マイナンバーカードを巡るトラブルが相次ぐ中、大手メディアを中心にマイナンバー制度自体への批判が相次いでいるように見受けられます。
トラブルの中心は、個人情報の流出に関するもの。ここ数カ月だけでも、①住民票などのコンビニでも交付サービスにおける誤送付、②医療保険者データとマイナンバーの紐付け間違いによる薬剤情報の漏洩、③公金受取口座の誤登録に伴う送金ミス、などが立て続けに起こっています。
また、メディアはメディアで(市町村における事務処理ミスなどの)実務上の誤りを一つ一つあげつらい、あたかもマイナンバー制度自体が諸悪の根源のように視聴者の不安を煽っている様相です。
もとよりこうしたミスは、これまでのペーパー処理でもしばしば生じていたこと。個人データを一括管理することで(これから先)かなりトラブルは減らせるとも思うのですが、時代の流れに慎重な(ある意味完ぺき主義の)人たちにはなかなか許してはもらえないようです。
また、こうしたトラブルの報道を受け、マイナンバーカードを自主返納するキャンペーンを展開する動きなども(一部には)出てきているとのこと。2024年の秋とされる健康保険証の廃止にむけ、岸田政権としてもマイナンバーの信頼回復に向け「最後の詰め」をしっかりやっていきたいところでしょう。
そうした折、作家の橘玲氏が週刊プレイボーイ誌に連載中の自身のコラム(2023.7.31発売号)に「メディアのマイナ批判は『若者の切り捨て』と題する一文を寄せていたので、参考までにその概要を小欄に残しておきたいと思います。
マイナ問題と呼ばれる混乱が続いているが、一連の報道がわかりにくいのは「マイナンバー」と「マイナカード」を(おそらくは)意図的にあいまいにしているからだと、橘氏はこのコラムの冒頭に記しています。
「マイナンバー」とは国民および外国人居住者に付与される固有の番号で、これによって社会保障など行政サービスや納税手続きをデジタル上で完結できるようにするもの。これらの情報は、これまで「名前」「住所」「戸籍」などで管理してきたが、これではデジタル化に対応できない。そこで、北欧諸国を皮切りに欧米先進諸国はもとより、インドなど新興国も続々と番号での管理に移行していると氏は説明しています。
一方、「マイナカード」は、マイナンバーの証明書にICチップの電子証明を付与したカードのこと。社会がデジタル化するにつれて、非対面で本人確認しなければならない機会が増える(もちろんそれがメリットなのですが)ことから、運転免許証や(顔写真すらない)保険証のコピーに代わる、より安全性が高く、スマホでも使える本人認証の手段として(手続きを取った)国民に交付されるツールだということです。
マイナンバーカードが持つこの(本人確認の)機能は、今後、行政サービスだけでなく、金融機関での口座開設など民間の利用へと拡大していくこととされていると氏は言います。
北欧のようなデジタル先進国では、婚姻届・出生届や引っ越しによる住所変更はもちろん、診療予約や医療費の支払い、クレジットカードや保険契約、賃貸住宅の契約、スマホの新規契約などにもマイナンバーが使われているということです。
さて、日本のリベラルなメディアは、住基(住民基本台帳)番号の頃から「国民総背番号制」に断固反対してきたと氏はここで振り返っています。
それにもかかわらず、コロナ禍で日本の行政が、感染者の把握や給付金の支払いで世界に大きく遅れていることが白日の下にさらされると、いつの間にか「デジタル敗戦」を批判する側に180度転向した。ところがその後、マイナカードと保険証を一体化する方針に(読者・視聴者である)高齢者の不安が高まると、再び声を合わせた「マイナ批判」が始まったというのが氏の見解です。
「高齢者施設で入居者のマイナカードや暗証番号を職員が管理できるのか」という問題では、「認知症の患者もいるのだから紙の保険証を残すべきだ」と主張された。国会ではリベラル政党が、国民に不安が広がっているとして、保険証との一体化を白紙に戻せと強硬に主張したと氏はしています。
また、「マイナカードは危険」といわんばかりの報道で自主返納が増えると、それをまたマイナ批判に使うという、(あわゆる)マッチポンプ的な手法もあからさまに見られるということです。
「弱者である高齢者を守れ」というのは一見正論のように聞こえるが、ここには、「高齢者の利便性のためにデジタル化が遅れたコストは誰が負担するのか」という視点が欠けていると氏はここで指摘しています。
これが、メディアの「マイナ批判」に対してネット上で若者を中心に不満や批判が渦巻いている理由ではないか。人類史上未曽有の超高齢社会を迎えつつある日本では、社会保障費は200兆円ちかくまで膨れ上がり、現役世代1.3人で1人の高齢者を支える時代がやってくるのは確実なこと。若者たちは今、「高齢者に押しつぶされる」という強い不安を抱えているというのが氏の認識です。
そんなとき、(正義の衣をまとった)「高齢者を切り捨てるな」という一方的な主張は、若者たちの耳には「若者を切り捨てろ」という言葉として届いていると氏は言います。
医療費をはじめとした社会保障関連費用の削減、税の適正平等な徴収などに効果的とされる関連情報のデジタル化。これを進めることは次の世代への投資であり、政府としては21世紀の社会に求められる基礎的なインフラとして早急に整備を進める必要があるということでしょう。
こうした諸々の状況を背景に、若者たちは、(自称)「リベラル」の既存政党やテレビや新聞などの大手メディアから離れていく。このことが理解できないかぎり、「リベラル」を自称するメディアや政党が若者に支持されることはないだろうと考える橘氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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