MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1883 霞が関に「やりがい」はあるか

2021年06月22日 | 社会・経済


 2021年度の国家公務員採用総合職試験の申込者数が1万4310人となり前年度と比べ2420人(14.5%)減少したと、4月16日の日本経済新聞(「キャリア官僚志願者14.5%減 過去最大、働き方影響」2021.4.16)が伝えています。人事院によればこれは5年連続の減少で、総合職試験を導入した12年度以降では最大の減少幅だということです。

 次いで、2か月後の6月21日には今年度の合格者が発表され、最終倍率が7.8倍で過去最低となったほか、東京大学出身者の割合も14%と6年連続で過去最低を更新したことが明らかになりました。

 このように(いわゆる「キャリア官僚」への)志願者の減少に歯止めがかからない状況の背景には、長時間労働などの「霞が関の勤務環境」があると言われています。 
 内閣人事局が20年10~11月に行った調査では、20歳代の若手総合職の約3割が過労死ラインの目安とされる月80時間超の時間外勤務を行っていたとされています。また、人事院が20年度の新人キャリア官僚に「優秀な人材の獲得に必要なもの」を聞いたところ、複数回答で75%が「超過勤務や深夜勤務の縮減」と答えたということです。

 霞が関の勤務環境をめぐるこうした状況から、現職若手官僚の離職傾向も高まっているようです。同人事局の調査によれば、2019年度に自己都合を理由に退職した20代総合職は87人と6年前と比べて4倍に増えており、調査では、30歳未満の若手男性職員の7人に1人が数年以内に退職する意向を示したとされています。

 そういえば、テレビドラマにでてくるキャリア官僚などを見ていても、そのほとんどが色白メガネなどで底意地が悪く、出世のためには国民を顧みないヒールとして描かれています。権力志向で派閥を好み、上司や政治家におもねるその姿は、一般の視聴者が抱くキャリア官僚のイメージそのものなのでしょう。

 さて、(数字が示す通り)こうして優秀な大学生たちに見放されつつある「キャリア官僚」という職業について、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏は5月24日の自身のブログ「橘玲の日々刻々」に、『官僚の仕事は、過労死するほど働いても自己成長もできず魅力もない』と題するかなり手厳しい一文を掲載しています。

 公務員試験の受験者数が年々減少している。採用者数を平年並みの2000人とすると倍率は7倍。2012年の倍率が17倍なので、わずか10年足らずで半分以下になったと氏はこの文章に記しています。
 かつて、東大法学部の卒業生は法律家か官僚を目指し、民間企業に就職するのは格下とされていた時代があった。しかし、2020年度の公務員試験では東大の合格者が過去最少になり(合格者数は1位)、外資系金融機関やコンサルティング会社など、高収入で見栄えのいい仕事の人気が高まっているということです。

 公務員が避けられる理由は、「ブラック霞が関」という言葉に象徴されるように、労働環境が過酷だから。人事院が公式に発表している残業時間は平均で月29時間程度だが、これにはサービス残業が含まれておらず、アンケート調査では回答者の65.6%が労働基準法の年間超過勤務上限である720時間を超えていたと氏はしています。
「過労死ライン」は年間960時間とされているが、官僚では1000時間超が42.3%、そのうち1500時間超が14.8%もいて、半分ちかくが過労死してもおかしくない異常な状況だということです。

 因みに、霞が関の「ブラック度」はコロナ禍でさらに悪化しているという指摘もあります。内閣官房でコロナ対策を担当する職員の1人が、1カ月だけで約378時間もの残業をしていたことが話題になりましたが、残業だけで24時間×16日分なので、1日の大半を睡眠もとらずに仕事をしていたということになります。

 これまでの悲惨な状況では学生が二の足を踏むのは当然だが、敬遠されるのはそればかりではない。内閣人事局が行なったアンケート調査では、30歳未満の男性職員の7人に1人が「数年以内に辞職意向」と回答したが、その理由は「長時間労働等で仕事と家庭の両立が難しい」と並んで、「もっと自己成長できる魅力的な仕事につきたい」というものだったと氏は話しています。

 これをひと言でまとめれば、霞が関は「過労死するほど働いても、自己成長もできず魅力もない」職場だということ。だとすれば、そもそもこんな仕事を目指す学生がいること自体が不思議だというのが氏の認識です。

 知識社会が高度化するにつれ、ますます高い専門性が要求されるようになったエリートの世界ですが、霞が関の人事制度は3年程度で異動を繰り返し、さまざまな部署をこなせる「ゼネラリスト」を養成しようとするので、自分が担当する分野すら素人とたいして変わらない知識しか持てないと氏は言います。
 これでは、役所を離れたとたん何の使い道もない人材になってしまう。そのことを判っている賢い学生たちは、生涯現役社会でスキルを獲得できない職場(=霞が関)を選ぶことが「敗者への道」だと正しく理解しているのではないかということです。

 さて、橘氏の指摘は至極もっともなのですが、さらに加えて問題の本質は社会制度のもっと根深いところにあるような気もします。
 表面的に目立つ部分だけを議論してあとは官僚任せの政治家や、官僚をスケープゴートとして正義の味方を気取るマスコミの姿勢に加え、「おまえたちは税金で食わしてやっているんだ」という国民のある種の傲慢さは、彼らのやる気を失わせるのに十分な破壊力を持ちます。

 また、(たとえ意に反していても)政治的権力を持つ関係する業界や政治団体に配慮した主張しかできず、(口答えできないのをいいことに)議員からは召使いのように罵倒される場面もしばしばだったりする現状に、辟易している若手官僚もきっと多いことでしょう。

 それでいて、給料は民間に就職した東大同級生の約半分。仕事のモチベーションの源泉とはお金だけではないとはいえ、身を粉にして働いても誰からも感謝されない状況では辞めたくなるのも当然でしょう。

 中央官庁に優秀な人材を招くことが国民生活にとって大きなメリットとなることを、(ある種の「やっかみ」を排して)私たちはもう少し素直に受け止たほうが良いのかもしれません。
 彼らには彼らの言い分があるはず。世の中の真実を暴きたいのであれば、メディアの皆さんもそんな若手官僚の愚痴話に(少なくとももう少し)耳を傾けてもいいのではないかと、改めて感じるところです。



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