国際政治は、国境の尊重と不可侵への合意を基本とした1970年代のデタント(緊張緩和)後の国際秩序の時代から、再び領有意識を背景とした地政学上の争いの時代に戻ってしまうのか。
こうした危機感の下、4月17日の日本経済新聞の紙面において、慶応大学教授の添谷芳秀氏が「中露軸『地政学ゲーム』再び」と題した寄稿により、日・中・露の現状分析を踏まえた今後の日本の安全保障の基本姿勢についてひとつの興味深い提言を行っています。
添谷氏は、1990年代以降中国が見せている南シナ海や尖閣・琉球列島などにおける海洋や領土主権に対する執着とも言えるこだわりが「時計の針」を冷戦以前の時代に巻き戻し、今後の国際社会を混乱に導く大きな要因になるのではないかと強く懸念しています。
中国共産党政権は自らの「地政学的な野心」に関し、日本や米国による軍事的な圧迫に対する受け身で平和的な対応であると徹底したプロパガンダで中国国民に信じ込ませている。そしてその上で、アヘン戦争以来の歴史に対する「被害者意識」と目覚ましい中国経済の台頭から生まれる「自信」が表裏一体となった国民のナショナリズムを原動力に、共産党政権の「核心的利益」を推進する方向性を国際社会に向け明確に打ち出していると指摘しています。
習近平体制下の中国が公然と求める米国との「新しい大国関係」は、究極的には太平洋地域(そして国際社会全体)の米・中2国による住み分けを目指すものであり、中国の地政学的欲求のひとつの到達点を示す青写真に他ならないというのが添谷氏の認識です。そして、このタイミングで発生した今回のウクライナ危機により、国際政治は地政学的な利益を優先する時代へと大きく舵を切ることになるのではないかとして、添谷氏は状況の推移を大きな懸念とともに注視しています。
多くの専門家が指摘するように、ユーラシア大陸は伝統的に地政学的な対立の温床であった。特に、ロシアと欧州との狭間に位置するウクライナ国内の路線対立が国際秩序を左右する重大な危機として現在位置付けられているのは、その背景にロシアと欧州との地政学的な駆け引きがあるからだと添谷氏は言います。
そんな中、中国がロシアに同情的である理由は、経済よりも地政学的利益を優先する「覚悟」がロシアと中国に共通する価値観として存在しているところにあり、最終的に米国が追い込まれそうな現在の国際社会の趨勢が自らの追い風となることを(中国が)十分認識しているからに他ならないというのが、この問題に対する添谷氏の見解です。
中国とロシアが接近するという地政学的な力学が生じつつある中で、日・米両首脳は緊密に連携し、先進民主主義諸国の結束を図るため対中政策を大局的な見地からすり合わせる必要があると添谷氏は指摘しています。
添谷氏は、その際考慮が必要な諸々の論点の底流に、実はふたつの相容れない視点の存在が見えてくるとしています。そのひとつは「いかに日米同盟を守るか」という視点であり、もう一つは「いかに米中関係を壊さないか」という視点です。
最近の国際情勢に照らし合わせれば、地政学上の備えを怠らないことは当然ながら、中長期的な中国との(経済的な)共存関係の構築が相互の利益のために重要であり、さらにより長期的な観点に立てば中国民主化への備えを視野に入れるという「総合的な対中戦略」を反映させることが極めて重要になると添谷氏は言います。
世界が中国経済に依存している以上に実は国際社会に依存している中国が、自らの引き起こす地政学的な揺さぶりで失速すれば、やがてその最大の被害者は中国共産党政権になる可能性もある。例えそこまでいかなくても、国際的な経済相互依存の深化は着実に中国の中間層の拡大を招き中国国内に市民社会を育てることに繋がる。
であれば、そうした流れを念頭に置き、中国の地政学的な挑発に備えると同時に、経済関係やソフトパワーを活用しながら中国の中間層への働き掛けを忘れないことが「対中戦略」の基本になるだろうというのが、今回の染谷氏の論評の眼目です。
このように考えれば、中国の地政学的野心への備えについては「静かに粛々と」(そして着実に)進めることが肝要であり、いたずらに中国の脅威を言いたて、日本の反中感情やナショナリズムに訴える必要はない。むしろ多元化する中国社会に日本がいかに「食い込める」かが重要だとする染谷氏の指摘は、今後の日中関係に関するひとつの理性的な方向性を示したものと考えられます。
日本の対中政策は、中国の挑発に対する情緒的で近視眼的なこだわりから解放されることが必要であり、国際主義的な論理から中長期的な視点で戦略的に議論されるべき問題だとする染谷氏の主張を、改めて新鮮に受け止めた所です。
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