なぜ、世界でも日本だけが「コロナ鎖国」に最後までこだわり、国民みんなでマスクを着け続け、結果「コロナ禍」の状態を終えられずにいるのか。それは日本が「世界一の老人大国」で変化を嫌うからだと、精神科医で作家の和田秀樹氏は6月21日の「PRESIDENT Online」に綴っています。
日本の報道を見ていると、欧米では「マスクをかけない自由」を求める頑迷な権利意識からマスクをしない人が多いようにも見える。しかし実態は、それぞれの国がマスクの得失を十分に考慮したうえで「脱マスク」に方針変更したということ。一方、我が国と言えば、一向に舵は切られていないばかりか、本格的な議論すらされていないというのが氏の指摘するところです。
日本のワクチン接種率は既に欧米を上回っているが、だからといって「そろそろ、マスクを外そう」という議論はあまり耳にしない。テレビを観ていても、マスクのデメリットが語られるシーンをほとんど目にすることはないのが日本の実態だということです。
なぜ、状況が変化していても、日本は変わることができないのか。それは、残念ながら、この国が老いたからだと氏は話しています
シルバー民主主義という言葉があるが、実際、日本では国民のほぼ半数が50歳を超えようとしており、このような国は古今東西、世界に例がない。高齢化が国民全体の脳を萎縮させ、政府も国民も「変化を好まなくなった」というのが、医師としての和田氏の見立てだということです。
本当に日本人の脳の萎縮が日本の政策から柔軟性を奪っているのかどうかはよく分かりませんが、日本の社会や経済が環境の変化に対応できず、低迷・凋落の道をたどっているというのはしばしば指摘されるところ。そんな日本の弱点に関し、ビジネスライターの黒坂岳央氏が一種の処方箋を描いているので参考までにここで紹介しておきたいと思います。(「日本という国の最大の弱点とは?」2022.12.05)
新型コロナウイルスの弱毒化などに伴い、厚生労働省は熱中症のリスクなども踏まえ屋外などの場面では、マスクを外すことを推奨している。しかしこの呼びかけがあまりにも浸透しないので、最近は税金を使ってSNS広告出稿をしてまでしていると黒坂氏はこの論考に記しています。
そんな中、市役所の主催するある秋祭りのイベントを覗いた氏は、晴れた日の屋外のテーブルに整然と並べられたアクリル板と、集められた(と思しき)中学生たちがきっちりマスクを着け、整然と並ぶ姿を目にしたということです。
秋晴れの風が吹き抜ける屋外において、十分に距離が取られている状況でこのアクリル板は感染拡大防止にどれだけ大きな役割を果たすのだろうか? 声を出す事がないまま、屋外でマスク着用をする意味は?…祭りを運営する市は、未だに2年前の感覚のまま停止しているように思えたと氏はこの論考に綴っています。
これは推測になるが、おそらく市の担当職員もわかっているはず。しかし、彼らが防ぎたいものの本質はウイルス感染ではなく、市民からの「クレーム」だろうというのが氏の認識です。
もしも、最新の状況に則った運営をしようものなら、2年前の正体不明の感染症と対峙した時の感覚が抜けきれないままでいる、一部のノイジーマイノリティからの批判が寄せられてしまいかねない。その対応が面倒であるため、このような運営となった可能性が極めて高いということです。
もちろん、状況や環境が変われば有効な対処法も変わるはず。朝令暮改の発想で、柔軟に変化に対応することも時には必要だろうと氏は言います。
そこで、それを実現するためとして、氏はこの論考に(氏が重要と感じる)2つのポイントを挙げています。
1つ目は「批判への対応力」というものです。おそらく、日本人の多くは批判慣れしていない。同じような顔をして同じ文化圏で空気を読み合って育っているため議論を避ける傾向が強く、意見が違っても沈黙のまま衝突を避けている人も多いはずだと氏は言います
しかし、顔は似ていても主義主張は人の数だけ存在する。当然合わない人も水面下ではたくさんいる。批判への対応力を得ることにより、変化する勇気を持つことができるのではないかというのが氏の見解です。
そしてもう1つは、思考停止にならないことだと氏は言います。例えば、安定企業や公務員を目指す若者の中には、「就活や、入社後のキャリアの舵取りを思い悩まずに済むから…」という理由の持ち主が意外なほど多いということです。
しかし、本来は人生の生き方や仕事は周囲の環境や状況が変化するのに合わせて、都度変化に対応し続けるべきもの。安定企業といってもいつ潰れるかも分からないスピーディーな変革の時代において、思考停止でいることはかえってリスクになるというのが氏の指摘するところです。
まずは、批判に負けずに必要な議論を尽くすこと。そして、思考停止に陥ることなく、環境に合わせて改善策を指向することが、最終的に社会の変化を促すということでしょう。
日本人は(スピーディーな変化を苦手とする)弱点を持ってはいるが、一方で明確なロールモデルさえあれば、チームワークを発揮して一丸となってその実現に進むという(前向きな)国民性も持ち合わせていると、氏はこの論考の最後に記しています。
もしも、今回のコロナ禍を機にこの弱点を克服できれば、30年の「失われた」時を過ごす我々にも新たな景色が見えてくるかもしれない。「変化できない日本」の汚名を挽回することで、上昇機運に恵まれるのではないかと話す氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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