安倍晋三元首相が7月8日、奈良市内で参院選の街頭演説を行っているところを背後から銃で撃たれ亡くなられました。67歳と、政治家としてはまだまだこの先の円熟した活躍が期待できる年齢でした。心から哀悼の意を捧げたいと思います。
安倍元首相は、2006~07年と12~20年の2期にわたり我が国の首相を務め、通算の在任日数は3188日。連続した任期でも憲政史上最長を記録する歴史に残る政治家であったことは間違いありません。また、外交に関しても、日本の政治家としては世界の指導者と渡り合える稀有な存在であったことは、各国の事件への反応が証明しています。
メディアも伝えているように、この日本で首相経験者が銃撃され、命を奪われた事件は戦後例がありません。「世界一安全な国」を自認していた日本で、こうした政治家をターゲットとした犯罪行為が実行に移された背景については、今後しっかりとした検証と再発防止策の検討を行っていく必要があると感じるところです。
少なくとも報道を見る限り、今回の事件は、左翼的なテロ組織や海外の諜報機関、右翼などの反社会勢力などが関与するものではなさそうです。海上自衛隊の除隊者とはいえ、(例えの良し悪しは別にしても)映画「タクシードライバー」のような思い込みの強いアマチュアの犯行を、なぜ阻止できなかったのか。今後の警備のあり方にも十分な検証が必要でしょう。
一方、確かに近年の日本で目立つのは、虐げられてきた静かで孤独な男性が何かに憤りを感じ、殺傷事件を起こすケースです。2008年の秋葉原通り魔事件しかり、2016年の津久井やまゆり園における殺人事件しかり、2019年の京都アニメーション放火殺人事件しかり、近いところでは昨年12月に大阪で起きたクリニックの放火事件もそうでした。
やり場のない社会への憤懣と反発をたぎらせた孤独な男たち。そこに生み出された妄想が、コントロールを失い彼らを凶行に走らせる。そこにあるのは主義主張といった(頭で理解できる)理屈などではなく、現在の自分の置かれた状況に対する「怒り」そのものであるのは想像に難くありません。
少し引いてみれば、彼らのこうした姿は、現在の日本社会が置かれた状況を端的に表していると言えるのかもしれません。ちょっとしたきっかけで、様々な社会システムから取り残された人々が、誰からも手を差し伸べられることなくそのまま放置されている社会。
彼らを救ってくれるはずの政治が、自分たちの方を見てくれていないことは彼らには痛いほどわかっている。そうした中で起こった今回の事件は、ある意味「起こるべくして起こった」と言っても過言ではないかもしれません。
もとより、暴力によって世の中を変えようと言った試みは絶対に許されることではありません。政治へのテロリズムは、単にその政治家の命を奪うだけにとどまらず、社会を委縮させ、民主主義全体を停滞させ、政治を間違った方向に進ませる力となる可能性が高いことは歴史が証明しています。
いずれにしても、今回の事件を単なる「警備上の不備」と捉えるだけでは、問題は解決できない。国民を危険に晒す状況は、これから先も続くだろうと思えてなりません。中でも政治は、(誰からも一縷の期待をかけられていればこそ)今後もターゲットになり続けていくことでしょう。
第2、第3の山上徹也容疑者がいつ現れてもおかしくない。名もない男たちの手によって次々と引き起こされるテロ行為は、日本の(それは政治ばかりでなく、社会や経済の)劣化が招いているという事実を、私たちは真摯に受け止め、肝に銘じておく必要があるような気がします。
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