MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2204 年金が賦課方式なのには理由がある

2022年07月11日 | 社会・経済

 若者たちの一部で、少子高齢化の進展により「破綻」への懸念が指摘されている日本の公的年金制度。「人生100年時代」と言われ「長生きリスク」という言葉も生まれる中、老後の人生が長くなることに伴う老後資金の不足から、公的年金への不安を感じる人が増えるのはやむを得ないことでしょう。

 日本では、自営業者や無業者も含め、原則として20歳以上60歳未満のすべての国民は公的年金に加入することが義務付けられています。こうした「国民皆年金」の仕組みができたのは(実は)そんなに昔の話ではなく、国民健康保険が義務化された1961年(昭和36年)にようやくその形が整いました。

 それまでも、公務員や会社員の一部に恩給や養老年金が支給されていましたが、自営業者や農業従事者などについては無年金の状況が一般的でした。「年老いた親は子供が面倒を見るもの」…それが当たり前の時代だったといことでしょう。

 しかし、国民皆年金制度の導入によって、(保険料さえ収めていれば)誰でも老齢年金や障害年金を受けることが可能になりました。そして、それから半世紀以上の歳月と幾多の制度改正を経て、現在の制度に落ち着いているということになります。

 因みに、受給者には「額が少ない」と、また若者たちには「元が取れない」と評判の悪いこの制度も、その実績は世界でもトップレベルの評価を誇っており、2000年には世界保健機関(WHO)から世界最高との評価を受けているということです。

 日本の年金制度は、基本的に加入者や雇用者(企業)が支払う保険料や国庫からの繰り入れによって運営されています。それではなぜ、歳入不足・歳出多過による「破綻」などといった事態への懸念が口にされているのか。

 日本の公的年金は「賦課方式」といって、働いている現役世代が保険料を負担し、(現在の)年金受給者に年金を支給する仕組みで回っています。ですが、これでは少子高齢化に対応できないということで、以前から(自分の年金分は自分で積み立てていって将来受け取るという)「積み立て方式」に改めるべきだという意見も耳にするところです。

 もとより「賦課方式」では、制度が始まった頃の世代は、保険料を支払わずして給付だけを受け取ることになる。一方、少子化が進むこれからの世代にとっては、(頭数の多い)親世代の面倒を見させられるばかりで、「不公平」「割に合わないと」感じられても仕方のないことでしょう。

 なぜこの際、将来を見据え、(徐々にでも)公平感・納得性の高い「積み立て方式」に切り替えられないのか。そうした疑問に答え、雑誌「週刊新潮」の6月2日発売号に経済コラムニストの大江英樹(おおえひでき)氏が、「年金積立方式の問題点」に言及しているので参考までに紹介しておきたいと思います。(「年金問題『少子高齢化で破綻』は間違い?」(2022.6.2))

 識者と呼ばれる人たちの間でも(依然として)「公的年金は積み立て方式を採用すべき」との主張が聞かれるが、実のところ(公的年金は)「積立方式」では年金制度はうまく回らない。そこには二つの大きな理由があると、大江氏はこの論考に記しています。

 そのひとつは、寿命がいつまでかは誰にもわからないということ。(実のところ)これは非常に大きな問題だと、この論考で大江氏は話しています。

 「賦課方式」のようにその時の現役世代が払い込む保険料で年金の給付をまかなうのであれば、どれだけ寿命が延びても、(少なくとも若い世代が誰もいなくならない限り)年金の支給は可能である。しかし、「積立方式」の場合は、それまでに積み立てた金額とそれを運用して得た収益の範囲内でしか年金を支給することができないため、想定外に平均寿命が延びると積み立てた年金原資が枯渇してしまうことにもなりかねないというのが第一の理由です。

 そして、「積立方式」の採用が躊躇される二つ目の理由は、巨額の積立資金を運用するリスク(の大きさ)にあると、氏は指摘しています。

 現在、年金保険料として年額37兆~38兆円という巨額の資金が入ってくる。現行は賦課方式なのでこの大部分は年金受給者に支払っているが、積立方式となれば将来に向けてこの毎年入ってくる資金を運用しなければならないと氏は言います。

 20歳から年金制度に加入して60歳まで続けるとすると40年分が積み上がる。38兆円の40年分と言えばその額は実に1520兆円に及び、日本のGDPのほぼ3倍の金額にまで膨らむ。しかも、世界中の株式市場の時価総額は日本円にすると7900兆円程度なので、その規模の市場の中で1500兆円あまりの資金を運用するなどということは常識的にあり得ない話だというのが氏の見解です。

 現在、日本の年金積立金を運用している独立行政法人GPIFの運用資産額は200兆円程度。その規模で「池の中のクジラ」と揶揄されているわけなので、もしその8倍近い金額を運用するとなると、これはまず不可能と言っていいということです。

 年金というのは、(あくまで)私たちの老後生活に横たわるリスクをヘッジするためのもの。で、あればこそ、公的年金は(あくまで)「保険」である、という本質を見誤ることなく正しく理解し、その上で自分自身の将来設計を考えて自らの資産形成を図るというのが正しい順序だろうと氏は話しています。

 「老後の不安」の広がりをひとつの商機と見て、投機ビジネスなどを持ちかける輩も当然増えているということです。そうした中、今に生きる私たちとしては、不安をあおるような記事や営業に惑わされることなく、ファクトを確かめることが大切なのではないかとこの論考を結ぶ大江氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。

 



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