極めて強いアクリルアミドが生成されるということです。もしも新しい食品添加物としてジャガイモが申請されたら、そのリスクから簡単に認可されることはないだろうと畝山氏は見ています。

 しかし、ジャガイモが、その育てやすさとカロリーで、これまで世界中の何十億人という人々の命をつなぎ、私たち自身もその栄養価の恩恵を受けてきたというのは紛れもない事実です。

 このように、一つの食材の中に人体にとっての「メリット」と「デメリット」があることを、私たちはある意味当然のこととして受け入れていかなければなりません。一方で、現代になって採用された「規制値」という存在は、「それを超えたら危険」というような意味ではなく、安全性に余裕を十分もたせた「目安」として認識するべき、ひとつの「指標」として考える必要があるということです。

 人体にとって「絶対に安全なもの」というのはほとんどないと言えるかもしれません。実際、生きるためにどうしても必要な「塩分」や「水」でさえも、摂取の仕方や量によっては大変危険な存在になり得ます。

 そう考えれば、「食への不安」は、そのリスクを「知らない」という一点から、その人自身が生みだす幻想や恐怖感と一体化したものだと言えのかもしれません。

 そうした意味で、危害要因の一つだけを見てその食品を評価するのではなく、メリットやデメリット、加工や保管の方法、どうすればリスクを軽減できるのかなどの全体を俯瞰してみる必要がある。不安に打ち勝ち「食の安全」を確保していくためには、何が一番問題なのかを科学的に評価する(冷静な)「リスク分析」が必要だとする畝山氏の指摘を、私も大変興味深く読ませてもらったところです。




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