天正10年(1582年)6月、投宿する本能寺を兵に囲まれた織田信長は、これらの兵を率いているのが自らが取り立ててきた明智光秀だということを知らされ、思わず「是非も及ばず」とつぶやきおもむろに弓矢を取ったと伝えられています。
「是非も及ばず」「是非もなし」は能などでよく用いられる言葉で、「いいも悪いもない」、つまり「仕方がない」という表現です。
この時の信長の言葉の意味を、「緻密な光秀の仕業であれば、既にどうしようもない状況にあるのだろう。」ととるのか、「相手が誰であっても応戦するしかない。」ととるのか、「光秀の謀反であれば、そういうこともあるだろうな。」ととるのか。その解釈には諸説あるようですが、いずれにしても日本の歴史に名を残す戦略家であり合理主義者であった織田信長でさえ、「仕方がない」という言葉を人生の最期に残したという伝承は、この言葉と日本人の関係を物語るエピソードとしてふさわしいものだと思います。
世界で初めて大西洋を単独飛行したことで一躍有名になったリンドバーグとともに昭和初期の日本を訪れた夫人のアン・モローは、日本人が別れを告げる際に使う言葉である「さようなら」に大きな感銘を受けたとされています。
「左様ならば」、そういうことであるならば(本当は別れたくないけれども)「仕方がない」…という日本の別れに際しての情緒に対し、「これまで耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉を私は知らない」とその著書に綴ったと3月14日の読売新聞「編集手帳」にありました。
またWikipediaでは、日本人がしばしば口にするこの「仕方がない」、「やむを得ない」という言葉を象徴するエピソードとして、昭和天皇が、1975年(昭和50年)に訪米から帰国した際に行われた記者会見において、広島・長崎への原爆投下に対し「広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っております」と答えた例を挙げています。
理不尽な困難に対する「諦め」の気持ち。それでも自らの信念を貫き通そうとする気持ち。これが「仕方がない」の本質です。自分の力ではどうしようもない力に屈する時、日本人はこの言葉を思わずつぶやきます。
日本人が運命を受け入れる際のキーワードとなる「仕方がない」は、長年にわたり私たちがが(無自覚に)慣れ親しんできた言葉です。そこには、全ての努力を(ある意味)チャラにする、人知を超えた力の存在を認め、それを受け止めて黙々と生きようとする農耕民族としての長い歴史が息づいていると言うことができるでしょう。
一方、日本人であれば恐らく誰もが日常的に口から突いて出るこの「仕方がない」について、欧米人は大きな違和感(と、時には「尊敬の念」を)をもって受け止めているようです。実際この言葉は、日本人の自己犠牲的な悲観性を表す表現として多くの外国の著述家に注目され、指摘されています。
例えば、太平洋戦争の際の際。米国やカナダで行われた日系人の強制収容において、収容所での絶望感と虚無感を克服するべく、「Shikata ga nai」というフレーズを頻繁に口にし希望を見出そうとし続けた日系人姿は、彼の国の多くの人々に記憶されています。また、太平洋戦争において米軍の捕虜となった多くの日本兵たちは、この「仕方がない」という言葉とともに秩序ある収容所生活を淡々と過ごしていたという記録も各地に残されています。
一方で、東日本大震災直後の被災地において、「仕方がない」の言葉とともに逆境において整然と行動する日本の被災者の姿に世界中からの称賛が浴びせられたのも、記憶に新しいところです。
こうして見ると、「いさぎよさ」を美学とする日本人の観念と、「したたかさ」を美学とする欧米の観念の間には、現在でも大きな隔たりがあるようです。国際社会における様々な軋轢が日本を覆う中、どうやら日本人には自らの行動様式をきちんと理解したうえで、彼らの創ったグローバルスタンダードへのアプローチを考えていく必要がありそうです。
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