6月16日に閣議決定された政府の2023年度「経済財政運営と改革の基本方針」、いわゆる「骨太の方針(2023)」に「職務給の導入」が盛り込まれています。
ここで言う「職務給」とはいわゆるジョブ型賃金制度のこと。政府は、官民連携による①リスキリングによる能力向上支援、②個々の企業の実態に応じた職務給の導入、③成長分野への労働移動の円滑化…の「三位一体の労働市場改革」によって、客観性、透明性、公平性が確保される雇用システムへの転換を図り、構造的に賃金が上昇する仕組みを作っていくとしています。
岸田政権の主要政策の一つである「新しい資本主義」の一環として、岸田首相は既に今年1月の施政方針演説の中で、「日本型のメンバーシップ型の雇用慣行を変え、若くても仕事の成果に応じて高い給料が払われるジョブ型雇用にすることで、日本全体の給与水準を引き上げていく」と話しています。
同演説で岸田首相は、(「職務給の導入」に関し)「従来の年功賃金から、職務に応じてスキルが適正に評価され、賃上げに反映される日本型の職務給へ移行することは、企業の成長のためにも急務です」と説明しています。
しかし、雇用形態を「ジョブ型雇用」「ジョブ型賃金体系」に変更すれば、本当に若くても高い給料が支払われるようになり、日本全体の給与水準を押し上げることにつながるのか。需要が高まる産業の人手不足が解消され、日本経済を覆う成長へのくびきが解かれることになるのか。
政府が労使双方にバラ色の未来をもたらす(とされる)「ジョブ型賃金(職務給)」とは、一般に職務の内容や責任、もたらされる利益になど応じた賃金が職ごとに支給される、欧米で主流となる賃金制度のこと。現在では、高度成長下の日本で採用されてきた終身雇用・年功序列を前提とした「メンバーシップ制」を否定的に捉え、硬直化した現状を打開するためのソリューションとして使われるケースが多いようです。
もとよりそこにあるのは、年齢や経験年数によって硬直化した人事制度、賃金制度の下ではイノベーションは実現せず、若手による新しい発想は生まれてこないという反省と、長期雇用者が優遇されるシステムの下では労働市場が活性化せず、生産性が高い産業分野への労働移転が進まないという不安感というものでしょう。
しかし、その視点はあくまで産業界・経済界からのもの。見方を変えれば、「働かない人間に高い賃金は払いたくない」「スキルの乏しい人間にはとっとと辞めてほしい」という経営者の意図が透けて見えないでもありません。
若者には一見、いいこと尽くしのように見えるジョブ型賃金制度ですが、ジョブ型雇用にはそもそも「昇進」という概念はありません。なので、企業が「職務給」を導入したからといって賃金が上がるわけではないし、(無論賃金が上がる人もいるのでしょうが)その分下がる人もいるのが現実です。
また、同制度の下では職に合わせて賃金が決まるので、経験を重ねても昇進はしていかないのは無論です。なので、控えめにしていたら何も変わらない。一生懸命(あるいはガツガツと)猟官運動をしなければ、いつまでたっても平社員のままという人生が待っています。
また、職務給には「定期昇給」「ベースアップ」といった概念もありません。ただ(人並みに)仕事をこなしているだけでは賃金は上がらない。子供が高校生や大学生になっても、給料袋の中身は新卒のときのままという事態もある得る訳です。
賃金を上げるには、目に見える形でスキルを磨かなければならない。試験を受けたり資格を取ったりと、他の社員と競争し自らを磨き続けないと誰からの評価も得られない世界が、そこには広がっているということです。
加えて、厳密なジョブ型雇用の下では、例えばDXなどによって会社に現在従事している仕事が無くなれば、降格などの職務変更が発生し賃金が下がったり、悪くすれば解雇、つまりクビになるケースなども生まれてくるかもしれません。つまり、会社の都合によって給料が急に下がったり、ときには職を失ったりする可能性もあるという過酷な状況に陥る可能性があるということです。
さらに言えば、ジョブ型の賃金制度の導入によって、現在多くの企業で支給されている、属人的な「手当」というものが大幅に整理されることは必至です。
家族の状況や住宅の状況、通勤環境などというものは、基本的に仕事の内容と関係ありません。なので、使用者サイドに「住宅手当」や「扶養手当」「通勤手当」などといったものを支払う義務はなく、「期末手当」や「勤勉手当」などというものも過去の遺物となっていくことでしょう。
さて、こうしてみてくると、岸田政権の言う「三位一体の労働市場改革」が進んだ世界は、これまでの環境に慣れ切った日本の甘っちょろいサラリーマンにとっては、弱肉強食の相当に厳しい世界になるといっても過言ではありません。
少なくとも、サラリーマンに転職を促すことで賃金を上昇させ、日本経済を活性化させようという政府の目論見にはかなりの無理があるのではないか。政府は国民に、経済活動における熾烈な競争を強い、「この波について来られない者は置いていくぞ」と脅しているようにも見えてくるのですが、果たして皆さんはどのように受け止めているでしょうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます