MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

#2222 安倍外交を振り返る

2022年08月07日 | 国際・政治

 第一期安倍政権から第二期安倍政権までの8年8カ月間にわたる史上最長の在任期間を通じ、そこで展開された安倍晋三という宰相の政権運営の評価に極端な党派性が存在することは敢えて指摘するまでもないでしょう。

 安倍晋三という政治家を憎悪する人間は同氏の「全て」を非知性的と断じ、感情的な言葉で批判する。一方、彼を支持する人間は、「日本」という国を憂う保守派のアイコンとしてその風貌や毛並みの良さを愛で、時としてそれを利用してきた観もあります。

 しかしそれにも増して、歴代の日本の総理大臣の中で、安倍首相ほど国内と海外の評価が異なる政治家は珍しいかもしれません。国内的には(長期政権を担う中で)国民の反発も多かった安倍首相。しかし、こと外交に当たっては、日米同盟の強化を基軸に長期間にわたって安定政権を築き、国際社会における日本の顔として国際的な地位を高めたことはおそらく事実です。

 同氏の掲げた「地球儀を俯瞰する外交」や「積極的平和主義」は、民主党政権下で悪化した日米同盟を深化させ、G7やインド太平洋関係各国との関係においても積極的な役割を果たしてきました。

 ロシアや中国、韓国、北朝鮮など近隣諸国との関係改善は(結果としては)進まなかったものの、それまでの(そしてそれ以降の)政権とは違った独自の存在感を放ってきた安倍外交。

 その取り組みと実績について、日本経済新聞論説委員の秋田浩之氏が7月12日の同氏に『日米同盟「崩壊」に切迫感 危機脱した安倍氏の遺訓』と題する論説記事を掲載しているので、備忘のために残しておきたいと思います。

 外交や安全保障の分野において、安倍晋三元首相の功績の大きさは言うまでもないと秋田氏はこの論説の冒頭に記しています。安倍氏の在任中に、日米同盟は格段に強まった。彼が打ち出したインド太平洋構想は広い支持を集め、いまや主要国の対外戦略の合言葉になっているということです。

 その業績を概観した限りでは、安倍氏は果敢に「攻めの外交」に走り、成果を残したように映る。しかし、内幕はそう単純ではない。安倍氏を駆り立てたのは、「このままでは日米同盟が崩壊しかねない」という恐れと切迫感だったというのが秋田氏の認識です。

 氏によれば、安倍氏は在任中、次のような趣旨の言葉を何度となく側近に漏らしていたということです。

 それは、米中の軍事バランスが中国優位に傾き、北朝鮮が核武装したことで、米軍が日本を守るコストと危険が相当に高まってしまったというもの。よほど日本が防衛努力を尽くさなければ、同盟の効力は保てない。日本が努力を怠れば、米有権者はいずれ日本の防衛義務を負うことに納得しなくなるだろうという懸念を、安倍氏は強く抱いていたということです。

 実際、この認識は安倍氏の思い込みではない。2012年12月に首相に返り咲いて以来、執務を通じて募らせた本当の危機感だったと秋田氏はしています。在任中、彼は少なくとも2回、日米同盟の危機に震えた。第1は就任直後のこと。民主党の鳩山由紀夫政権下で日米同盟は傷つき、日中は一触即発の状態にあったということです。

 2012年9月の尖閣諸島の国有化後、中国は尖閣周辺に次々と中国公船を侵入させていた。日中紛争リスクがささやかれる中、ワシントンには日本の対応を不安視する米政府当局者も多かったということです。

 日米の信頼と同盟を立て直すには、まず日本自身が防衛の努力を急ぐしかない…安倍氏はこう考え、(民主党政権の下で)減り続けていた防衛予算を2013年度から増加に転じさせ、海上保安庁の予算も大きく拡充させた。世論の反対を押し切って、安全保障関連法を2016年3月に施行させたのも同じような考えからで、これにより、米軍を支援するため、限定的ながら集団的自衛権を使えるようになったというのが秋田氏の認識です。

 野党の一部は、「戦争できる国にした」「違憲である」と、今でも同法に反対している。しかし、安倍氏の本音は真逆なもので、安保関連法がなければ日米同盟が息切れし、日本の安定を保てなくなってしまうというものだったということです。

 そして、安倍氏が直面した第2の危機が、2017年1月のトランプ米大統領の就任だったと秋田氏は説明しています。

 トランプ大統領は、(就任当初から)日米同盟が米国にとってはお荷物に過ぎないと考え、あからさまに不満をぶちまけていた。日本政府関係者によると、安倍首相との計14回にわたる会談でも、毎回のように「日米同盟は不公平だ」と批判。駐留米軍の全ての経費に加え、アジアに展開する米空母の運用費も一部肩代わりするよう迫っていたということです。

 トランプ大統領は、同時に米欧同盟の北大西洋条約機構(NATO)への反発を強め、脱退の可能性すら関係国に示していた。このため米欧関係は著しく冷え込み、(現在のウクライナ危機に通じる)NATOの結束は地に落ちたと秋田氏は言います。

 しかし幸いなことに、日米同盟は(安倍氏の立ち回りによって)そこまでは壊れずにすんだ。トランプ時代にも、米軍による中国や北朝鮮への抑止力は保たれ、北東アジアが不安定になる悪夢は防げたというのが秋田氏の指摘するところです。

 日米同盟を守るには、トランプ大統領の懐に飛び込むしかない。安倍氏はこう判断し、(欧州の首脳陣がしり込みするなか)ゴルフや食事を通じ、とことんトランプ氏とつき合った。そのうえで、会談では毎回のようにスライド資料を用意し、同盟がどれほど米国の利益にもなっているかを(しつこく、そしてわかりやすく)説明したと秋田氏は言います。

 トランプ大統領の機嫌を損ねることが判っていても、必要なら強く反論する場面もあった。(外交筋によれば)日本の「米軍ただ乗り」をなじるトランプ氏に対し、安倍氏が「そんなことはない。自分は支持率を大きく下げてまで安保関連法を通したんですよ」と、激しく応酬したこともあったということです。

 現実問題として、日米安全保障条約は盤石なように見えて、その実、極めて繊細でもろい存在だというのが秋田氏の見解です。

 第10条では、日米いずれか一方の意思により、1年間の予告で破棄できると定められている。もしも、米側が条約の打ち切りを決めたら、日本側に止める手段はないと氏はしています。

 国内に様々な批判の声が沸き上がる中にあっても、安倍氏には日米同盟のそんな脆弱性・危険性が良く分かっていた。だからこそ、同盟が枯れないよう多くの養分を注ぎ続けたのではないかと、秋田氏はこの論考の最後に綴っています。

 「美しい国日本」を唱え、理想を追う保守派のナショナリストと目されてきた彼にとっての「憂国」は、もしかしたら(我々よりももっとずっと)リアルで身近な場所にあったのかもしれません。

 徹底した現実主義にもとで自らを躍らせた安倍外交こそ、岸田文雄首相、そして将来に続く政治指導者にとって、最も大切な(安倍氏の)「遺訓」のひとつであるとこの論説記事を結ぶ秋田氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿