日銀は来年7月、偽造防止などを目的に、紙幣(日本銀行券)のデザインを20年ぶりに一新するとしています。新しい1万円札の顔には、「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一が、5千円札には日本最初の女子留学生で津田塾大学を創立した津田梅子が、千円札には近代医学の礎を築いた細菌学者北里柴三郎が、それぞれ採用されるとされています。
一方、福沢諭吉などがデザインされた現行の3紙幣の印刷は、既に昨年の9月までに終了したとされており、新紙幣の印刷もすでに1年以上も前から開始されていると聞きます。
思えば福沢諭吉の1万円札が流通していた期間は、先代も含めて実に40年間。既に多くの日本人が「聖徳太子」の1万円札を知らず、「お年玉と言えば諭吉」で育った世代が、既にお年玉を渡す世代となっています。
それにしても、これだけ定着している紙幣のデザインをなぜ交換する必要があるのか。例えば米国で流通しているドル札などを見ても、1ドル札のジョージ・ワシントンから100ドル札のベンジャミン・フランクリンまで、(少なくとも私の知る限り)デザインが大きく変わった記憶はありません。
そんなことを考えていた折、7月3日の金融情報サイト「BUSINESS INSIDER JAPAN」に第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣氏が「タンス預金はなぜ問題? 紙幣刷新でタンス預金をあぶり出すと世の中はどう変わるのか」と題する一文を寄せているのを見かけたので、小欄に概要を残しておきたいと思います。
対外的には「偽造対策」として説明されている、今回の日銀による紙幣デザインの変更。しかしその(本質的な)狙いが家計における「タンス預金」のあぶり出しにあることは、多くの専門家が指摘していると氏はこの論考で指摘しています。
日銀の資金循環統計によると、2022年12月末時点で家計部門が保有する現金は前年比+2.4%増の109兆円。過去最高額に膨らんでいる背景には、高齢者を中心に自宅で現金を保管する「タンス預金」を増やす傾向が強まっていることがあるだろうということです。
実際、このうちどの程度が「タンス預金」に回っているのかを正確に知ることはできないが、一般的にはおよそ30~80兆円あると言われている。そこで、仮に家計部門の現金のうち半分をタンス預金と仮定すれば、一般的に言われている規模のほぼ中間値となる55兆円程度の金額となるというのが氏の見解です。
55兆円と言えば、個々の世帯に100万円を超えるような現金が眠っているということ。そもそも多くの日本人は、なぜこれほどまでに「タンス預金」にこだわるのか。
一般的に、個人がタンス預金をする目的としては、次の5点が指摘されると氏は言います。1点目は、いつでも好きな時に現金が使えるということ。ATMの手数料も節約できるし、手元にまとまった額の現金があれば安心感があるということです。
2点目は、銀行の破綻などから資産を守るため。現在、銀行にはペイオフ制度があるが、銀行が破綻した場合、1000万円を超えた分の預金が保証の対象にならない可能性がある。なので、そこを超えた分をタンス預金にし、銀行破綻から資産を守ろうと考える人も多いと氏はしています。
3点目は、相続発生時に口座が凍結されても困らないように…というもの。死亡によって資産が凍結されても、手元にまとまった現金があれば困らないで済むという理由です。そして4点目が、国に個人の資産を把握されないようにするためだと氏は話しています。タンス預金をしておけば、国に個人の資産を把握されずに済む。後々の相続や税金対策として、表に出ないお金を確保しておく必要があると考える人も多いのでしょう。
なお、最後の5点目は、(もっと卑近な話として)家族に知られずに貯蓄ができるということです。これは、いわゆる「へそくり」と言われるもので、家庭のどこかに隠しておけば、家族に知られず自由に使える自己資金を確保できるメリットがあると氏は説明しています。
さてそれでは、その「タンス預金」のどこに、紙幣のデザインを変えさせるほどの大きな問題があるというのでしょう。
その1点目は、タンス預金をしていると、現金が火災や地震、洪水などの災害などで失われるリスクだと氏は言います。一般に火災や地震の保険などでは現金は保証の対象外とされる。この点、金融機関に預金しておけば、仮に災害などの被害にあっても預金は守られるということです。
2点目は盗難リスクの存在。空き巣や強盗などの犯罪リスクを想定すれば、余程頑丈な金庫でもないかぎり、タンス預金は危険にさらされると氏はしています。そして、3点目の問題として、氏は「紛失リスク」も挙げています。
タンス預金を長期間放置すると、本人も現金を保管した場所を忘れてしまい、気づかないうちに紛失してしまう。家族に隠していると、本人死亡の場合、遺族がそれを知らずに処分してしまうリスクもあるということです。
そして4点目が、遺産相続のトラブルになる可能性だと氏は指摘しています。タンス預金は存在証明の根拠がないことが多いため、適正な遺産相続が行われなくなるリスクがあるとのこと。もちろん、これを許せば課税逃れを生じさせることもあり、税務当局としても放置してはおけないでしょう。
さて、個人のタンス預金にはこうしたリスクが伴うが、政府が家計に眠るタンス預金を「あぶり出したい」のにはそれ以上の理由がある。それは何よりも、家計に現金が保管され続けることは、マクロ経済にとって大きなマイナスになるからだと氏はこの論考で指摘しています。
恐らく政府は新紙幣を発行することで、旧紙幣から交換される際に50兆円を超えるタンス預金の一部が消費や投資に回り、経済を循環させることを期待している。また、こうした「現金退蔵」は資金洗浄や租税回避の温床にもなるため、タンス預金のあぶり出しによって、マネーロンダリングや脱税を防ぐ狙いもあるものと推察されるということです。
そもそも、タンス預金のあぶり出しが求められる背景には、2021年末時点で2000兆円にも上る家計の金融資産の54%が現預金であり(米国13%、欧州34%)、急速に進んでいるインフレに対する対応ができていないことがあると氏は言います。
インフレに比較的強いとされる上場株式・投信・債券の保有比率はわずかに12.3%。株式保有世帯の割合で見ても、米国では5割を超える一方で、日本では有価証券を保有する個人の割合が全体の2割程度に過ぎないということです。
実際、家計金融資産に占める株式などの割合が大きい欧米では、この10年で家計の金融資産が米国で3倍、英国で2.3倍になる一方で、日本は1.4倍にしかなっていないと氏はしています。日本の家計金融資産が貯蓄から投資へと進まないことで、家計に資産形成量が大きく衰えを見せているというのが氏の指摘するところです。
こうした状況をトータルで勘案すれば、タンス預金のあぶり出しによってその資金が株式市場に向かうのであれば、結果的に得をするのは(これからの時代を生きる若い世代を中心とした)国民全体ということになるかもしれません。
株式市場がようやく活気づいてきた観のあるこの日本で、ある意味「死に金」となってしまっている(50兆円ともされる)タンス預金。これが投資に回れば、日本経済が新たな局面を迎えるきっかけにもなろうと考える永濱氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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